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『悪女と呼ばれて』(愛に生きる伝説の女たち) 一覧に戻る

アナイス・ニン(作家) Anais Nin
1903.--.--−−1977.1.14

官能 erotica

「女が何をおいてもまず、人間だというのは もっともだ。私は、人間である以前にまず女 だ」
 アナイス・ニンの膨大な量の『日記』は、 情熱的な官能を描いた告白文学の白眉といわ れる。また、彼女はナルシシズムを扱った『 近親相姦の家』や父と娘の関係を描いた『策 略の家』の小説でも知られる。
 この異端の作家は、一九〇三年にパリで生 まれた。母のロ−サ・キュルメルは歌手で、 デンマークとフランスの混血だった。父のホ アキン・ニンはピアニスト兼作曲家で、スペ イン人。アナイスはアメリカ国籍。一家はベ ルギー、ドイツ、スペインなど各地に移り住 み、九歳まではパリで住むなど風俗習慣、思 想などがまじりあっていたため、彼女は繊細 だが、感情的な激しい少女に育った。
「ルナティック(気まぐれ)」
 少女時代、アナイスはそう呼ばれ、彼女自 身も同じように考えていた。
 少女に大きな悲しみが襲った。熱愛してい た父が家族を捨てたのだ。母はアナイスと二 人の弟を連れて、ニューヨークに渡った。そ のときアナイスは十一歳だったが、自分の思 いが父に届くだろうとの願いをこめて『日記 』を書き始めた。これは七十四歳で亡くなる まで続いた。
 長じて、アナイスは金持ちの実業家と結婚 してヤン・ユゴ−夫人となった。だが、運命 的な出会いが彼女を待っていた。すでにこの ときに、『日記』は四十二冊あった。
 一九三一年十二月のある日、パリ郊外のル ヴシエンヌにある別荘に、一人の男が食事に 招待された。
「ヘンリ−・ミラ−? その名前どこかで聞 いたことがある」
 作家は、痩せていて、頭は禿げかかってい る。目は鋭く、厚ぼったい口は官能的だ。
「僧侶みたい」とアナイスは思った。
 ミラーのほうは、アナイスの大きな丸い目 と優美で美しい身のこなしに魅せられた。
 ミラーは文無しで空腹。二人を引き合わせ たオズボーンは夫人の書いた『私のD・H・ ロレンス論』の原稿をミラーに見せ、一方ル イス・ブニュエルのシュルレアリスム映画『 黄金時代』について論じたミラーの文章を彼 女に見せた。お互いの書いたものに関心を示 した。ミラーは大胆かつ鋭敏なロレンス論を 書く女に少なからず興味をもった。
 翌年の三月四日、ミラーはモンパルナスの ヴァヴァン通りにあるとカフェ”ヴァイキン グ”のテーブルで、立ち去ったばかりのアナ イスに手紙を書いた。
「きみを愛している。熱に浮かれされたよう に」
 また、次の日カフェで会って別れたアナイ スにミラーはふたたび手紙を書く。
「きみはぼくの活力をたぎらせーーぼくに火 をつけた。もう、以前のぼくには戻れない。 たんなる友だち同士にはなれない」
 その手紙を見たアナイスはミラーのホテル の部屋に行った。
 アナイスはミラーと会う前から、婚外情事 をしていたが、性的および芸術的なエネルギ ーを解放する引き金になったのは、ミラーと の密会だった。
 四十歳のミラーは都会の喧騒や猥雑な雰囲 気が似合う男。二十九歳になろうとするアナ イスは女らしく、謎めいていて、人を惹きつ ける魅力に溢れていた。まったく相反する奇 妙な男女は、互いに引きつけ合った。
 アナイスは自分の着る服も日記も家庭も秩 序だった生活のためにきちんと管理していた が、反面でミラ−の放つ混沌や汚物、腐敗と いったイメ−ジを愛していた。
「モンパルナスのルンペン作家」
 というのが、当時のミラ−につけられてい た形容詞だ。
