「究極のマリリン・モンロー A-Z 」 ( 59 )
LOUELLA PARSONS(コラムニスト)
「貴女とスケンク氏はハリウッドでの初めてのお友だちよ、けっして忘れない
わ」
マリリン・モンロー、ルエラ・パーソンズに。
ハリウッドの女家長、ルエラ・パーソンズは、1881年8月6日、イリノ
イ州フリーポートにルエラ・アーティンガーとして生まれる。好敵手のヘッダ・
ホッパーとともに、ハリウッドの映画史において、絶大な権力を握るコラムニ
スト、オブザーバーとなった。
ルエラ・パーソンズはマリリン・モンローの成功と名声に少なからず起因し
たコラムニストでもあった。パーソンズ女史はMMを常に気遣い、何年にもわた
って『ヘラルド・エグザミナー』紙のゴシップ欄でマリリンを評価してきた。
『紳士は金髪がお好き』(1953)以前にすでに、マリリンを「映画界でナンバ
ーワンのセクシーガール」と太鼓判を押していた。これには誰も反発できなか
った。
それ以来、マリリンは問題が持ち上がると、ルエラ・パーソンズのもとへ駆
け込んだ。1953年に、リトゥル・ミス・モラリティのジョーン・クロフォ
ードから攻撃を受けたとき、MMは、パーソンズのコラムを借りてこれに応じた。
2年後、フォックス社との契約問題でもめたときも、マリリンはルエラ・パ
ーソンズに援助を求めている。
人々の共感を得、支持してもらおうと、MMは謙虚に自分の気持ちを示した。
「20世紀フォックス社の映画に出たくないと言ったことはありません。『七年
目の浮気』は私のこれまでの映画の中で最高のものだと思っています。ビリー
・ワイルダー監督との仕事は楽しかったし、いろいろなことを学びました。私
には支えてくれる人が必要、監督にはとても助けてもらいました。私はミュー
ジカル、コメディやドラマをやってみたいのです・・・・・いわゆる重苦しい
ドラマというのではなく」
ルエラ・パーソンズは1972年12月9日に亡くなった。彼女の死とともに、
ハリウッドのひとつの時代が終わりを告げた。
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