ジャクリ−ン・ケネディ・オナシス(元米国大統領夫人)
Jacqueline Kennedy Onassis
1929.7.28−−1994.5.24
打算 selfish
「いいかい、男はスキあらば、つけこもうと
しているんだ、自分から絶対に好きだと言っ
てはいかん。愛を告白するな」
この父の忠告を娘は忠実に守り続ける。
ジャクリーン・ブーヴィエは一九二九年七
月、ニューヨークに生まれた。父ジャックは
株式の仲買人。プレイボーイで顔が浅黒かっ
たので、”ブラック・ジャック”と呼ばれて
いた。母はほっそりとした小柄なブルネット
美人だった。父は「酒癖が悪く、浪費家」で
家庭を崩壊させたが、娘にはとても良い父だ
った。
やがて十一歳のときに両親は離婚して、ジ
ャクリ−ヌ(ジャッキー)と妹のリーは継父
を迎えている。はるか後年ジャッキ−とJF
Kとの結婚式直前に、父は酔っぱらい、式の
出席を母に拒否された。
その父はジャッキ−の手紙に感涙にむせん
だ。
「パパのことはいつも思っています。花嫁の
付添い役はパパ以外にいなかったのです」
黒目がちで、黒っぽい髪、みんな父親に生き
写しだ。
ジャッキ−は子どものころから利発でおて
んばで、現実的だった。高校の卒業アルバム
には「普通の主婦にはなりたくない」と書い
ている。
将来何になりたいかと聞かれると「サーカ
スの女王」と答え、芝居をやるといつも「女
王様やお姫様の役」を当然のように演じてい
た。名門女子大のヴァッサーに入ると勉強だ
けでなく、デートもしていたのに、クラスメ
ートにも気づかれなかった。一方で、フラン
スに留学をしたり、一九四七年には、その年
に社交界にデビュ−した女性のなかでナンバ
−ワン”デビュタント・オブ・ジ・イヤ−”
に選ばれている。
「あの人たちはつまらない。尊敬できないん
ですもの」と甘ったるい声を出してうぶな乙
女のように振る舞うのを得意とした。
また、デ−トの相手に家まで送らせるとタ
クシーの運転手に「メーターはそのままにし
ておいて」と言う。この一言で男たちは中に
は入れてもらえないことを知るのだった。
ジャッキ−がジョン・F・ケネディに心を
動かされたのは、たった一つの言葉だった。
「きみと一緒にいたい」
これは恋人時代のケネディがバミュ−ダ(
南大西洋上の諸島)にいるジャッキ−に送っ
た手紙のなかの言葉だが、花束も贈らない彼
にしては珍しく甘い内容だった。
エリザベス二世の戴冠式の撮影のためロン
ドンにいたジャッキ−に、ケネディは電報を
打った。
「きみの記事は素晴らしかったけれど、きみ
がいないのは淋しい」
一九五三年九月十二日、ロ−ドアイランド
州ニュ−ポ−トで結婚式を挙げた。結婚式当
日、ジャッキ−は花嫁の幸せのお守りである
”サムシング・ボロ−”(何か借り物)と”
サムシング・ブル−”(青い物)として母の
レ−スのハンカチを握りしめ、青いガ−タ−
を身につけていた。
新郎の上院議員のJFKは、三十六歳、新
婦は二十四歳。夫は七年後に、米国最年少の
大統領になる。
「時代の潮流にいる男が好き。私もそのなか
でドラマを演じられる」という少女からの夢
がついに実現したのである。
だが、夫の女癖の悪さは想像を絶していた
。「ジッパ−を下ろしたまま歩いている」よ
うな男だった。片っ端から女性に手をつけた
。女優はいうに及ばず、マフィアの情婦、秘
書、ベビーシッターまで。ときには父ジョセ
フや弟ロバート(司法長官)と獲得した女性
の数を競ったほどだ。
ジャッキーの髪はブルーネットなのにJF
Kが好きなのはブロンド女性だった。
身辺を預かる護衛官は部屋のあちらこちら
に落ちているさまざまなブロンドの髪の毛や
ヘアに閉口した。ブルネットにしてくれれば
楽なのにと嘆いた。
護衛官と無線で連絡を取りながらジャッキ
−が外出先から帰るのを待ち、大統領は「あ
