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ジンジャ−・ロジャ−ス(女優)Ginger Rogers
1911.7.16−−1995.4.25
流麗 fluent
「裸に近いような衣装は落ちつかないわ、い
まの映画のように、想像力を働かせる余地の
ないものなら、映画の仕事はしたくない」
フレッド・アステアとの名コンビで日本で
も多くのファンがいたジンジャ−・ロジャ−
スは、名ダンサ−、女優として活躍した。
ジンジャ−は一九一二年七月、ミズ−リ州
インディペンデンスに生まれた。本名はヴァ
−ジニア・キャサリン・マクマ−ス。
「母の話によると、私は生まれる前からダン
スをしていた。生まれる数カ月前から、母の
お腹を激しく打っていたというの」
(『ジンジャ−・ロジャ−ス自伝』)
ジンジャ−の誕生の前に夫と別れた母は、
娘をショ−・ビジネスの世界で成功させよう
と考えた。母は幼いジンジャ−を連れて、ハ
リウッドで働き始める。スクリプトガ−ルや
スカウトなど裏方の仕事をしながら、ハリウ
ッドで顔を広めた。
そうして得た母の芸能界でのコネクション
を生かして、ジンジャ−はボ−ドヴィルの世
界に足を踏み入れると、すぐに才能を発揮し
た。四歳で巡業のボ−ドヴィル一座に加わっ
て、プロとしてのデビュ−を果たしたのであ
る。
ダンサ−になろうと決意をしたとき、シン
ジャ−は言った。
「ええ、これからかなり辛い思いをすること
になるって思ったわ」
その後、チャ−ルストン・コンテストに優
勝すると、ジャック・ペッパ−と組んで地方
巡業を始めた。
一九二九年、十八歳のジンジャ−はダンス
・チ−ムのメンバ−で、ダンスのパ−トナ−
であるペッパ−と結婚した。二人は、五年後
には離婚した。
しかし、芸能生活のほうは上昇気流に乗っ
ていた。一九二九年には『トップ・スピ−ド
』でブロ−ドウェイの舞台に立ち、スタ−へ
の大きな第一歩を踏み出すことになる。これ
を機会に映画の世界に入ることになり、RK
Oと正式に契約したのが、一九三〇年のこと
だ。この新会社はト−キ−時代の到来ととも
に大きく羽ばたき、ジンジャ−をスタ−に押
し上げた。
ジンジャ−はRKO映画『空中レヴィユ−
時代』(三三年)に出演。これが大ヒットと
なり、ジンジャ−とアステアは『コンティネ
ンタル』で共演した。
その後も、このゴ−ルデンコンビは『ロバ
ータ』『トップハット』(三五年)『艦隊を
追って』『有頂天時代』(三六年)『躍らん
哉』『ステ−ジ・ドア』(三七年)『カッス
ル夫妻』(三九年)とたて続けにヒットを飛
ばしていった。
一九三〇年代から四〇年代にかけて、ハリ
ウッドでもっとも、人気のあるスタ−として
一世を風靡した。アステアとぴたりと息があ
い、黄金時代を築いたのである。ジンジャ−
はアステアの動きにそって踊り、つねにアス
テアのリ−ドに従った。
だが、アステアの引き立て役だったジンジ
ャ−も、今度は主役の座につくことになった
。
一九四〇年の『恋愛手帳』でアカデミ−主
演女優賞を受賞したのである。この映画は二
人の男を相手に、自分の将来を考えるという
クリストファ・モ−レェ−のベストセラ−の
映画化。アステアと踊ったときほどジンジャ
−は輝いてはいなかったが、踊る女優から女
優への第一歩を踏み出した記念すべき作品と
なった。
また、デュビビィエの『運命の饗宴』(四
二年)でも、ジンジャ−は女優としてみごと
な演技を見せた。これはいい加減な婚約相手
に愛想をつかしたジンジャ−が、その男の友
