D - Andre de DIENES アンドレ・ド・ディーンズ
アンドレ・ド・ディーンズは疑いなく、マリリン・モンローを被写体にした
カメラマンの中で、もっとも優秀な一人だ。1945年から49年にかけての
数多くの作品は、マリリン・モンローの初期のドキュメントとして最高傑作で
ある。
1913年、旧ハンガリー領トランシルバニアに生まれ、ノーマ・ジーンを
連れてラスヴェガス、オレゴン、モハーヴェ砂漠、ヨセミテへと向かった。
ディーンズによると、このロケの間にふたつのことが起こった。ひとつはノ
ーマ・ジーンをポートランド、オレゴンに連れて行ったこと、ノーマ・ジーン
は母親のグラディス・ベーカーと再会したのだ。
ロケの間に起こった二つ目のことは、写真家ディーンズがモデルのノーマ・
ジーン・ドアティと恋に陥ちたことだった。
「彼女は広いベッドにすべりこんだ。そして私も。自然とそうなった。夜は私
たちのものだった。私への思い、信頼、感謝、崇拝、そしてすべてが融け合っ
て彼女は私に身を委ねた。すべてが飾りのない、すばらしいものだった。絹の
肌、しなやかな身体はやさしい愛撫にも激しさにも反応し、私たちは何度も求
め合った。不意に頬と頬が触れ合った瞬間、彼女が泣いているのが分かった」
ディーンズによると、二人は結婚するつもりだった。ニューヨークで彼と暮
らすために、ノーマ・ジーンは東部に引越してコロムビア大学で勉強しようと
思っていた。だが、いったんハリウッドに戻ると、ノーマ・ジーンは婚約を解
消した。 当然のことながら、ド・ディーンは取り乱した。
それでも、1949年にはニューヨークでの映画「ラヴ・ハピー」のプロモ
ートで、二人は再会することになるのだが、少なくとも、仕事としての関係だ
った。
そのころ、ディーンズはニューヨーク市郊外のトビー・ビーチで戯れるマリ
リンを撮っている。はちきれんばかりの若いマリリンの写真は、いまでは古典
となっている。
ディーンズがマリリンに最後に会ったのは、1961年6月1日、ベヴァリ
ーヒルズ・ホテル。
マリリンは35歳の誕生日を迎えていた。外科手術を受けたばかりで、さみし
げなマリリンだった。亡くなる1年前である。
ディーンは次のように書いている。
「彼女を引き寄せて、唇を求めた。私はどうしてよいか分からなかった。マリ
リンは泣きながら拒んでいた”お願いやめて! そんなことはイヤなの。みん
な私にはなんにも求めないでちょうだい”その目には涙があふれていた。私は
淫らな自分を恥じていた。自分が恥ずかしかった。私はサヨナラと言い、そっ
とその場をあとにした」
アンドレ・ド・ディーンズは、1985年4月11日、72歳で亡くなった。
翌年、マリリンとの愛を綴った「Marilyn Mon Amour」が刊行された。
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