マリリン・モンロー A-Z
THE ACTORS STUDIO アクターズ・スタジオ
1950年代のアクターズ・スタジオは、アメリカ第1の演技の学校であった。
リー・ストラスバーグの指導のもと、画期的な演技方法の「メソッド」と数多
くの著名な俳優・女優を輩出した。マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ロ
バート・デ・ニーロそしてマリリン・モンロー。
1955年、マリリンはハリウッド女優から演技派女優になろうと決めた。
20世紀フォックスと契約をかわし、ニューヨークに。知識人の仲
間入りをし、のちに夫となる劇作家アーサー・ミラーとも親しくなった。自分
のプロダクションを作り、火曜日と金曜日にはアクターズ・スタジオに通った。
彼女は正式なスタジオのメンバーではなかったが、誰よりも熱心だった。
1950年代の半ば、1000人がオーディションを受けて、毎年選ばれるの
は10人程度という狭き門だった。そこではマリリンは有名だったとはいえ、
一人の生徒にすぎなかった。教室の後ろの席で、ぽつんと一人座っていること
も。
他の生徒に混じって、戯曲「アンナ・クリスティー」にも参加し、主役を演じ
た。マリリンのアンナの人物描写はすばらしかった。スタジオのメンバーは賞
賛することは禁じられていたが、このときばかりは例外だった。
また、あるときは子猫の役を演じることになると、子猫を借りてきて、
数日間、じっと観察した。結果は完璧なものだった。
アクターズ・スタジオがマリリンの演技にどんな影響をもたらしたか。195
5年以降の彼女の映画に目をやれば一目瞭然。「王子と踊り子」(1957)
「お熱いのがお好き」(1959)
「荒馬と女」(1961)と演技力をつけてきているのが分かる。「バス停留
所」(1956)の演技は最高のものとなった。「女優であることを証明した
」(ニューヨーク・タイムズ紙)
マリリンは1962年に亡くなるまで、スタジオに通いつづけた。その年のう
ちには正式メンバーになる予定だったが、それを待たずして逝って
しまった。
1963年3月、アクターズ・スタジオはマリリン・モンロー基金を創設し、
2500ドル以上の寄付を募った。基金はリハーサル・ホールの新設とスター
を夢見る若き俳優たちの奨学金に当てられた。
マリリン・モンロー・シアターはカリフォルニアのウエスト・ハリウッド、ス
トラスバーグ・インスティチュートにある。
















