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ナンシ−・レ−ガン(元大統領夫人)
Nancy Regan
1923.7.6−−

出しゃばり intrusion

 ナンシ−は運命こそが自分とレ−ガンをつ なぐ絆だと固く信じていた。
 大統領首席補佐官のドン・リ−ガンを含む ホワイトハウスのスタッフ八人の首切りを指 示したのもナンシ−・レ−ガンである。たと え出しゃばり、越権行為、女だてらに政治に 口を出すなどと批判されようとも。
 ナンシ−がある小学校を見学したとき生徒 の一人が大統領と結婚するのは、どんな気持 ちかと質問した。
「それはいいものよ。ただし相手がレ−ガン なら」
 ナンシ−の考えていたことは、ただ夫の幸 せである。それは夫の健康であり、人気と、 歴史上の高い評価だけだった。そのためなら 、なんでもした。
「エリノア夫人は、ル−ズヴェルトの目であ り、耳でした。ナンシ−は私のすべてです」 とレ−ガンも夫人の献身ぶりを讃えた。
 ナンシ−の父と母は彼女が生まれるとすぐ に離婚をし、母の再婚相手がロイヤル・デイ ヴィス博士だった。母は女優で、十歳になる まで小さな娘は母と劇場から劇場へと旅して まわった。しばらくするとワシントン郊外の ベセスダに住む伯父夫婦のもとで暮らした。 それからデイヴィス博士の属するシカゴの上 流社会に移った。ナンシ−はこの博士を、い つも実父と思っていた。
 ナンシ−はシカゴの女子ラテン語学校時代 に在学中、中ぐらいの成績だったが、学芸会 の芝居では常連の人気者だった。高校を卒業 後、東部の名門スミス・カレッジに進み、英 語と演劇を専攻した。やがて、ハリウッドに 出て、女優になった。
 一九四九年の秋、彼女は新聞を読んでいて 共産党シンパのリストに「ナンシ−・デイヴ ィス」の名前が載っているのを見て驚いた。 友人に相談すると、映画俳優協会の会長であ るロナルド・レ−ガンに会ってはどうかと助 言を受けた。
「彼は会うと、とても親身になって相談に乗 ってくれた。話題も豊富で、サン・ファ−ナ ンド渓谷にある彼の牧場のことや、ワインに ついても詳しかったわ」
 初めて会った日のことをナンシ−は昨日の 出来事のように語る。
 三年後の一九五二年二月二十一日、婚約を 発表して、三月四日に結婚した。
「私は俳優であるロニ−(ロナルドの愛称) と結婚したつもりでした。彼が政界に入るな んてまったく予想もしていませんでした」
 一九六三年十一月二十二日、ケネディ暗殺 の当夜、レ−ガン夫妻はパ−ティを開く予定 だった。
 招待書客の一人、プロデュ−サ−のフラン ク・マッカ−シ−は電話をかけて確認をとっ た。
 電話を受けたナンシ−は驚いて言った。
「何を言ってるの? ケネディが死んだから って、どうしてうちのパ−ティをキャンセル しなきゃいけないの? ばかなことを言わな いで。それじゃ、午後七時ごろに会いましょ うね」
 カリフォルニア州知事夫人として、ナンシ −は地元の事業や正式行事は避けて通ってき た。が、目のつきやすいことに執着した。
 州知事夫人として八年間を過ごしたが、ワ シントンでの生活はまったく別だった。
 ナンシ−はホワイトハウスの改修工事を進 めた。さすがに宮殿にしようとは思わなかっ たが改修によって、少しでも建物の威厳を取 り戻せたらと考えた。
 ところが、ナンシ−はホワイトハウスを私 的な空間にしたがっている、ホワイトハウス のスタッフたちの生活水準を向上させるため にファ−ストレディの地位を利用した、とマ スコミで叩かれた。高価なものを買うことに 情熱を燃やす、気まぐれな金持ち女という、 イメ−ジが広がった。
 しかし、それは任期最後の年に噴出した「 ンシ−の占星術依存」に比べれば、小さなも のだった。
 並外れて迷信深いナンシ−はベッドの上に 帽子に置いたり、梯子の下を歩いたり、自分 より頭の高いところにけっして靴を置いたり しなかった。眠るときは、手近の木製品を叩 くおまじないをした。
 一九八〇年、合衆国大統領に就任してから まだ七十日しかたっていない一九八一年三月 三十日午後の早い時刻。ナンシ−は昼食会か らホワイトハウスに戻ってきたばかりで、三 階のサンル−ムでスタッフと談笑していた。 そこにシ−クレットサ−ビスが、あわてて報 告にきたのだ。
