マリリン・モンロー A-Z

C - CALENDAR カレンダー


 マリリンは途方に暮れていた。1949年5月、それまでの3年間、20世紀フォッ クスとコロムビアから解雇されて仕事がなかった。一文無し。
 カメラマンのトム・ケリーからヌード撮影の話をもちかけられていたことを 思い出した。

「あのときの話は生きているの?」

「もちろんさ」

 同じ月の27日、マリリンはロサンゼルス、ノース・シーワード・ストリート にあるケリーのスタジオにやってきた。
 スタジオにはケリーとアシスタントの妻ナタリーだけ。
 フロアには赤いベルヴェットのドレープ(布)が敷かれてあった。
 ケリーはアーティー・ショーのレコード”ビギン・ザ・ビギン”をかけた。
マリリンは全裸になった。撮影は2時間かかった。
 そのあと、マリリンは”モナ・モンロー”という偽名で契約書にサインをし た。
撮影が終わると、ケりー夫妻とマリリンはメキシコ料理を食べに出かけた。

ケリーは、マリリンのヌードを24カット撮った。彼が売り物にしたのは2枚 で、そのうちの1枚が、のちに有名となる”ゴールデン・ドリームズ”である。 残りの22枚は、なぜかケリーのファイルキャビネットから盗まれた。
(そのうちの何枚かは、マリリンが結婚のプレゼントにジョー・ディマジオに 贈ったものもある)

 1952年2月、記者のアリーン・モズビーは”ゴールデン・ドリームズ”の カレンダーがいまをときめくマリリン・モンローだという情報を得 た。モズビーはマリリンが「ノックは無用」を撮影中のフォックス社の宣伝部 とわたりをつけて真偽を確かめようとした。

マリリンは赤いヴェルベットのカレンダーは自分だと認めた。
宣伝部はあわてて、「ヌードを撮ったことはないと否定するように」と指示し た。
当時は女優がヌードになるなんて考えられなかったのだ。

3月13日、マリリンの「告白」が新聞に掲載された。
「あら、町中のガレージにあのカレンダーがあるのよ。ウソなんて言えないで しょ。何も悪いことなんてしていないもの」

マリリンの映画「クラッシュ・バイ・ナイト」は大当たりだった。20世紀フ ォックス宛てにファンレターが殺到した。カレンダーに続き、マリ リンのヌードを使った商品(灰皿、カクテルグラスなど)が大量生産され、当 時のお金で100万ドル近い売り上げを記録した。
マリリンが撮影の報酬としてもらったのはわずかに50ドル。

 カメラマンのケリーも「PLAYBOY」誌の仕事では、創刊号、多くの記念号、 特別号とも報酬を受けなかった。
 PLAYBOY社のヒュー・ヘフナーはケリーの写真をカレンダー会社から直接買 い取っていたのだった。