人と結婚してしまうという物語だ。ヘンリ−
・フォンダとのコンビが絶妙だった。
さらに『恋の十日間』(四四年)は、殺人
者の女性が、本当に愛してくれる相手を探す
までの物語だ。ジョセフ・コットンとの共演
で人気を呼んだ。
だが、現在でも語り草になっているアステ
アとのコンビで映画史に残るだろう。
ジンジャ−は、ヴォ−ドビルの舞台そのま
まで、テキサスからオクラホマに、やがてブ
ロ−ドウェイの舞台まで上り詰めて成功を収
めてきた。
三〇年代のアステアとジンジャ−のコンビ
はぴったりと息があっていて、スクリ−ンで
見る限りにおいては、まるで恋人のような感
じを受ける。
恋人だったと想像するのはたやすいが実際
にはそうではなかった。仲が悪かったという
のではむろんないが、彼らはあくまでも仕事
上の付き合いだった。
『ジンジャ−・ロジャ−ス』の自伝によると
アステアとジンジャ−は知りあってすぐにデ
−トをした。
「その夜は、キスをして別れた」
その後、二人はいっきに深い関係に進むか
というとそうではなかった。
むしろ映画で共演するようになると、そん
なロマンティックな関係は微塵も見せなかっ
た。ときには、撮影中に緊張したム−ドが流
れることもあった。
「しかし、二人ともプロ意識に徹していたの
で、それ以上の険悪な関係にはならなかった
。彼らのロマンティックに見える関係は、つ
ねにスタジオの内に限られていた。二人で食
事に行くこともなかったし、お互いに付き合
うグル−プも別だった」(『ジャンジャ−・
ジャ−ス』自伝)
本音では、アステアは同じ相手、ジンジャ
−と組むことに、強い抵抗を示していた。マ
ンネリになることを恐れていた。
だが、そうはならなかった。彼らのダンス
は、どれもロマンティクなもので、物語の中
にダンスがあるのではなくて、ダンスの中に
物語があると言われたほどだ。
「彼女は特定の人に愛を注ぐのではなく、お
おぜいの人に愛を少しずつ与えるのだ」
(ジョ−ジ・ガ−シュイン)
実生活のジンジャ−はなんども結婚と離婚
を繰り返した。五度の結婚、そして離婚。
二番目の夫は映画スタ−のリュ−・エア−
ズ。四度目はフランス生まれの俳優、ジャッ
ク・ベルジュラック、五度目は俳優で、監督
のウィリアム・マ−シャルだ。他に何人もの
恋人がいたことをジンジャ−は自伝で認めて
いる。
アステアのほうは、長年連れ添った夫人が
亡くなったため、晩年になって新しい家庭を
もった。
ジンジャ−とアステアは実生活では恋人関
係でなかったが、ステ−ジや映画ではたっぷ
りとロマンティックな関係を見せてくれたの
である。恋人以上の仲、それがジンジャ−と
アステアとの間柄だった。
ジンジャ−は六五年に引退した。
一九八五年、ジュリエッタ・マシ−ナが『
ジンジャ−とフレッド』でジンジャ−の役を
やることになった(フレッド・アステア役は
マストロヤンニ)。
ところが、ジンジャ−はすごく怒った。「
あまりにも、自分が汚い」と息巻いた。ジン
ジャ−は七十四歳。年を重ねても、ジンジャ
−は「笑って許す」寛容さはもちあわせなか
った。
一九九五年、ロサンゼルス郊外ランチョミ
ラ−ジュの自宅で八十三歳の生涯を閉じた。
老衰とみられる。
天国でジンジャ−とアステアはふたたびゴ
−ルデン・コンビを復活させているにちがい
ない。
「ジンジャ−・ロジャ−スがフレッド・アス
テアと組んでいるときだけだ。映画の中で、
彼女にではなくて、男のほうにも目がいくの
は」(ジ−ン・ケリ−)
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