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D - JOE DIMAGGIO ジョー・ディマジオ(2)

『七年目の浮気』のあの有名な「スカートのシーン」がマリリンとディマジオ の不和のもととなったことは、さまざまなかたちで言われてきた。  1954年9月、ニューヨークで撮影は行われた。地下鉄通風孔の上に立つ、マリ リンのスカートが耳まで風であおられるのを見て、野卑な声ではやしたてる何 千という見物人。その中に運悪くディマジオもいた。
 撮影後、マリリンとディマジオはホテルで大喧嘩をした。ディマジオはマリ リンをときどき殴るという噂が立ちはじめていた。この事件はその中のひとつ にすぎないのだと。

 ニューヨークでの撮影のあと、マリリンはロサンゼルスに戻り、離婚届を出 した。結婚生活は終わった。
 ほとんど終わった、といったほうがいいだろう。

 ディマジオは、最初からマリリンへの愛をすっかり放棄したのではないこと は明らかだった。
完璧な結婚ではなかったかもしれないが、愛が欠如しているものだったという 者はひとりもいないだろう。どんな理由であれ、探偵を雇いマリリンを尾行さ せていた。

 その結果、1954年11月5日に、最悪な「人違いの侵入」事件が起きた。数ヶ 月後、ディマジオは和解を試みた。

 1955年6月1日、ニューヨークでの『七年目の浮気』の初日に、ディマジオは 一歩譲って、マリリンをエスコートして姿を見せた。ディマジオが彼女をエス コートしてハリウッドがらみの場所に登場したのは、後にも先にもこのときだ けである。上映後、ディマジオはマリリンをなじみのトゥーツ・ショーに連れ ていった。彼女の29歳の誕生日ためにサプライジング・バースデイ・パーティ を考えていたのだった。

 しずれにしても、二人の仲は終わった。和解はできなかったのだ。1年後、 マリリンは劇作家のアーサー・ミラーと結婚した。

 1960年から61年にかけて、マリリンとディマジオはよりを戻している。マリ リンはディマジオに会うためにセント・ペテルスブルグ、フロリダに行った。  ディマジオはマリリンを伴ってニューヨークに演劇を観に行っている。  ハリウッドに戻ると、マリリンはディマジオのために紅茶を入れてあげた。  インタビューを受けるときや友だちに話すとき、マリリンはディマジオのこ とを「MR.D」「私の前の前の彼」と言っていた。

 ディマジオはマリリンが亡くなる最後の月、自分のパジャマを送っていた。  寝るときに着ていたいという彼女のために。

ディマジオとマリリンの関係は、運命にもてあそばれるようなところがあった。 何年にもわたって実らぬ恋のままだった。

 1962年8月5日、マリリンが遺体となって発見されたとき、その場に立ち会っ たのはディマジオだった。葬儀をとりしきり、ハリウッドの見世物となるのを 拒んだのもディマジオである。  葬儀で泣き崩れ、マリリンに「愛してる、愛してる、愛してる」と別れを告 げた。  そして黒い花瓶に薔薇の花を飾り、「1週間に2度・・・いつまでも」マリリ ンの墓に新しい花を届けるようにしたのは、ディマジオだった。

 だが、ディマジオがマリリンと交わした最大の誓約は、彼女の死後25年、 二人の離婚から33年の間に、再婚をしなかったという事実である。  さらにマリリンのことを語ったり、利用したりすることはいっさいしなかっ た。彼は自伝を書いたり、二人の関係を暴露しなかったたったひとりの夫であ った。
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