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EUNICE MURRAY ユーニス・マレー( 2 )
マリリンの死後、ユーニス・マレーはヨーロッパに発った。滞在は6カ月だっ
たといわれているが、マレー自身はほんの6週間だったと言う。
何年もの間、あるひとつの疑問がくりかえし持ち出されてきた。マリリンの
寝室のドアとカーペットの間には明かりがもれる隙間がないのに、ユーニス・
マレーはどうして明かりがただごとではないと思ったのか? 1975年に著
した彼女の本で、まっさきにおかしいと思ったのは明かりではなく、ドアの下
を這っている電話コードだったとして、この疑問に初めて答えている。
そして1985年には、ユーニス・マレーは再び供述を翻し、論議をかもし
出した。その時点まで、マレー夫人は、8月4日にはロバート・ケネディはマ
リリンのブレントウッドの家の近くにはいなかったと断言していた。1985
年、BBCのドキュメンタリー番組『マリリン・モンローの最後の日々』で、マ
レー夫人はカメラに向かい、マリリンが亡くなった日の午後、ケネディは確か
にマリリンの家にいたと告白した。
しかし、マレー夫人はその後、この話に関してはいっさい語ろうとはしなか
った。
「私は82歳なんです。ときどき、何もかもわからなくなるんです」
こうして、マレー夫人のつじつまの合わない話のために、マリリン・モンロ
ーの死は謎に包まれたままだ。もちろん、マレー夫人は現実に証言台に立った
わけではない。マリリン・モンローの死因が審問にかけられることはなかった
のだから。
フレッド・ローレンス・ガイルズはその著書『マリリン・モンローの生涯』
の補遺で次のように述べている。
「7月の終わりには、マリリンはマレー夫人に暇を出してみようかと考えてい
た。以前に家政婦をしていた黒人のフローレンス・トーマスに戻ってこないか
と頼んだ。マレー夫人と交替するのだとフローレンスは信じた」
1962年にはロバート・E・バイロン巡査部長が興味深い報告をしている。
「マレー夫人が、この時期のミス・モンローの行動に関係ある質問にあいまい
な、言い逃れのような答えかたをしていたというのは、この警察官の考えであ
る。故意によるものか、そうでないかは誰にもわからない」
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