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ジーン・ハーロウ(女優)
Jean Harlow

1911.3.3−−1937.6.7

赤ん坊 baby

 悪女でもないが、善女でもないジ−ン・ハ −ロウのようなキャラクタ−は「グッド=バ ッド・ガ−ル」と呼ばれる。
「みんなが求めているのは、私のドレスの下 から手を入れることだけ」
 一九一一年に、ジ−ン・ハ−ロウ(本名は カ−ペンタ−・ハ−リン)はモンタナ州カン ザスシティで生まれた。父は歯科医、かなり 裕福な家庭だったが、両親はジ−ンが九歳の ときに離婚。母はイタリア人マリノと再婚し た。
 ジ−ンはイリノイの名門校に入ったが、勉 強嫌で、一年もしないうちに退学。十六歳の 彼女は五歳年上の株の仲買人、チャ−ルズ・ マグニュ−と駆け落ちした。二人はすぐにお 互いの両親に引き離されて、一夜だけの結婚 生活に終わった。
 それがもとで、ジ−ンの母とイタリア人の 養父はロサンゼルスに移り住んだ。だが、養 父は生活能力がなかったので、ジ−ンは映画 のエキストラとして働き出した。
 大富豪のハワ−ド・ヒュ−ズが莫大な資本 を注ぎこんで製作した『地獄の天使』に代役 で出たのが映画界に入るきっかけだった。ヒ ューズは彼女ためにゴ−ルドとホワイトの中 間という意味で、プラチナブロンド(銀色の 金髪)という新語を作って売り出した。
 そしてノ−ブラのジ−ンは男たちを夢中に させるのだが、そのときまだ二十歳になった ばかりだった。ちなみにノ−ブラで映画に出 た女優は彼女が初めてである。
 もっとも、ジ−ンがノ−ブラだったのは、 スクリ−ンのなかだけではなかった。実生活 でも下着をつけたことがない。高校生のとき 、教師からそのことを咎められると、「だっ て、ブラをしていると息ができないんです」 と答えた。
『地獄の天使』のヒロインは、グレタ・ニッ センというスウェ−デン女優に決まっていた のだが、彼女の訛がひどかったので、急遽代 役を探すことになった。困り果てたスカウト マンはいつもスタジオでうろうろしている女 性に声をかけた。それがジ−ンだった。
 この映画が封切られると、プラチナブロン ドで、みごとな乳房のジ−ンの人気が爆発し た。
 それまでスクリ−ンではお目にかかれなか った深い胸の切り込みのあるイブニング・ド レスを作った。最初のうちはそのドレスをあ まり着たがらなかったジ−ンは「もう少し、 着心地のいい服を着ちゃいけないかしら?」 と言って有名になった。
 その後は『民衆の敵』『紅塵』『爆弾の頬 紅』『晩餐八時』などに出演してスタ−にな った。
 スタ−になってからも、ママ・ジ−ンやマ リノ、それに友人たちは、彼女のことを「ザ ・ベイビ−」というニックネ−ムで呼んでい た(ママ・ジ−ンは女優を目指し、芸名はジ −ン・ハ−ロウ。親しい人たちは娘のジ−ン のことを「ザ・ベイビ−」と呼んだ)。  一九三二年七月ジ−ンは二十二歳年上のM GMの敏腕プ−デュ−サ−、ポール・バーン と結婚した。バ−ンは、実力者ア−ヴィング ・タルバ−グの片腕だった。タルバ−グと結 婚したノ−マ・シアラ−は、グレタ・ガルボ をしのぐMGMの女王の座を占めていたので ある。ジ−ンもシアラ−のように売り出して もらえると考えていた。
 ジ−ンにしてみれば、この結婚でスタ−の 座は確約されたみたいなものだった。
 しかし、夫のバ−ンは性的不能者だった。 結婚二カ月後、立派な人工ペニスをつけた夫 が部屋に入ってきた。大きな睾丸と先端から 水を噴射させるバブルまでついていた。それ を見たジーンがヒステリックに笑うと、バー ンは喜んで巨大な人工ペニスをぶらさげて部 屋中を跳ねまわった。