 アナイスは月、ミラ−は太陽。互いに異な るもの同士は離れられない関係になった。ア ナイスは美を求めて、日記の上にそれを抽出 しようとしていた。ニンの情熱は内側に向か った。
(アナイスはミラ−に金属製の手箱にしまっ てある四十八冊の『日記』を見せている)。  表面的にはそうは見えなかったが、深いと ころでは二人はとても似ていた。アナイスは ミラーには女性的なところがあると見ていた し、ミラーは彼女の悪びれず現実に対処して 行こうとする姿勢、非情とさえいえる強さを 感じていた。二人はコツコツと文章を書き続 けてきた。世間で認められなかったので、栄 光と評価を求めて悶々としていた。
 一九三二年十月十四日に、ミラーは友人の シュネロクに宛てた手紙で、「対等な者同士 の関係」と書いている。
「すべてにおいて対等な女、ぼくに栄養分を 与えてくれる女、そんな女を愛することがい かに大切かをわかってくれるだろうか」
 二人はルヴシエンヌのガイラ−邸で会い、 またミラ−が借りていたクリシ−のアパ−ト で、何時間も過ごした。アナイスは『日記』 と別荘を「魂の実験室」と呼び、クリシ−の 彼らのアパ−トを「黒いレ−スの実験室」と 呼んだ。彼らはベッドをともにしていないと きは、お互いの作品を読んだり、映画を観に 行ったりして過ごした。
 付き合いだして十カ月くらいで、アナイス は、ミラ−の妻のジュ−ンのことばかりを日 記に書いた。濃いブロンドの髪の美女ジュ− ンの人を捉えて離さない魅力と、平気でウソ や作り事を口にできる強さに惹かれたのであ る。
「あなたこそ私がなりたいと思う女だわ」
 とアナイスは書いている。
 のちにこの一九三一−三二年の日記を復元 した『ヘンリ−&ジュ−ン』(九〇年)が映 画化されて話題となった。
 ジュ−ンの呪縛から逃れるために手を貸し たのは他ならぬミラ−だった。ミラ−によっ て、性の束縛を断ち切られたアナイスは、性 体験も自由になり、精神分析医からも愛をそ れほど堅苦しく受け止めなくてもいいと教え られた。
 アナイスはブルジョア的なプライドをかな ぐり捨ててまでも性関係をもった。ミラ−、 サンチェス、アランティ、夫などを相手にし た。ときには、一日に何人もの男性を相手に することも。
 数年間、アナイスとヘンリ−との情熱は続 いたが、一九三三年から四四年にかけて、二 人はマロニエ通り二十六番地に愛の巣を築い た。これはアナイスの精神分析医の診療所の 近くに住むためでもあった。そのころ、アナ イスは妊娠したが、中絶手術をしている(女 の子だった)。この体験は短編小説(『誕生 』)に書き、さらに、『人工の冬』にも体験 を綴っている。
「この小さな女の子とともに、父を求める気 持ちも死んだ」
 アナイスが中絶を決意したのは、ミラ−の 責任感のなさだ。ミラ−は一人娘を捨ててい るし、責任感がまったく欠如していた。
 ミラ−は、ジュ−ンと一九三三年に離婚し た。その後も何度か結婚し、日本人ジャズピ アニスト、ホキ徳田と結婚して話題になった りした。アナイスは死ぬまでガイラ−との結 婚を解消しなかった。夫の迷惑になるような ことは絶対にしないと決めていたからだ。  ミラ−との私的な関係も完全に伏せておい た。ミラ−がアナイスに出した膨大な量のラ ブレタ−が(最初の一年で九百通あるという )世に出たのは一九八七年のことだ。そのと き初めて、二人の関係が世に知られたのだっ た。
 アナイスは日本の文学を愛していて来日を したこともある。このときアナイスに会って 、「どうしてあなたはそんなにも美しいのか 秘密を教えてください」と尋ねた作家の中田 耕治に「あら、それはいつも愛しているから よ」と答えている。
 いつも誰かを愛している作家は、官能的で 抜けるような美しさだった。
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