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  ARTHUR MILLER(アーサー・ミラー)(2)

 1956年2月、マリリンはハリウッドに戻った。スタジオとの新しい契約、そ して新たな結婚のために。
長距離電話をかけていたといわれる。

 マリリンはアーサーのことを”Mr.A”と言っていた。2,3ヶ月後の4月、” Mr.A”は離婚の手続きのためにリノに発った。

 妻と別れたあとで、ミラーは公式に次のように述べた。
「1951年、ハリウッドで私はマリリンに会った。友人の家でしばしば彼女を目 にした。だが、2人きりで会ったことはなかった。だから、ロマンス(ロマン ティックな恋物語)では断じてない」

 1956年6月11日、アーサー・ミラーは妻メアリー・スラッタリーとの離婚が 認められた。ニューヨークに戻って、マリリンと合流した。『バス停留所』の 撮影は終わっていた。
 数日後の6月20日、『ニューヨーク・ポスト』紙はマリリンとアーサーが7月 16日までには結婚するだろうという記事を報道した。その日はマリリンの予定 では『王子と踊り子』の撮影のためにロンドンに発つことになっていた。

 翌日(6月21日)ワシントンDCではミラーはマリリンと夫婦になることを認め た。

 ミラーは言った。
「マリリンはロンドンにミラー夫人として行くことになる」

 予想どおり、このニュースは世界中を沸き立たせた。人々はこの思いもよら ぬカップルを「インテリとグラマー」と呼んだ。

 ミラーとモンローはマスコミの攻勢を受けた。
 ミラーはある記者にこう言った。
「きみたちの仕事対私のプライバシー。情け容赦ない利害の衝突である」

 2人を追い回している間に事故で、ある女性記者が亡くなった。2人はこうし た騒ぎに終止符を打つことを決めた。
 6月29日に(宗教儀式によらず公吏の執行による)役所結婚を7月1日にユダ ヤ教による結婚式を行った。

「私がただお頭の弱いブロンドだったら、彼は私と結婚しようと思わなかった でしょう」
(マリリン)

 そして舞台はイギリスへと。アーサー・ミラーがマリリンの仕事を管理し始 めたのは『王子と踊り子』の撮影中のことだった。これが当時マリリン・プロ ダクションの副社長のミルトン・グリーンと真っ向から対立するきっかけとな った。
(この項続く)


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