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ブリジット・バルド−(女優) Brigitte Bardot
1934.9.28−−

小悪魔 little devil

 作家のボ−ヴォワ−ルはブリジット・バル ド−のことを「彼女が踊るのを見れば、聖人 ですら道を誤るだろう」と形容した。
 バルド−は、一九三四年の生まれ。父は航 空会社を経営し、母は保険会社の重役の娘と いう恵まれた家庭で、パリ十五区のブルジョ ワ的伝統にしたがって育てられた。
 幼いときからバレエを習っていたバルド− は、十三歳のとき、パリの国立音楽演劇学校 (コンセルヴァトワ−ル)バレエ科から優秀 賞を授与されている。フランスのテレビでバ レエを披露したこともある。
 十六歳のとき、帽子デザイナ−のモデルに なった。その写真が、『ジャルダン・デ・モ −ド』誌に載り、それがきっかけで、『エル 』誌のカヴァ−ガ−ルを頼まれた。
 当時『パリ・マッチ』誌の記者をしていた ロジェ・ヴァディムと出会ったことが、彼女 の将来を決定づけるのである。すらりと脚の 長いダンディなジャ−ナリストに、十六歳の バルド−は恋心を抱いた。ヴァディムはやが て映画界に入り、バルド−をいろいろな映画 に出演させた。
 だが、彼女は女優になりたかったのではな くて、ヴァディムと結婚したかった。両親か ら反対され、自殺未遂のすえにようやく許さ れた。
 一九五三年五月十二日、カンヌ映画祭での バルド−はスタ−扱いだった。そのときバル ド−は何本かの映画に出てはいたが、まだ本 当のスタ−ではなく、映画祭に招待されたの でもなかった。『パリ・マッチ』記者のヴァ ディムについて来ていただけだ。官能的な口 、卵形の目に華奢な鼻、子どものような丸み を帯びた頬のバルド−が微笑んだ。十八歳の バルド−はまるでアフロディテのようであっ た。
 その日の午後、バルド−がヴァデムと食事 をしていると、一人の男が近づいてきた。男 はオナシス(ギリシアの船舶王)の秘書だと 名乗った。
「明晩、クリスティ−ナ号で催すレセプショ ンにご招待したいのですが」
 するとバルド−は答えた。
「あいにく私には先約がありまして。主人と 食事をすることになっておりますの」
 男がヴァデムも招待しようと言うと、バル ド−はすかさず言った。
「二人だけで食事しますの」
 バルド−は、あくまでも自由奔放な生き方 を貫き通した。生活も考え方も。
 実際に、二人が正式に結婚したのは、その 年の十月一日のことで、彼女は十九歳になっ たばかりだった。
 一九五六年、監督になったヴァディムがバ ルド−を主演させた『素直な悪女』は大きな 衝撃を与えた。ファ−スト・シ−ンからわか わかしい全裸の肉体をシネマスコ−プの画面 いっぱいに捕らえていた。この映画は古いモ ラルを吹き飛ばす新鮮な魅力をもっていた。 スタ−、BB(ベベ)の誕生だ。このベベと いう響きには、フランス語で赤ん坊をさすb ebeという意味が含まれている。
 バルド−の最大の魅力はフランス人が「フ ァム・アンファン(子どもとしての女)」と 呼ぶ天性の自由奔放さにある。
 バルド−は、フランク・シナトラと共演し て『夜のパリ』を作ることになっていた。ヴ ァディムは、苦労してシナトラとの話をまと め、いったん話は決まったが、バルド−は撮 影をすべてパリで行うことを主張し、シナト ラはパリで四カ月も仕事することを受け入れ られない。双方が譲らなかったために、この 映画は実現しなかった。
 バルド−は相手がどんな大物でも、自分が 納得しなければ一歩も引かない。
『素直な悪女』の大ヒットで、バルド−はス タ−の座についた(ヴァディムとの仲は冷え きっていた)。そのころからBBは多くの男 たちと恋の遍歴を始めた。