 翌日の夕方、ジ−ンは外出していたらしい が、執事が等身大の鏡の前で裸で倒れている バーンを発見した。バーンは妻が愛用してい た香水ミツコをからだにふりかけ、三十五口 径のピストルで頭をぶち抜いて死んでいたの である。
「私が犯した過ちの償いをするには、この方 法しかないんだ。愛する人よ。昨夜のことは 冗談だ、忘れてほしい」
 という走り書きの遺書がジーンの化粧台の 上に残されていた。
 三日後、サクラメント川にブロンドの水死 体があがった。自殺したのは、ジ−ンと結婚 する前、バ−ンの内妻だったドロシ−・ミレ ットだった。
 ジ−ンはすっかり心の平静を失い、奔放な 生活を送るようになった。
 髪を短くして、黒いカツラにサングラスを かけ男漁りし始めた(この事実は映画会社を 激怒させた)。
 あるときは、クラーク・ゲーブルと共演し た映画『紅塵』を上映しているサンフランシ スコの劇場の前で男に声をかけた。
「あたしと遊ばない?」
 自堕落な生活を送っていながら、ジ−ンは 選り好みの激しい女性でもあった。MGMの ルイス・メイヤ−は毛皮のコ−トを餌に誘っ たが、ふられている。
「イヤなものはイヤなの」
 結局、彼女は不妊症で誰が相手でも子ども ができなかった。
 三回目の結婚の相手は「何の得にもならな かった」撮影監督のハロルド・ロッシンだっ た。彼はどこか、バ−ンに似たところがあり ジ−ンよりも十六歳も年上だった。
 一九三三年九月、二人は結婚したが、わず か八カ月で別れることになった。理由ははっ きりしないが、このときもママ・ジ−ンと養 父のマリノが口を挟んだせいといわれる。ジ −ンの恋人として最後に登場したのは、『無 軌道行進』で共演した俳優のウィリアム・パ ウエルで、おそらく彼女が一番愛した相手だ った。
 パウエルはバ−ンのように教養があって、 優しく、からだつきも似ていた。パウエルは 四十三歳、ジ−ンは二十四歳だった。
 最初のデ−トから三年目の記念日にパウエ ルは、「パパから三つになった娘に」という カ−ドを添えてケ−キをジ−ンに贈った。
 だが、この愛も突然、終止符を打つのであ る。二人は婚約していたのだが、『サラトガ 』の撮影中にジ−ンが倒れたのだ。
 困ったことに、ママ・ジ−ンは熱心なクリ スチャン・サイエンス(一八六六年ごろ、ア メリカ人メアリ−・ベイカ−・エディが始め たキリスト教の一派。聖書に基づく教えと信 仰の力で病気を直すのが特徴)の信奉者で、 医者に診せなかったため、手遅れになった。 死因は尿毒症だった。婚約していたパウエル の子を堕したときの処置が不適切だったこと が原因といわれている。
 ジ−ンの葬儀に参列したパウエルは、彼女 が好きだったクチナシの花を一輪添えて「お 休み愛しい人よ」と書いたカ−ドを手に握ら せた。
 パウエルはジ−ンの墓の隣りに自分の墓も 予約し、四十七年後に、亡くなった。
 ジ−ンは女優として初めて『ライフ』誌( 一九三七年五月三日)の表紙を飾った。  ジ−ン・ハ−ロウ(『サラトガ』一九三七 年)とマリリン・モンロ−(『荒馬と女』一 九六一年)は、どちらも最後の映画でクラ− ク・ゲ−ブルと共演している。ジ−ンは映画 の完成を見ずに亡くなった。メアリ−・ディ −ズが代役をつとめ、ボ−ラ・ウィンタ−ズ が声の吹き替えをした。
 亡くなってから、ジ−ンは生前以上の脚光 を浴びることになる。一九六四年に、ア−ヴ ィング・シュルマンが伝記『ハ−ロウ』を書 き、翌年には、キャロル・ベイカ−とキャロ ル・リンレイがそれぞれ主演して、二本の伝 記映画が作られた。

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