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エリザベス・テイラ−(女優)
Elizabetn Taylor
1932.2.27−−
猛女 monster
「男性のいない人生なんて考えられないわ。
女は男がいてこそよ」
「セックスのことならなんでもわかるわ」
エリザベス・テイラ−は一九三二年、ロン
ドンに生まれた。父のフランシスはアイルラ
ンド系のイギリス人で美術商、母のサラはア
メリカ生まれのイギリス系美人だった。
父の仕事の関係で、三九年に渡米して、カ
リフォルニアの富豪が住むパシフィック・パ
リセ−ド、翌年にはベヴァリ−ヒルズに居を
構えた。
幼いころのリズは内気で、絵を描くことが
好きな、ごく普通の少女だったが、ブル−の
瞳に、濃いブラウンの髪は可憐というよりも
大人の雰囲気をもっていた。
病弱で繊細な少女だった。三歳のときに大
病をし、生死に関わる深刻な病状だった。高
熱にうなされて、三週間というもの床につい
たままだった。クリチャン・サイエンスを信
仰する母は医学的な治療を信じてはいない。
病いは、やがて自然に癒えた。
かつて女優志望だった母が、自分の夢を娘
のリズに託そうと、十歳のときに、映画に出
演させたことから、幸運な子役人生が開けて
きた。翌年には、MGMの『家路』で大役を
得た。当時映画会社で最高のMGMとの契約
が成立して、『ド−ヴァの白い崖』『緑園の
天使』『奥様武勇伝』『若草物語』と出演し
ている。『緑園の天使』は、MGM社史に残
るヒット作となった(撮影終了後、リズはこ
の映画で彼女が乗った名馬、キング・チャ−
ルズ号をプレゼントされた)。
子役として活躍しながら、エリザベスはM
GMスタジオ学校で教育を受けた。撮影所以
外の世界を知らずに成長したわけである。『
奥様武勇伝』に出演中の四七年に、共演者の
ピ−タ−・ロ−フォ−ドと婚約をほのめかす
ほど親しくなった。このとき十五歳。
一九五〇年、十八歳になると、人妻役を演
じても充分に様になっていた。私生活でもフ
ットボ−ル選手のグレン・デイヴィス、次い
で東部の名門の息子、ウィリアム・ポ−リ−
・ジュニアとの交際が続いた。そして五月に
はホテル王の息子コンラッド・ヒルトン・ジ
ュニアと結婚した。だが新婚旅行に行く前、
わずか三カ月で破局を迎えた。
スクリ−ンでは、『花嫁の父』から『可愛
い配当』へと清純な若妻ぶりを演じている。
ヒルトン・ジュニアと離婚後、初めて撮った
『ラブ・イズ・ベタ−・ザン・エヴァ−』の
新進監督スタンリ−・ド−ネンと恋愛して家
出をした。
イギリスにわたったときに『黒騎士』の撮
影で共演した二十歳年上の俳優、マイケル・
ワイルディングと熱愛し、五二年二月に結婚
した。これが二度目の結婚である。
二人の間には、マイケルとクリストスファ
−、二人の息子が誕生した。作品も『陽のあ
たる場所』『ラプソディ』『雨の朝巴里に死
す』『ジャイアンツ』と立て続けに話題作に
出演し、大女優の道を突き進んだ。
そして一九五六年には『愛情の花咲く樹』
の撮影中に知り合ったプロデュ−サ−、マイ
ケル・トッドと恋に落ちる。その結果、「前
」マイケルと離婚し、「新」マイケルと結婚
することになる。三度目である。
このマイケルとの間には、一女エリザベス
をもうけたが、『熱いトタン屋根の猫』『去
年の夏突然に』に出演中の五八年三月、トッ
ドは航空機事故で死んだ。
悲しみにくれるリズを近所に住んでいた俳
優のエディ・フィシャ−が慰めた。その同情
は愛情に変わる。エディの妻、デビ−・レイ
ノルズとの壮絶な三角関係の末に、リズとフ
ィッシャ−は結婚した。四度目。
エディとは『バタ−フィ−ルド八8に共演
したが、これで、ついにアカデミ−主演女優
賞(六〇年度)を受けた。名実ともに大女優
の地位を確立した。
彼女をスキャンダル女優として名を轟かせ
ることになるのが、六〇年九月から四年間に
わたる『クレオパトラ』騒動だ。
現地ロ−マでの製作が進まないために、リ
ズはいつも体調がすぐれず、機嫌が悪かった
。監督はリズの希望を聞き入れて、自分がア
カデミ−賞女優候補となった『去年の夏 突
然に』のジョゼフ・マンキ−ウィッツに交代
した。撮影を開始して一年後、約七百万ドル
を使っていたが、撮影は十分半しか終わって
いなかった。シ−ザ−役はレックス・ハリス
ンに、アントニ−役はリチャ−ド・バ−トン
に代わった。
共演者のリチャ−ド・バ−トンとのロマン
スは映画以上に関心を呼んだ。六二年初めに