「意思に反して貞淑でいるくらいなら、不実 になったほうがましよ」
 この映画の撮影中、BBは共演者のジャン =ルイ・トランティニャンと駆け落ちした。 『バベッド戦争に行く』ではシャリエを熱愛 した。ヴァディムとは一九五七年十二月に正 式に離婚したが、その後も彼の映画には出演 した。
 BBの恋のお相手は多彩で、メキシコの闘 牛士グスタ−ヴォ・ロ−ホ、歌手ジルベ−ル ・ベコ−、俳優のラフ・ヴァロ−ネ、歌手の サシャ・ディステル、前出の俳優ジャック・ シャリエ、サミ−・フレイ、実業家のギュン タ−・ザックスとめまぐるしく変わった。
 シャリエとは五九年に、ザックスとは六六 年に結婚。シャリエとの間には、六〇年に息 子のニコラをもうけたが、いずれも離婚。絶 望したシャリエやフレイを自殺未遂に追いこ んだ。
 バルド−の周辺にはいつも、死の匂いのす るスキャンダルが起きた。
 バルド−はクロ−ド・オ−タン=ララ監督 のもとで、ジャン・ギャバンを相手役に『可 愛い悪魔』という映画を製作した。
 一九六〇年『真実』の撮影中にアンリ=ジ ョルジュ・クル−ゾ監督は、BBの魅力の虜 になったが、それを知った夫人のヴェラ(女 優)は服毒自殺をした。
 この事件によって、BBは「魔性の女」と 呼ばれたが、彼女自身もノイロ−ゼになり、 六〇年九月二十九日、二十六歳の誕生日に手 首を切って自殺を図った。
 当時、アメリカではニクソンに対抗して、 ジョン・F・ケネディが大統領選挙の真っ最 中、フランスは最初の原爆実験を行った。い ずれも世界の注目を集めた事件だった。が、 フランスの新聞やマスコミでは「ブリジッド ・バルド−自殺未遂事件」は、一週間以上も トップ・ニュ−スだった。
 いまやフランスを代表する女優として、自 分が望んだどおり世界的なスタ−になったも のの、どこに行っても大勢の人に取り囲まれ ることに、耐えられなくなっていた。夫を愛 してはいたが、恋人も愛していて、自分自身 がわからなくなっていたのである。『真実』 の撮影中、バルド−は心身ともに疲れきって いた。
 それに、毎年自分の誕生日の九月二十八日 はバルド−にとっては試練の日で、いつも憂 鬱な気分に襲われる。
 その年も二十六歳の誕生日をバルド−はニ −ス近くの別荘で祝っていた。友人たちに囲 まれてはいたが、彼女は孤独だった。致死量 の睡眠薬を飲み手首の血管を切って自殺を図 ったのだ。誰にも発見されないように戸外に 出て、暗い公園をさまよい歩いた。
 バルド−は睡眠薬から入水自殺まで四度自 殺を図っている。
 しかし、彼女はそれらの体験を映画の中に 反映させてきた。とりわけBB主演で彼女自 身を映画化したルイ・マル監督の『私生活』 は、スタ−としての彼女の内面の孤独を描い たものとして興味深い。
 女優として高い評価を受けて、一九五七年 と五九年にフランス・シネマ大賞の最優秀女 優賞を受賞した。
 ところが、彼女は「私は世界中で一番自由 でない女です」としばしば引退宣言を行って いるのだ。
 しかしながら、本当に引退をするのは、ず いぶん後のことで、バルド−は、五十八歳で 右翼の大金持ち、ベルナ−ル・ドルナ−と結 婚した。
「小悪魔」のイメ−ジの間には、かなりのへ だたりがあるような気がするが、最近のバル ド−は動物愛護運動家としてよく知られてい る。
 子どもは大嫌い。シェリエのとの間に生ま れた子どもを「腫瘍のようなもの」と言って いる。
 彼女にとって、「自由に誰にも束縛されな いで生きる」ことが、もっとも大切なことな のである。
「いつも若くてきれいな男が好き。年を取っ ても好みは変わらない。仕方ないでしょ」
 気ままな独身生活がBBにはあっている。 「恋をしないと醜くなる」
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