 |
|
![]() |
![]() |
マリリン・モンロ−(女優) Marilyn Monroe
1926.6.1−−1962.8.5
渇望 craving
あなたはマリリン・モンロ−が嫌いだろう
か?
「私はただの奥さんになるには、夢が多すぎ
る・・・たぶん、私のすべてが夢でできてい
るのね」
「いつも誠実な恋人に見える夫は、たいてい
妻を裏切っているものよ」
マリリン・モンローは一九五〇年代にセッ
クス・シンボルとして人気を博した。ハリウ
ッドの大スターからアメリカ大統領まで、マ
リリンの魅力の虜になった男性は数多い。
出世作となった映画『ナイアガラ』でマリ
リンが見せた、裸のままベッドでシーツに丸
まってタバコを吸うシーンやシャワーを浴び
てバスローブに着替えるときのエロティシズ
ム。そして彼女をいちやく有名にしたお尻を
振りながら歩くモンロー・ウォーク。この映
画でマリリンは夫に厭きて、不倫に走り、夫
の殺害を計るが、逆に疑惑を抱いた夫に追い
詰められて殺される若妻を演じた。
マリリン・モンローは、一九二六年にロサ
ンゼルスに生まれた。本名はノーマ・ジーン
・モーテンセン。私生児で、父の顔を知らな
い。母は精神を患っていたため、孤児院を転
々として、母の友人であるグレ−ス・ゴダ−
ドなどに育てられた。
十六歳で結婚し、ロッキ−ド航空機の整備
士の夫ジム・ドアティを支えるために彼女も
近くのパラシュ−ト工場に働きに出たが、そ
こでカメラマンにスカウトされて、初めてポ
−ズをとった。スタ−になる夢に取りつかれ
た新妻ノ−マ・ジ−ンは離婚し、モデルとな
った。やがて二十世紀フォックスのカメラテ
ストで、彼女はくすんだアッシユ・ブロンド
を明るいブロンドに染めて名前もマリリン・
モンローと変えた。
「これでもうあれをしゃぶらなくてすむわ」
初めての映画の契約を終えて、マリリンは
言った。
スタ−になるまでには多くの男とベッドを
ともにしたが、マリリンにとって最初の正真
正銘の男らしい男、それがジョー・ディマジ
オだった。ディマジオは首位打者二回、本塁
打二回、アメリカン・リ−グのMVPに三回
選ばれた名選手だった。当時彼はニューヨー
ク・ヤンキースを引退したばかりで、男盛り
の三十七歳。『紳士は金髪がお好き』『百万
長者と結婚する方法』に主演してスターダム
にのし上がったセクシー女優とはお似合いの
カップルに思えた。
ところが、一九五四年に結婚すると、夫の
ディマジオは妻が映画界で働くことに反対し
た。自尊心と独占欲が強く、古臭い考え方の
男はハリウッドが大嫌い。とりわけ自分の妻
が性的魅力を公衆の面前で振りまくことに我
慢がならなかった。『七年目の浮気』で見せ
た地下鉄の通風孔から吹き上げる風にスカ−
トがまくれあがり、パンティが見えるシーン
に激怒。女優という仕事に理解を示さなかっ
た。
新婚旅行を兼ねて日本にきたマリリンは、
日本中にマリリン旋風を巻き起こした。夜は
何を着て寝るのかと聞かれて、「下着はシャ
ネルの五番」、いつからモンロ−・ウォ−ク
をするようになったのかの質問には、「生ま
れて、六カ月からあんなふうに歩いてたわ」
と答えて喝采を浴びた。
日本から戻った二人は、別々の道を歩み始
めた。ディマジオがマリリンを独占できたの
はわずか九カ月だった。
マリリンはハリウッドを離れてニューヨー
クに移った。頭の弱い、金髪女を演じること
に飽きた彼女は芝居を勉強するためにリ−・
ストラスバ−グの主宰するアクタ−ズ・スタ
ジオで学ぶ。女優としてさらに大きくなる夢
をもち続けた。
一九五六年に劇作家アーサー・ミラーと三
度目の結婚をした。マリリンは、この結婚で
完璧な妻と女優の両方の座を追い求めたので
ある。
マリリンは「あなたの頭脳と私の肉体をも
ったベビーが生まれたらどんなにステキかし
ら」というとミラーは「でもぼくの肉体とき
みの頭脳をもった子どもが生まれたらどうし
