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ARTHUR MILLER(アーサー・ミラー)(3)
妻がカメラの被写体になることに、とやかく口を出す権限はミラーにはまだ
なかった。
自分の悪口を書いているミラーの日記をマリリンが見つけたのもちょうど、そ
の頃だった。
日記によるとミラーは新妻に失望していたようだ。マリリンはおそらくたいへ
んなショックを受け、ミラーの言葉に裏切られたような気がしたことだろう。
何年もののち、マリリリンは家政婦で友だちでもあるユーニス・マレー夫人
に打ち明けている。
「ある日、私のことが書かれてある日記を見つけたの。2人の私生活がなんで
もかんでも書かれていた。愛していると言ってくれる男の人に、どうしてそん
なことができるのかしら」
ストラスバーグ・ファミリーを含めるマリリンの何人かの友だちは、この日
記の一件がミラー夫妻の新婚生活が破綻していく始まりだったと振り返る。
その後、まもなく2人はアメリカに戻り、マリリンは妊娠していることを知
った。ロングアイランドのアマガンセットにあるレンタルの隠れ家に滞在して
いる間、マリリンは併発症にかかり、ニューヨーク市の病院に駆け込んだ。そ
して流産。
この悲しい出来事からアーサー・ミラーは『荒馬と女』を愛する妻のために
書き始めた。
これ以前にミラーはマリリンを主人公にした”Please Don't kill Anything”
を書いていた。
また、この頃著した戯曲集の扉には”MMに捧ぐ”とだけある。
その後の何ヶ月かは夫妻はニューヨーク東57丁目のアパートメントとコネ
ティカット州ロックスベリーの避暑地で暮らした。
1958年、そして1960年とミラー夫妻はハリウッドに飛んだ。『お熱
いのがお好き』と『恋をしましょう』の撮影のためだった。
ピューリッツア賞受賞者のミラーが脚本の改訂版を書くことを余儀なくされ
たのは、”愛”のためだった。マリリンの要請だったのだ。
「マリリン・モンローという存在が、アーサー・ミラー夫妻の妨げにならない
ようにと私は自分に誓っていた」
(マリリン・モンロー)
(この項続く)
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