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リ−・ミラ−(モデル、写真家、料理研究家)
Lee Miller  
1907.4.23−−1977.6.--

疾走 gallop

「わたしは可愛かった。ほんとに可愛かった 。天使みたいだった。なかみは悪魔だったけ ど」(『リ−・ミラ−』松本淳訳)
 一九〇七年、ニュ−ヨ−ク州ポキプシ−に 可愛らしい女の子が誕生した。その子は、エ リザベスと名づけられ、はじめリ−リと呼ば れ、やがて両親はテ−テと呼んでいたが、な ぜかリ−という名前が定着してしまった。父 のシオドアは優れたエンジニアで、リ−はそ の影響をたぶんに受けて育った。独立心が強 く、言い出したらきかない強情なリ−の性格 は、父譲りのもので、リ−がパリに出て画家 になるという夢を誰も止めさせることはでき なかった。
 リ−はパリに陶酔した。当時のパリは芸術 の中心で、ピカソやミロ、ルネ・マグリット などの画家、詩人のアンドレ・ブルトン、フ ァッション・デザイナ−のココ・シャネルな ど才能溢れる芸術家たちがいた(ピカソとは その後も交流が続いた)。
 パリからニュ−ヨ−クに戻ったリ−はファ ッション・モデルとして『ヴォ−グ』などの 雑誌の表紙やグラビアを飾るようになる。ニ ュ−ヨ−クの著名な写真家エドワ−ド・スタ イケンのモデルをつとめた。生理用品のモデ ル第一号でもあった。金髪を短く切って、少 年のような容姿のリ−は人気者だった。
 攻撃的な性格のリ−は、写されるだけでは 満足できなかった。彼女は少女時代から玄人 はだしの父から写真術を学んだことがある。 写真家になる、と決心するとリ−は売れっ子 モデルの地位を惜しげもなく捨ててしまう。 そしてなんの保証もなく、ただ知人の紹介状 だけを携えて当時パリで注目されていた新進 気鋭の写真家マン・レイに会いにゆく。
 スタジオに行ったものの、管理人の話によ れば、マン・レイはいま出かけたばかりで戻 るのは一カ月先と答えた。が、リ−は何ごと も「いま」でなければならない。一カ月も待 っていたら、気持ちが冷えてしまう。
 リ−・ミラ−は諦めなかった。彼女はカン パニュ・プルミエ−ル通りにあるスタジオ近 くの小さいなカフェに入った。するとそこに マン・レイが現れたのだ。旅行を早めに切り 上げて戻ってきたらしい。
 リ−はいきなり言った。
「私はあなたの弟子になりたい」
「弟子は採らない」
 それにマン・レイは休暇旅行に出かけると ころだと言う。
「これからビアリッツ(フランス)に行くと ころなんだ」
「私もです」
 マン・レイはあっけにとられていたが、リ −はその言葉どおりにした。
 そのころマン・レイは、モンパルナスの女 王と呼ばれたキキというキャバレ−芸人と暮 らしていた。キキの性格は激しく、前後の見 境なく行動する。嫉妬のあまり、カフェで食 事中に罵声を浴びせ、食器類を投げつけたこ ともある。
 リ−はキキからマン・レイを奪い「マダム ・マン・レイ」と呼ばれるようになった。リ −はこうして三年間、マン・レイの恋人兼仕 事のパ−トナ−として同棲した。
「リ−はもっとも私を苦しめる存在にもなっ た」(マン・レイ)
 リ−はマン・レイの被写体となり、リ−に とってマン・レイは教師だった。しかし、リ −はいつも自由だった。
「寝ようと思ったら、誰とでも寝る」
 それは愛する人には関係ないこと、という のがリ−の考え方。夜遅くなるまで、マン・ レイは愛する人を待つのだ。彼はリ−に恋し ていた。
 しかし、リ−はマン・レイを捨て次の目標 を探した。
 リ−の前に、アジズ・エルイ・ベイという エジプトの大富豪が現れたのである。
 アジズが、サンモリッツの別荘ニメット荘 にリ−を招待したことが出会いだった。ちな みに、このときの招待客のなかには『街の灯 』を撮り終えたばかりのチャップリンもいた 。リ−とチャップリンは親しくなり、おどけ た写真や真面目な写真を撮ったりした。
 アジズはリ−より二十歳も年上だったが、 ファ−ザ−・コンプレックスの強かった彼女 は夢中になった。アジズもリ−の虜になった のだった。
 リ−の新しい恋人、アジズにはニメットと いう絶世の美人の妻がいたが、キキからマン ・レイを奪ったときのように、あっさりと自 分のものにしてしまった。いつもリ−は恋の 勝利者だった。アジズに捨てられたニメット は数週間も酒を煽り続けて、命を絶った。
 一九三四年、リ−は二十七歳でアジズと結 婚した。リ−は写真も捨てて、夫とともに、 エジプトでの生活を始めた。砂漠への冒険旅 行は、彼女の心を刺激したが、それも長くは 続かなかった。
 結婚から三年後、リ−はまたパリに戻って 芸術家仲間たちと交際を開始した。
 のちに二番目の夫となる画家のロ−ランド ・ペンロ−ズから、芸術的な刺激を大いに受 けた。それは危険をともなった心を震わすよ うに刺激だった。
 リ−が見つけた「いま」は、「戦場」だっ た。リ−は、兵士たちとともに、野戦服に身 を包んで、最戦線に赴いたのである。そして 血まみれになった兵士やナチス収容所の死体 など、生々しい場面を撮り続けた。
 それはファッション誌の『ヴォ−グ』に戦 場の写真が掲載されたので大きな反響を呼ん だ。
 リ−はジャ−ナリストとして戦争が終わる までの数年間を写真と文で、レポ−トし続け たのである。
 一九四七年、リ−はアジズと正式に離婚し て、恋人であるロ−ランド・ペンタ−ズと結 婚した。その年に、トニ−を産んだが、子ど もは仕事ほど彼女の心を捕らえなかった。リ −とロ−ランドはロンドンの郊外に大きな農 場を手に入れ、ピカソやロ−ランドのかつて の妻だった詩人のヴァランティ−ヌなども訪 れた。
 だが、夫のロ−ランドが若い恋人を作った のである。リ−は若さに対抗しようと、整形 手術を繰り返したが、ついに心のよりどころ を酒に求めるようになった。
 夫や息子との関係もうまくいっていなかっ た。いつ自殺しようかと、そればかり考えて いた。
「でも、みんなを喜ばせるようなことはしな いのよ」
 リ−は死ぬことをやめ、生きることを決意 する。それは写真に代わる自分が熱中できる ことを見つけることだった。
 リ−は料理を選んだ。料理の本をむさばり 読み、これまでの経験を生かして独自のレシ ピを作り出した。とくにエスニック料理は得 意だった。これによって孤独から立ち直った のである。
 年齢とともに、リ−とロ−ランドの関係は 穏やかなものになった。旅行にも一緒に出か けた。一九七六年七月、リ−とロ−ランドは フォト・フェスティヴァルに参加した。この 年はマン・レイの業績を讃えることになって いて、リ−はマン・レイの代理で出席したの である。
 それから一年後、リ−はロ−ランドと息子 のトニ−に見守られながら息を引き取った。 疾走し続けてきたリ−は静かにその歩みを止 めた。

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