究極のマリリン・モンロー A-Z(メルマガ)
週に1度、マリリン・モンローの情報をお届けします。
メールマガジンの申し込みは、こちらです(melma!)
「妻は生きている」
究極のマリリン・
モンローA-Z
愛に生きる伝説の
女たち
聖林百話
新ボストンに友情あり
マリリンの素顔
元祖・雑学の悦楽
(Significa) NEW

メルマガ登録 NEW
最新情報
PROFILE(プロフィール)
ご意見・ご感想
リンク集
smile@ainoue.com
TOPに戻る
web KADOKAWA

連載中

モバイル版はこちら


( 28 )

  JOHNNY HYDE ジョニー・ハイド


マリリン・モンローを世に出した男。マリリン自身もそのことを認めている。
ジョニー・ハイドがいなかったら、マリリン・モンローは存在しなかっただろ う。ロシア人軽業師の息子として生まれる。1949年、パームスプリングの ラケットクラブでマリリンに出会ったとき、53歳のハイドには家族があった。 長年連れ添った妻、モーゼル・クラヴェンス・ハイドと4人の息子たち。

ハイドはハリウッドで最高のエージェントだった。手がけた大物は、リタ・ヘ イワース、ベティ・ハットン、ボブ・ホープ、エスター・ウィリアムズ、ラナ ・ターナなど。ハリウッド最大のウィリアム・モリス・エイジェンシーで副社 長の地位にあった。ハイドは”心臓”に持病をもっていて、たびたび発作を起 こしていた。

マリリンは22歳、女優のタマゴでいつもひもじい思いをして、住むところさ えなかった。
マリリンがハイドの愛人になったことは誰の目にも明らかだった。彼ののめり こみようは尋常ではなかった。
エージェント、マネジャー、アドヴァイザー、親友、教師、人生の先輩そして 愛人として、どんなときでもマリリンといっしょだった。
マリリンのご機嫌をとり、結婚を迫った。マリリンはイエスとは言わなかった。 愛してはいたが、恋してはいなかったから。

ハイドは妻を残して、ビヴァリーヒルズのノース・パームドライヴに家を用意 した。この家で暮らすようになるが、マリリンは結婚は考えてはいなかった。 結婚してくれれば、財産を相続させるとハイドは迫ったが、マリリンは受け入 れなかった。

ハイドはジョン・ヒューストン監督の『アスファルト・ジャングル』(19 50)の役をマリリンのために手に入れた。
この作品で成功を収めたのち、ジョー・マンキーウィッツ監督の『イヴの総て』 (1050)も獲得。この2作品のヒットで、ハイドは20世紀フォックスと の契約に乗り込んだ。

「きみはものすごい女優になるんだよ」と予言した結末を見ることはなかった が、ハイドは愛する女のために生きた。

一覧に戻る


■究極のマリリン・モンロー A-Z
メールマガジン 登録:
このサイトはIE4.0以降のブラウザでご覧ください
Copyright (C)Atsuo Inoue 1998-2004 無断転載禁ず
このページはリンク設定自由ですが、
リンクを設定した旨を電子メールにてお伝えください。
書籍を購入される方は、
書籍名で検索してください→


This site powered by H.ozaki