「究極のマリリン・モンロー A-Z 」 ( 33 )
ROBERT F・ KENNEDY ロバート・ケネディ(2)
マリリンとケネディ司法長官との出逢いは、1961年にサンタモニカでのピーター・ローフォードのディナー
パーティだった。1962年5月のマディソン・スクエア・ガーデンでのケネディ大統領の誕生パーティで二人は知り合ったという説もある。いずれにしても、マリリンとロバートの関係は1962年、マリリンの死の何ヶ月か前のことだった。
1962年6月26日、マリリンはロバート・ケネディのために開かれたローフォード家でのパーティに顔を出している。彼女はそのとき、2時間半遅れてやってきた。翌日、ケネディはマリリンのブレントウッドの家を訪れている。
1962年6月、ロバート・ケネディ司法長官が所属するワシントンDCの法務省にマリリンはたびたび電話をかけた(電話番号:RE7−8200)
「ボビー(ロバート)が電話にも出てくれないし、かけてもくれないの」とマリリンは作家で元恋人のボブ・スラッツアーに打ち明けている。
1962年8月3日、ロバート・ケネディは飛行機でサンフランシスコに向かった。マリリンはやっと彼と連絡がとれたようだった。8月4日にはケネディはロサンゼルスに向けて発っている。ロサンゼルス前市長サム・ヨーティによると、「ボビーはどこか他の場所にいたと思われている・・・ビバリー・ヒルトトンホテル
にいたことになっている」
1985年に、マリリンの家政婦だったユーニス・マレー夫人が、マリリンが亡くなった日の午後、ボビーがブレントウッドのマリリンの家にいたことを認めた。
その後のことは、今日でもまだ明らかになっていない。わかっているのは、8月4日の日の遅く、マリリンがローフォードの家に電話をかけたこと。そしてその何時間後に彼女が亡くなったということだ。
マリリンを「殺害」したのはケネディだという者もいれば、マリリンの死にまつわる状況を隠蔽したのだという者もいる。ピーター・ローフォードの前妻、デボラ・グールドによると、マリリンの死の発表が遅れたのは、ケネディ家の名を守るためにケネディが町から姿をくらます時間かせぎだったからだという。
ケネディはヘリコプターでローフォードの別荘からサンタモニカ空港まで飛び、さらにサンフランシスコまで飛んだとデボラは語っている。
1965年、ジョー・ディマジオがヤンキーススタジアムで行われたミッキー・マントルの引退試合に姿を見せたとき、同じく招待されたロバート・ケネディの握手を拒んだ。ディマジオはマリリンの死は、ロバートが関係していると思っていた。
マリリンの死からほぼ6年後の1968年6月5日、ロバート・ケネディはアンバサダー・ホテルのエンバシー・ルームで暗殺された。
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