「究極のマリリン・モンロー A-Z 」 ( 30 )
JOHN F.KENNEDY(ジョン・F・ケネディ)(1)
「彼の腰の痛みを治してあげるの」
「大統領と寝たの」(マリリン)
スパングルのドレスを身につけ、シャンパンを何杯も飲んだブロンドのマリリ
ン・モンローがセクシーな声でささやくように『ハピー・バースデイ』と『サ
ンクス・フォー・メモリー』を歌う姿は人々の注目を浴びた。
1962年5月、マディソン・スクエア・ガーデンでのジョン・F・ケネディ
大統領の誕生パーティ。
ほとんど知られていないが、マリリンとケネディとの関係は1950年代の初
め、ケネディが上院議員のころからで、関係は大統領になってからも続いてい
たのだといわれている。
1954年10月、ケネディが入院していたとき、マリリンのポスターがベッ
ドの頭の側に飾られていた。
ポスターのマリリンはブルーのショートパンツで脚を広げていた。脚が宙に突
き出るように、ケネディはそのポスターを逆さに貼っていたという。
1963年11月12日の暗殺から40年を経た今日では、ケネディの独身時
代、さらに結婚してから、大統領就任以前から任期中の女性関係がかなり明ら
かになっている。
「若いうちにできるだけ女を知っておけ」と父は言っていた、とケネディはク
レア・ブース・ルイス(米の女流劇作家・政治家)に語っている。
「ケネディとデートをした女性記者のナンシー・ディカーソンは『彼に夢中に
ならない女なんていないわ。でも、彼にとってセックスはコーヒーのおかわり
やデザートと言ったものなの。ケネディにとってセックスは愛がなくても成り
立つものだった」
(アンソニー・サマーズ著『女神 マリリン・モンロー』)
1960年の大統領のキャンペーンの間(偶然にもマリリンとアーサー・ミラ
ーとの結婚が破綻した時期と一致)、マリリンはケネディと関係をもっていた。
同じ年の6月、ロマノフでのパーティで、次期大統領に伴うマリリンの姿があ
った。ニューヨークのカーライル・ホテルにあるケネディのペントハウスに足
繁くかようのも目撃されている。
1962年3月24日、ビング・クロスビーのパームスプリング・ホームにケ
ネディと現れているところも目撃されている。
サンタモニカにあるピーター・ローフォードの別荘にもマリリンはしばしば訪
れている。ここは1960年代の初め、ケネディ家のロサンゼルスでの根拠地
ともいうべき場所だった。
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