「ホテルで狙撃事件が起きました。でも、大 統領はご無事です」
 報道官のジム・ブレイディも頭部を撃たれ て重症を負っていた。レ−ガンは出血がひど くおびただしい量の輸血をしなければならな いほどだった。弾は第七肋骨にあり、左下の 肺葉にそれて、心臓からわずか一インチのと ころで止まっていた。
 幸い一命をとりとめた。
 ナンシ−は、この狙撃事件のあとノイロ− ゼになった。いつまた、狙撃されるのではな いか、今度こそ永久に夫を失ってしまうので はないかと脅えたのだ。
 アメリカには「大統領死亡二十年説」が、 まことしやかに信じられている。一世紀以上 にわたって、ゼロで終わる年に選出または再 選された大統領は任期中に死亡している、と いう説である。一八六〇年に当選したリンカ −ンは暗殺された。ジョン・F・ケネディ( 一九六〇年選出)が暗殺されている。「次は 一九八〇年選出のロナルド・レ−ガンか?」 と囁かれた。
 ナンシ−は必死に祈った。ビリ−・グレア ムやドン・ム−モ−といった宗教界の指導者 たちにも相談した。
 ナンシ−はハリウッド時代の友人からサン フランシスコの占星術師ジョ−ン・クイグリ −を紹介された。
 ジョ−ンは「三月三十日のこと」は、警告 できたときっぱりとナンシ−に言った。
「大統領は自宅にいるべきでした。この日は 大統領にとって危険な日である事が私の占い に出ていたんです」
 その後、ナンシ−は、この占い師から「吉 」と「凶」の日を聞いて、大統領の行動を決 めるようになった。
 しかし、大統領の日程をナンシ−が星占い で決めていることを補佐官のリ−ガンが暴露 した。世論は愚行と非難した。
 それに対して、一九八九年十月、ナンシ− は『マイ・タ−ン』(私の番)を出版して逆 襲した。
「占星術が害を及ぼしたことはなく、私は後 悔していない」とナンシ−は書いている。
 もしレ−ガンが三月三日に、シカゴで講演 するとして、当日の朝ワシントンを立つべき か、それとも前日の午後に出発したほうが安 全かを判断してもらう。ナンシ−は自分の専 用電話で直接ジョ−ンに電話をかける。彼女 のほうから折り返し電話がかかってくる場合 には、ホワイトハウスとキャンプ・デ−ヴィ ッドの交換手は取り次ぐことになっている。 特定の日について、ジョ−ンからアドヴァイ スがあったときは、スケジュ−ルの担当者に 知らせて変更してもらった。
 これはいわば、暗黙の了解事項のようにな っていたが、一九八五年以降は、補佐官がリ −ガンになり、スケジュ−ルの変更は、彼に 伝えなければならなかった。リ−ガンは占星 術師に意見を仰ぐことを快く思っていなかっ たし、自分の思うとおりにことが運ばないこ とに苛立ちを覚えていた。
「ジョアンの助言は政策や政治とはなんの関 係もなかった−−絶対に」
 彼女のアドバイスは日程に限定されていた とナンシ−は断言するのだが、これをどれだ けの人が信用しただろうか。
 赤い色が好きなナンシ−(ナンシ−・レッ ド)は、顔も紅潮させて、ドン・リ−ガンに 逆襲した。
「イラン・ニカラグア秘密工作事件をドンが 知っていたのは確かなのだから、明るみに出 たときに、すぐに責任を取るべきだった」と 批判した。
 一九八七年二月に、イラン・ニカラグア秘 密工作事件が明るみに出たあと、その事後処 理の不手際を問われるかたちで、ドナルド・ リ−ガンはナンシ−から追放された。
 大統領を引退後、一九九四年十一月五日、 レ−ガンは自分がアルツハイマ−であること を告白した。
「私は最近、自分がアメリカに何百万人もい るアルツハイマ−病にかかっていることを告 げられました」
 それ以来、レ−ガン夫婦の絆はいっそう強 くなった。
「有り難いことに夫の病気が家族を結びつけ てくれたのです」
 ばらばらだった家族関係が一つになったと ナンシ−は言う。
 親しい友人は言う。
「彼らは二人で一つ」
 出しゃばりナンシ−が影をひそめたのは、 少し淋しい。
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