は、バ−トンとリズは恋に落ちていたが、二
月にバ−トンが妻のところに戻ろうとした。
リズは半狂乱となって入院した。スキャンダ
ルでさらに撮影は遅れた。リズは肺炎で、命
拾いをした。
一九六三年三月五日に『クレオパトラ』は
ようやく完成した。製作開始から約四年が過
ぎていた。上映時間四時間三分。製作費は三
千百万ドル(現在の貨幣価値で約一億五千五
百万ドル)。作品としても、興行的にも大失
敗。フォックス社は経営の危機に陥った。
バ−トンと正式に結婚したのは、『二度目
の共演作『予期せぬ出来事』撮影後の六四年
三月のことである。五度目だ。この間に、マ
リアを養子に迎えている(妊娠しないように
医者からいわれたリズは、マリアを養女にす
ることで、フィッシャ−との結婚をたしかな
なものにしようとした。が、実際はフィッシ
ャ−抜きで、ことは運ばれた。名前はマリア
・バ−トンと名づけられた)。
その後は『いそしぎ』『ヴァ−ジニア・ウ
ルフなんて恐くない』(二度目のオスカ−受
賞)『じゃじゃ馬ならし』でバ−トンととも
に意欲作に取り組んだ。
それ以降は作品に恵まれなかったが、七三
年から始まったバ−トンとの離婚劇は、映画
以上の話題を提供した。
映画から映画へとわたり歩く二人にとって
、壮絶な夫婦喧嘩は旅の荷物みたいなものだ
った。ホテルに泊まるときは、自分たちの泊
まるスイ−トにくわえて上下の部屋も借りた
。激しいいがみいあいが他の宿泊客に聞かれ
るとまずいからだ。
バ−トンがリズにつけたニックネ−ムはト
ォワンピン、ウェ−ルズ語で「おデブちゃん
」、これが口喧嘩になると、「デブの淫売」
となる。
二人の結婚を終わらせたのは酒だった。ア
ル中の父の血を引くウォッカをバ−トンは一
日二本は空けていた。
一九七四年七月に離婚したが、これで終わ
ったわけではない。なんと、バ−トンとはま
たしても再婚している。
その後、リズはワインバ−グ上院議員、マ
イケル・フォ−ブスと婚約。八番目の夫は、
アル中のリハビリ病院で知り合った無一文の
男、ラリ−・フォ−チンスキ−と結婚したの
である。
八回におよぶ結婚、離婚。なぜこんなにも
結婚と離婚を繰り返すのかと聞かれてリズは
答えた。
「愛している人がいて、結婚するのは当たり
前でしょ。これはもう習慣みたいなもの。そ
うしなくちゃと思うようになるんです」
何回目かの結婚式で、治安判事が前の夫た
ちの名前を聞いた。
「何よそれ、記憶力のテスト?」
とリズはかみついた。
一九七三年から、事実上、引退のような生
活を送っていたが、リズは不死鳥のように蘇
った。
エイズ救済のために、リズの賭けた情熱は
なみなみならぬものだ。エリザベス・テイラ
−・エイズ基金では、これまでに五千万ドル
を集めてきた。
「エイズはまだ完全に治療できるわけではあ
りません。戦いは始まったばかりなのです」
生きていくだけの充分なお金があり、これ
から先、ボランティアやチャリティも何もす
る必要がないようにいわれてるが、「黙って
椅子に座っているだけの人生を送りたくあり
ません」と答えている。
リズはさまざまな贈り物を受けてきたが、
その最たるものは、高価な宝石だろう。三三
・九カラットのクルップのダイヤや一センチ
の厚さのダイヤもある(推定百万ドル)。
一九九四年には、母を亡くし、親友のチャ
ン・サムも亡くした。
「私も何度も死を彷徨ってきました。もう何
も怖くありません」
一九九七年には、脳腫瘍の手術をしたがこ
れにも耐えて生き延びた。
リズは現在、充電したエネルギ−を新しい
事業やチャリティ、そして家族のために使っ
ている。彼女の香水(『パッシション』『ホ
ワイト・ダイアモンド』)も発売され、年間
二億ドルの利益をあげている。
「商売とかお金とかじゃないの。あれこれ考
えるのが楽しいの」
リズは家族を大切にしてきた。
「人生で最良のときは、リチャ−ド(バ−ト
ン)と結婚していたとき、子どもたちはまだ
赤ん坊で、私たちはジプシ−の群れのように
暮らしていたわ」
夏の日の午後は、裏庭でピクニックをする
ことが多い。四人の成人した子ども、九人の
孫と曾孫が集まる。
「そのうち、四十人くらいにはなるわね。ス
イミングプ−ルには小さな頭がひしめき合う
でしょう」
もし、リチャ−ド・バ−トンが生きていた
ら彼とまた、「結婚することになるのか?」
という質問には、「そうなるでしょうね」と
答えている。
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