よう」とジョークを言った(このジョ−クは
、じつは舞踊家イサドラ・ダンカンが劇作家
バ−ナ−ド・ショ−に向かって媚態を見せた
とき、ショ−が言った言葉。ミラ−は、それ
を知っていて、言ったもの)。マリリンは子
どもを望んでいたが恵まれなかった。
『荒馬と女』を夫婦で手がけたのを最後に、
二人は四年半の生活にピリオドを打った。奇
しくもジョン・F・ケネディが大統領に就任
したその日に二人は離婚した。
ひとりぼっちになったマリリンは年齢や将
来のことを考えると絶望感に襲われ始めた。
睡眠薬を多用し、多くの男性に心のよりどこ
ろを求めるようになった。『恋をしましょう
』(一九六〇年)で共演したイヴ・モンタン
に熱をあげた。が、「妻とは別れたくない」
という男の本心がわかって惨めな結末を迎え
る。マリリンにとっては遊びではなかったの
だが。モンタン夫人は、フランスの名女優、
シモ−ヌ・シニョレ。
心の傷を癒すかのように、彼女はいろんな
男と寝た。いつも彼女は真剣だった。みすぼ
らしいホテルで、デンマークの新聞記者と何
日も過ごしたこともある。「彼の腕の中にい
ると眠れるの」とマリリンは淋しい気持ちを
打ち明けている。バーを梯子したり、ハンサ
ムなお抱え運転手といちゃついたり、マッサ
ージ師とも付き合ったりした。
また、別れたディマジオが訪ねてきて、泊
まったこともあったが、結局は「女優を続け
るかどうか」で口論になった。
マリリンは切ないまでに大統領との結婚を
夢見ていた。大統領の弟で、司法長官のロバ
−ト・ケネディとも関係があった。そんな乱
脈な生活のなかで、
「私がファーストレディ(大統領夫人)にな
るなんて想像できて?」
さりげなく、こんなことを言ってマリリン
は友人たちを驚かせている。
ケネディの親類であるピーター・ローフォ
ードのサンタモニカ海岸の別荘で、あるいは
ベヴァリーヒルズホテルで、ときには大統領
専用機内でデートを重ねた。あげくにマリリ
ンはロサンゼルスのブレントウッドに家を買
って引っ越したのだ。
「大統領がホテルをウロウロするわけにはい
かないでしょ」
一九六二年五月、ケネディ大統領の四十五
歳の誕生祝賀会がニューヨークのマディソン
・スクエア・ガーデンで開かれた。ステージ
が暗くなって、シャンペンに酔っていたマリ
リンがゆっくりと『ハッピー・バースデイ』
と歌う。
「ハ・ピ・バースデイ・・・ミスター・プレ
ジデントーー」
胸を大きく開いたドレスを着たマリリンは
途切れながら、低く甘く囁くように歌い、一
万七千人の観客の拍手をさらった。
(ちなみに、翌年、ケネディの愛人だったオ
−ドリ−・ヘプバ−ンがバ−スデイ・ソング
を歌ったが、感動を呼ばなかった)。
マリリンに飽きたケネディは、弟のロバー
トに譲った。またもや彼女はロバートに夢中
になり結婚を夢見るようになった。だが、ロ
バ−トは遊びだった。
その年の八月五日、マリリンは三十六歳と
二カ月の短い生涯を閉じた。自殺、他殺説も
ある。マリリンを愛した多くの男たちが哀悼
の意を表した。
助けて、助けて/お願い、死にたいとしか
思えなくなると/ほんとうに一線を越えてし
まいそうになるの/
モンロ−の死後、彼女の救われない気持ち
を綴った詩が発見された。
マリリンは多くの男たちを愛したが、いつ
も心の中にあったのは、ついに会うことがで
きなかった父スタンリ−・ギフォ−ドの面影
である。口髭をはやし、クラ−ク・ゲ−ブル
そっくりだった。その父に一度だけ電話をし
たことがあるが、会うことを拒否され、冷た
くあしらわれたことがマリリンの大きな傷と
して生涯残った。
マリリンは愛を求め続けたが、いつも愛に
飢えていた。
「若いうちに死んでよかった。シワが刻まれ
た顔なんて自分でも我慢できなかっただろう
。美しいままで死んでよかった」
マリリンのヘアドレッサ−のシドニ−・ギ
ラロフは筆者に語った。
一覧に戻る
|
|
|
|
 |