マリリン・モンロー A-Z

C - CHILDBIRTH  出産


「いま、子どものことは考えられないわ。夢ね」
かけだし女優のころ、マリリンは時間もなく、子どもがほしいとも思ってい なかった。
不遇な時代には、12回も中絶をしたとも。
だが、1956年、劇作家アーサー・ミラーとの結婚で子どもがほしいとつよく思 うようになった。
ほしくてほしくてどうしようもなかった。なんとかして妊娠できるように「外 科的矯正手術」を受けたこともある。しかし、ミラーとの結婚生活で、マリリ ンは3回、流産を経験した。

「王子と踊り子」(1957)の撮影のあと、夫妻でロングアイランドのアマガン セットで暮らしていたころ、マリリンは身ごもった。妊娠6週目でニューヨー クのドクターズ・ホスピタルにかつぎこまれた。子宮外妊娠で、8月1日に人 工流産。

病院に運ばれたときのマリリンはブルーのパジャマ姿で、顔はブランケット で覆われていた。夫のミラーが付き添っていた。誰もが望みをかけていたが、 赤ん坊は助からなかった。退院時の写真が世界中に報道された。マリリンは救 急車の後部座席からカメラに笑って見せたが、むろん本物の笑顔ではなく、子 を失った悲しみで胸が張り裂けそうだったのだ。

マリリンがふたたび妊娠に気づいたのは、1958年9月、「お熱いのがお好き」 の撮影のときだった。健康状態にかなり気を配り、クスリや酒を控えていた。 が、撮影後の12月17日、ニューヨークのポリクリニック・ホスピタルで、ミラ ーとの子をまたも流産した。

妊娠3か月目に入っていたマリリンは悲しみに打ちのめされた。

1961年6月28日、マリリンはまた、ポリクリニック・ホスピタルに入院した。 今度は胆嚢摘出のためだった。ミラーと離婚、マリリンの生活に戻ってきたジ ョー・ディマジオが手術の前に立ち会い、7月11日の退院まで彼女のもとを訪 れている。
退院の日、200人のファンと報道陣が彼女を待ち受けていた。まだ、体力が回 復していないマリリンが車椅子で車に乗り込む間、もみくちゃにされた。

1962年6月、マリリンはふたたび妊娠、今度はジョン・F・ケネディ大統領の 子といわれている。週末の20日、シダーズ・オブ・ホスピタルで検査を受け、 中絶あるいは流産している。

マリリンが現実に出産していたのではないかという噂は絶えずあった。
だが、検死をしたトマス野口博士は私に断言した。
「子どもを産んだ形跡はありません」

マリリンは義理の子どもたち(ジョー・ディマジオ・ジュニア、ジェーン・ ミラー、ロバート・ミラー)をとてもかわいがっていた。
「私はこの子たちがとても自慢なの」

マリリンの最後の映画となった「女房は生きていた」(1962)でプールサイ ドで子どもたちと再会するシーンはほんとうに楽しそうだった。だれも演技だ とは思わなかった。