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JIM DOUGHERTY ジム・ドアティ(2)
ジム・ドアティが船員になったことが誤りだった。
夫が戦地にいるあいだ、ノーマ・ジーンはモデルになった。
カメラマン、エージェント、エージェント気取りの人間、広告会社の重役など
にあった。
これまでジム・ドアティの妻として会っていた人々とはまったく異なるハリウ
ッドタイプの人間ばかりだった。わくわくする新しい世界が彼女を待っていた。
賽は投げられたのだ。
1950年には、悲しい、胸を刺すような運命のいたずらがあった。ジム・ド
アティ(当時警察官)はロサンゼルスの市警察本部から『アスファルト・ジャ
ングル』のプリミエに参加するスターたちを警護する任務を受け
た。ドアティの仕事はグラウマンズ・エジプシャン・シアターに群がるファン
をバリケードで阻止することだった。幸いなことにマリリンは姿を現さなかっ
た。
1953年、ドアティは『フォトプレイ』誌に記事を載せた。タイトルは「マ
リリン・モンローは私の妻だった」という低俗なものだった。
「マリリン・モンローと私は4年間の結婚生活を送った。、もし、そのまま続
いていたら、いまの私はミスター・モンローになっていただろう。私は現在の
状態のほうが気にいっている。再婚して、3人の亜麻色の髪の娘たちにも恵ま
れた。ヴァンナイズ警察隊の警備の職に就いている。4人の女性たちは我が家
という船の暮らしに満足しており、私はその舵取りの役目を果たしているのだ。
私が船長で、妻は一等航海士。私には自慢できる仲間がいる」
1972年になると、ドアティの一等航海士は、その船から降りることになる。
1976年、ノーマ・ジーンとの破局から3年後、ドアティは『マリリン・モ
ンローとの秘密の幸せ』という本を出版した。
その年、ドアティはアリゾナにわたり、そこで3人目の妻リタと暮らすことに
なる。
1984年、ドアティは退職後、メーン州に住んでいる。
ジム・ドアティはマリリンの死を友人のジャック・クレモンズ巡査部長から聞
いた。
1962年8月5日の早朝、マリリン・モンローのブレントウッドの家からク
レモンズはジムに電話をかけた。
知らせを受けたドアティは、受話器を置くと妻にこう言った。
「ノーマ・ジーンのために祈ってくれ」
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