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NUDITY ヌード(2)
マリリンがヌードで登場するのは(ベッドシーツとかの類で体を覆ってはいる
が)次の映画。
*『ナイアガラ』(1953)
初めてのヌードを披露した映画。ベッドと、シャワーのシーン。
当時、マリリンは自分のヌードを「リアリズム」と言った。
*『バス停留所』(1956)
チェリーの役。朝のベッドシーンでのヌード。
*『荒馬と女』(1961)
朝、クラーク・ゲーブルとのベッドシーンのあとで、裸のままベ
ッドに横たわっているマリリンのまわりをゲーブルが歩き回る。
このシーンは7回撮り直され、体を包んでいるシーツがはずれ、
片方の乳房が露わになった。マリリンが激しく抵抗したのにもか
かわらず、ジョン・ヒューストン監督はそれを採用した。
*『女房は生きていた』(1962)
1962年5月28日、20世紀フォックスのステージ14で、マリリ
ンは最後のヌードとなるシーンを撮った。プールの彼女は肌色の
水着を着ていた。
水着を脱ぎ捨てて、犬かきをするマリリン。ローレンス・スチラー
と他の二人のカメラマン。モノクロ40枚とカラー12枚を撮る。それ
らの写真は32ヵ国で発表された。マリリン・モンロー最後の輝きと
なった。この写真で一儲けしたのはローレンス・スチラーだった。
*ロバート・スラッツアーによると、MMはナルシスト、全身用の鏡の前に何時
間も、裸のままで立っていた。
* レナ・ペピトーン(家政婦)によると、ニューヨーク、東57丁目のアパートメン
トでのマリリンは洋服を着ていることはめったになかった・・・客がいる
ときでさえも。
* ユーニス・マレーや他の人々の証言によると、マリリンは寝るときは裸だった。
ブラジャーはつけていたとノーマン・メイラーは言っているが。
* 1946年から1950年の間、ノーマ・ジーン・ドアティはイラストレーターの
アール・モランのヌードモデルとなったことがあった。作品は1987年にな
って、『プレイボーイ』誌1月号でようやく日の目を見ることとなった。
* 1949年、カメラマン、トム・ケリーのモデルとなり、紅いベルベットの上
でポーズをとった。
* 1960、1961年、カメラマン、イヴ・アーノルドのモデルで、セミヌードと
なる。
* 1962年、カメラマン、バート・スタインのモデルとしてヌード、セミヌー
ドとなる。
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