と五分、あと三分、一分三十秒」とセックス
に励んだこともある。
ホワイトハウスは不倫の館と化していた。
あるとき、メイドがベッドの下に落ちていた
黒いシルクのパンティをジャッキーのものと
思い渡した。彼女は夫を皮肉った。
「これは私のサイズではありません。持ち主
にお戻しください」
父ジョセフは百万ドルをジャッキーに渡し
た。ジャッキーは百万ドルで貞淑な大統領夫
人の役を演じることにした。この名演技は女
優マリリン・モンローにも負けなかった。一
九六二年、ケネディに熱をあげていたモンロ
ーがジャッキーに二人の関係を打ち明けたと
きのことだ。
「譲ってあげてもいいけれど、あなたにこの
大統領夫人の役ができて?」
ジャッキ−を悲劇のヒロインにしたのは一
九六三年十一月二十二日ダラスの空を引き裂
いたケネディ暗殺だろう。血で染まったピン
クのスーツを着たま憲法の規定によって、た
だちに副大統領から昇格したジョンソンの大
統領就任宣誓式に立会い、葬儀での息子、ジ
ョンが亡き父の柩に向かって「敬礼」をさせ
た。こうしてジャッキーはケネディ神話のヒ
ロインになった。
その神話が崩れたのはギリシアの海運王、
アリストートル・オナシスとの再婚、三十九
歳のときだ。アメリカ国民の多くがガマ蛙の
ような顔をした三十歳も年上の男との結婚に
猛反対した。ケネディ家の名誉のためにも義
弟ロバートはオナシスと結婚しないでくれと
懇願した。
だが、ジャッキーはこう言った。「ケネデ
ィ家を売るのも私の自由よ。化石のままじゃ
イヤ」。お金はありあまるほどあるが、社交
界で自慢できるものがほしい金持ち男。財産
目当ての元ファーストレディ。二人の打算は
みごとなほど合致した。ギリシアのスコルピ
オス島で結婚式は行われたが、男は百二十万
ドルの結婚指輪を贈り、お小遣いとして三百
万ドルの小切手を銀行口座に振り込んだ。
新郎は親子ほど歳のちがう花嫁にいつも小
さなプレゼントを忘れなかった。ある日の朝
は、ロールパンのなかに真珠がはさんであっ
たりした。四十歳の誕生日には推定百万ドル
の四〇・四二カラットの(一歳につき一カラ
ットの計算)ダイヤモンドの指輪と人類初の
アポロ十一号型の宝石のイヤリング。「今度
は本物の月をくれるっていうのよ」と彼女は
笑った。買い物は値段を気にせず、指をさす
だけでよかった。
オナシスは友人に電話して「昨夜は四回、
朝は二回したよ」と性生活を自慢していた。
が、その一方で、この大富豪は恋人でオペラ
歌手マリア・カラスとも切れていなかった。
カラスは「愛というのは結婚しないときのほ
うがすばらしいのよ」とジャッキーを機会あ
るごとに攻撃した。
「彼女は私が出会ったなかで、一番欲得ずく
の人です」
オナシスの娘クリスティーヌはそう酷評し
た。
ジャッキーが四十五歳のときオナシスは亡
くなった。
晩年の彼女は編集者としてニューヨークに
移り住んだ。モーリス・テンペルズマンとい
う既婚の宝石商と暮らし、以来マスコミを避
けて静かな生活を送った。彼女は死に臨んで
も自己を忘れてはいなかった。リンパ腺がん
の延命治療を断わり、尊厳死を選んだ。六十
四歳。
一九九四年五月二十四日、ワシントン郊外
のアーリントン国立墓地。新しい柩はJFK
の隣に収められた。墓前に灯る”永遠の火”
は三十一年前JFKの冥福を祈ってジャクリ
−ヌが点火したものだ。
オナシスの名がついたままの彼女がケネデ
ィの隣に埋葬されたというのは奇妙な感じが
するが、アメリカ国民は歓迎した。
これもジャッキ−が計算しつくしたことだ
った。
「私を攻撃する人はどぶねずみみたいな人間
よ」
五年後の一九九九年七月十七日、長男のジ
ョン・F・ケネディ・ジュニアが、飛行機事
故で急死した。生前、ジャッキ−はジョンに
パイロットのライセンスを取ることを許さな
かった。
「ケネディ家は呪われているから」というの
が反対の理由だった。