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キャロル・ロンバード(女優)Carole Lombard 
1908.10.6−−1942.1.6

おてんば tomboy


「私は男の世界にかなうような男の流儀にそ って生きているけれど、女の一番のつとめ、 似合う口紅の色を選ぶことも忘れない」
 女優キャロル・ロンバードは、ハリウッド きっての「ソフィスティケイテッド・コメデ ィアンヌ」といわれた。
 美貌で、若々しく、インタビュ−ではいつ も気のきいたセリフで話題をさらった。その 彼女が大スタ−のクラーク・ゲーブルと恋に 落ちた。もともと無口で頑なゲ−ブルは小柄 でプラティナ・ブロンドの女優の魅力に惹か れた。ロンバ−ドのあっけらかんとしたエロ ティシズムと、いささか品の悪いユ−モアに まいってしまったのである。
 たちまち「世紀のロマンス」と大いに話題 になった。
 彼女は茶目っ気を次々と発揮した。あると きなどはゲーブルのペニスのサイズに合わせ た防寒カバーを作って彼の楽屋に届けた。 「冷やさないで、温かくして私のもとに戻っ てきてね」
 というアツアツのメッセ−ジを添えるのを 忘れなかった。
 ハリウッドのチャイニーズ・シアタ−の前 で「手形だけじゃなくて、クラ−クのコック の形も残したいわ」と言ってファンをあ然と させたこともある。
 二人が付き合い始めたころ、ヴァレンタイ ン・デ−の日、クラ−クが車庫を開けると、 T型フォ−ドが置いてある。
「あっ」
 と思わず、彼は声をあげて驚いた。
 車体いっぱいに赤いハ−トのマ−クが描か れていた。
「愛しているわ、クラ−ク」
 クラーク・ゲーブルといえば、一九三〇年 代から六〇年代にかけて活躍した。とくに『 風と共に去りぬ』のレット・バトラー役で大 スターの座を得て”キング”と呼ばれた大物 俳優である。しかしロンバードにとってはた だの男だった。
「私は彼を愛しているけれど、でも彼はセッ クスが弱いのよ」と暴露して世間の顰蹙(ひ んしゅく)をかったこともある。
 また、ロンバードはゲーブルのお供をして 、魚釣りや狩りなどどこにでも出かけた。野 宿はもちろん、狩りに使うブラインド(隠れ 場)の中でセックスするのを楽しんだ。もっ とも、結婚生活に入ると見違えるほどおとな しく、しかも従順になった。かつて記者会見 で「ゲーブルは仮性包茎なのよ」と馬鹿なこ とを言った同じ人物とは思えないほど変身し た。
「ハリウッドの好ましいカップル」にとって 唯一の不満は、子どもに恵まれないことだっ た。
 友人によれば「人間に可能なかぎりの体位 を試していた。妊娠するからやってごらんと いえば、窓からぶらさがってセックスしたわ よ」というほどだった。
 キャロル・ロンバ−ドは一九〇八年十月、 インディアナ州フォ−ト・ウエインに生まれ た。本名をジェ−ン・アリス・ピ−タ−スと いい、イングランド系とスコットランド系の 両親のもとに生まれた。幼いときに両親は離 婚し、母、兄とともにロサンゼルスに移った 。近所に映画監督がいて、ときおり遊びにく る恵まれた環境にあった。
 一九二一年、子役として、ハイスク−ルと ドラマ・スク−ルに学び、チャップリンの『 黄金狂時代』のテストを受けたが合格しなか った。
 一九二五年、フォックスのテストも受ける ときに、名前をキャロル・ロンバ−ドと改め て、『マリッジ・イン・トランジット』(日 本未公開)と『勇敢果敢』に出演したが、そ の直後、自動車事故で頬に傷を作り、せっか くのフォックスとの五年間の契約を反故にさ れた。そこで、マック・セネットが喜劇で売 り物にした”水着の美女たち”(ベ−ジング ・ビュ−ティ−ズ”に起用され、数本の喜劇 に出た。
 一九二八年、『完全犯罪』で小さな役を得 て、三〇年パラマウントに移り、『令嬢暴力 団』が同社での第一作目となった。
 翌年、ウィリアム・パウエル主演作品に二 本共演し、すぐに結婚したが、パウエル三十 八歳、キャロル二十一歳という年齢の不釣り 合いから二年で離婚した。
 美人で、セクシ−なので、映画会社は彼女 にふさわしい役を求めたが、彼女はいつもは ぐらかしてしまった。
「もっと唇をとがらせて」
「イヤ−ダ」
 監督も吹き出してしまう有り様だった。  彼女につけられたあだ名はおてんば(トム ボ−イ)。
『恋を喰べる女』『街で拾った女』『ギャン グの花嫁』など、コメディエンヌとしての力 量を十二分に発揮した。
 ビング・クロスビ−は女優キャロル・ロン バ−ドを「彼女のように美人で、ユ−モアの センスのある、ソフィスティケイテッド・コ メディエンヌ(知的なコメディ女優)はいな い」と評した。身長は百五十八センチと小柄 だったが、実際より大きく見えた。
「いいわよ、おっぱいもってきて」
 衣装係にロンバ−ドは言った。
 ロンバ−ドの胸は貧弱だったので、撮影で パッドを使うことがよくあった。
 美人はいくらでもいるが、彼女のようにユ −モア・センスのある女性は少ない。
 当時、ゲ−ブルは別居中とはいえ、リア・ ランハムと結婚していたので、不倫だと、マ スコミの攻撃を受けた。マスコミの批判に絶 えきれず、二人はハリウッドを去る覚悟まで した。
 しかし、ついに二人は一九三九年三月二十 九日に、ひっそりと結婚式を挙げた。
「マ−(かあちゃん)」「パ−(とうちゃん )」
 お互いの呼び方も、周囲が気恥ずかしくな るような仲睦まじさだった。
「ハリウッド一の幸せカップル」
 と呼ばれた。
 しかし、幸福は長く続かなかった。
 日本の真珠湾攻撃を受けて、アメリカが参 戦したのだった。ロンバ−ドはアメリカ国民 が戦時国債を買って戦争を勝利に導く運動に 乗り出した。
 一九四二年一月六日、国債公募運動のため に、ロンバ−ドは母とマネ−ジャ−とインデ ィアナポリスからTWA機に乗った。サンフ ェルナンド・バレ−の自宅に戻る途中、ラス ヴェガス近郊で小型飛行機がテ−ブル・ロッ ク・マウンテンに墜落。母、ゲーブルのマネ −ジャ−とともに死亡したのだ。
 まだ、三十三歳の若さであった。
「出発する前に、ねえ、みんなもVサインを 一緒にやってよ」
 そう言って手をあげてVサインをすると、 群衆の歓声に応えてにっこりと笑ったのが彼 女の最後の姿だった。
 失意のどん底に突き落とされたゲ−ブルは 愛妻の遺体が埋葬されるとき、とぎれとぎれ にこう語った。
「私のマ−は遠くに行ってしまった」
 しばらくは、もぬけの殻のような生活が続 いた。
 ゲ−ブルが五回目の、つまり最後の結婚を したのは、五十四歳のときのことだ。彼より 十歳年下で、キャロル・ロンバ−ドに生き写 しの女優、ケイ・スプル−クルズだったこと からも、いかに彼が彼女を愛していたかがわ かる。
「私は映画を楽しんでやってきた」
 とロンバ−ドは言う。
 人生を楽しんで、周囲の人びとを楽しくさ せたが、その幸福はあまりにも短かかった。
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