シモ−ヌ・ド・ボーヴォワール(作家)
Simone de Beauvoir
1908.1.8−−1986.4.14
自由 freedom
「人は女に生まれるのではない、女になるの
だ。社会において人間の雌がとっている形態
を定めているのは生理的宿命、心理的宿命、
経済的宿命のどれでもない。文明全体が、男
と去勢者の中間物、つまり女と呼ばれるもの
を作り上げるのである」
これは『第二の性』(二巻 体験)の冒頭
の部分だが、ボ−ヴォワ−ルは、男女の違い
は、自然によるものではなくて、あくまでも
社会が生み出したものだと主張して衝撃を与
えた。
男性中心の社会で女性として生きることの
意味を追求したボ−ヴォワ−ルは一九〇八年
、パリに生まれた。父のジョルジュは弁護士
だったが、芝居を好み、熱心な読書家でもあ
った。彼女にまず、影響を与えたのはこの父
の生き方である。
母のフランソワ−ズは、熱心なカトリック
信者で、長女のシモ−ヌを愛情いっぱいに育
てた。
「先生になりたい」という夢をシモ−ヌは少
女時代から抱いていた。
一九二九年、二十一歳のときに、シモ−ヌ
はやはり教授資格試験準備中のサルトルと出
会った。サルトルは一番、ボ−ヴォワ−ルは
二番で合格した。
「不潔そうで、見た目も悪かったけれど、一
番やさしくて頭のよかったのが、サルトルだ
った」
ボ−ヴォワ−ルは、この身長百六十センチ
でやぶにらみだが、おそるべき頭脳の持ち主
にすっかり魅了されてしまった。のちに高名
な哲学者として名を馳せることになるサルト
ルはこの美人で聡明な女性に惹かれた。
二人の仲は急速に進み、それから彼らの奇
妙な関係は五十年以上も続くことになる。サ
ルトルは彼が言うところの「ブルジョア結婚
」を嫌っていて、結婚をしなかったし、父親
になることもなかった。
ボ−ヴォワ−ルは一九三一年に、高校の哲
学教師となった。教師と同時に、もう一人の
彼女は「有名な作家になること」を望んでい
て、そのために小説を書き始めている。
サルトルと恋人関係になった数年間は、二
人は愛、約束、結婚、セックスなどについて
熱心に論じあった。二人はお互いの関係を自
由なものと考えて、偶発的な恋愛は認めあう
ということで意見は一致した。
ベルリンにいた一九三四年、サルトルは他
の学生の妻だったマリ−・ジラ−ルという女
性と関係をもち、初めてその権利を行使して
いる。クリスマスでパリに戻った彼はそのこ
とをボ−ヴォワ−ルに報告した。ボ−ヴォワ
−ルはすぐさまベルリンに向かい、サルトル
の愛人マリ−に会うと、二人の関係が一時的
なものであることを知り、ほっと胸を撫でお
ろしている。
パリに戻ったボ−ヴォワ−ルは、自分の教
え子の一人の面倒を見るようになり、個人教
授をしながら、自分の部屋に一緒に住まわせ
るようになった。サルトルもパリに戻ってく
ると、オルガ・コサキエヴィッツというこの
ロシア移民の十代の少女に好意を抱くように
なった。
当時、サルトルはメスカリンを服用してお
り、以後数カ月にわたって、幻覚に襲われる
ようになる。サルトルがオルガと連れだって
散歩に出かけると、サルトルは自分たちの後
をつけてくる巨大なイセエビの様子を語るの
だった。
「看護婦と患者」の関係は、性的なものに発
展した。結果として、ボ−ヴォワ−ルを含め
た三角関係が出来あがった。そのことを書い
た自伝的な小説『招かれた女』でその年下の
女がどのようにして恋人を奪いとったかを描
写している。さらにこうも言っている。
「嫉妬の中には、絶対に正当で真実だといえ
る何かがある」
結局、四年後にオルガは新しい恋人を見つ
けて、サルトルやボ−ヴォワ−ルから離れて
いった。それでも、その後の三十年間、サル
トルとボ−ヴォワ−ルは、オルガを精神的、
経済的に助けた。
一九四七年、ボ−ヴォワ−ルはアメリカ旅
行中に作家のネルソン・オルグレンと出会っ
た。この情熱的な関係は三年間続いたが、そ
の情事のおかげでボ−ヴォワ−ルは嫉妬に苦
しめられることもなくなり、性的にも若返っ
た。
「彼の欲望が私を作り変えました。長いこと
味も形もなかった私が乳房を、性器をもつよ
うになったのです」
こうした偶発的な恋愛はしたが、ボ−ヴォ
ワ−ルとサルトルは、お互いの存在を認めあ
った。
一九四九年、四十一歳のときに、ボ−ヴォ
ワ−ルは『第二の性』を著している。
一九五〇年代には、サルトルとの仲は一時
疎遠になった。ボ−ヴォワ−ルが十七歳年下
のクロ−ド・ランズマンとの仲を深めていた
からだ。彼女はサルトルと一緒に旅行をしな
がらも、一方でランズマンとも同棲していた
のである。
サルトルはいつも女の友だちを求めていた
が、その自分の行動を次のように説明してい
る。
「私が女性の中に身を置く一番の理由は、た
だたんに男と付き合うよりは女と付き合うほ
うが好きだということだ。原則的には、男は
退屈だ」
というわけで、ボ−ヴォワ−ルがランズマ
ンと暮らしている間、サルトルは同棲の相手
として、アルフレッド・エルカイムという十
七歳のユダヤ系アルジェリア人の少女を選ん
だ。彼女を国外追放から救うためと、彼女が
妊娠していると思ったため、結婚寸前までい
ったとき、サルトルとボ−ヴォワ−ルとの関
係は崩壊の危機に瀕していた。
だが、サルトルは結婚する代わりに彼女を
養女に迎え、ボ−ヴォワ−ルとの仲を回復し
たのだった。一九五八年に、ランズマンがボ
−ヴォワ−ルの許を去ると、サルトルとボ−
ヴォワ−ルはいつも一緒にいるようになり、
以前にも増して深い愛情の絆で結ばれるよう
になった。
一九六六年、小説『美しき映像』を出版。
九月にはサルトルとともに、来日し、公演を
行っている。
晩年の二人は、寄り添うようにして、一緒
に旅行をした。
一九八〇年四月十五日、サルトルの命がま
さに消えようとしていた。彼は目を閉じたま
まボ−ヴォワ−ルの手を握って言った。
「大好きだ、ぼくのカスト−ル」
そうして唇を求めてきた。
そうしてサルトルは長い眠りに落ちた。
ボ−ヴォワ−ルは彼が壊疽になっていたの
で、シ−ツをかぶせてその上に寝た。
「二人の生がこんなにも長いあいだ共鳴しあ
えたことはすばらしいことだと思う」
サルトルの死から六年後に、ボ−ヴォワ−
ルはパリのコシャン病院で、七十八歳の生涯
を閉じた。
「私は自分の思い描いたとおりの人生を送れ
ました」
現在、ボ−ヴォワ−ルは多くのフェミニス
トから批判されている。思想的に、サルトル
の影響が大きく、男から真に独立できなかっ
た限界を表した。