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マリア・カラス(オペラ歌手) Maria Callas
1923.12.2−−1977.9.16
傲慢不遜 insolent
「ギリシア、あるいは他の神が悲劇のヒロイ
ンを創造したとしたら、それはマリア・カラ
スだ」
(作家、タキハ−・テオドラコピュラス)
一九五九年、マリア・カラスは三十六歳の
夏、ギリシアの海運王、オナシスの豪華船ク
リスティナ号に招待された。オナシス夫妻と
親友の元英国首相チャーチル卿夫妻も一緒に
乗船した。カラスはVIPの仲間入りができ
たことが嬉しかった。
世界的な大富豪の前では、夫メネギーニは
貧弱に見えた。それにひきかえ元英国首相た
ちを相手にする堂々とした男オナシスにカラ
スは夢中になった。莫大な富と権力を握った
男の魅力だ。
とたんに夫メネギ−ニが見すぼらしく感じ
られる。
カラスとオナシスは親密になり、二人だけ
で、ひんぱんに地中海沿岸の港へ小旅行をし
た。そしてその船旅が終わるころには、夫妻
の結びつきは壊れてしまっていた。
カラスは船旅をする以前から、オナシスが
彼女のクラスメートのおじだった関係で面識
はあったが、まさか愛の対象になるとは思っ
てもみなかった。
七年経って、ようやくカラスの離婚が成立
した。
ところが、離婚の二年後の一九六八年に、
オナシスはカラスではなく、JFKの未亡人
ジャクリーン・ケネディと結婚したのだ。カ
ラスは唖然とした。
誇り高いカラスにとって、元ファースト・
レディなんかあばずれ女でしかない。
「あのゴールドディガー(金を巻き上げる女
)には、彼のことなんかわかってないのよ。
アメリカの記念日に出席するためとか何とか
でいつもお出かけの、国家的記念物と結婚し
たって何になるの?」
カラスの恋敵(がたき)に対する攻撃は痛
烈だ。
「あの女はカーペットや食べ物まで、安物の
フランス仕こみに変えたがっているだけ」
困難なものを手に入れることに情熱を燃や
すオナシスにとって、カラスに対する関心が
無くなった。
だが、男と女はわからない。オナシスとカ
ラスはよりを戻した。仲良くキスをしている
ところを写真に撮られて、世界中のマスコミ
が大騒ぎとなった。これはカラスのオナシス
を奪い返す作戦だった。
「あんな女に負けるわけにはいかない」
しかし、結局オナシスが憧れていたのは元
大統領夫人という称号だった。
むろん、この成り上がりの大富豪は芸術の
良き理解者だったかどうかは疑わしい。それ
どころか、カラスを愛していたかどうかさえ
も。
オナシスはカラスの音楽を「退屈で下らな
い」と嫌った。すでに身ごもっていた子ども
を無理やり中絶させた卑劣漢だ。
二十世紀を代表する歌姫、マリア・カラス
は一九二三年、ギリシア移民の娘として、ニ
ューヨークに生まれた。マリアには、ジャッ
キーという名の姉がいて、男の子をほしがっ
ていた両親にとっては歓迎されざる子だった
ようだ。
マリアの父はドラッグストアを始めたのを
機に名字をカラスと改めた。一九二九年、大
恐慌で店がつぶれると、夫婦仲もうまくいか
なくなった。
二人の娘は音楽的才能に恵まれていた。姉
はすらりとした美人でピアノを習い、妹のマ
リアは肥満児で近眼だったが、とびっきり声
が良かった。
マリアが十三歳のときに、母は夫と別居し
て娘をギリシアへ連れて帰る。彼女たちは、
第二次世界大戦中ギリシアに住んだ。マリア
は得意の咽喉で駐留中のイタリア将校たちを
喜ばせた。また、戦時中もソプラノ歌手の手
ほどきを受け、名門のアテネ音楽学院で本格
的な声楽の勉強をする。
マリアがオペラ歌手マリア・カラスとして
知られるのは、一九四七年のイタリアのヴェ
ローナで『ジョコンダ』の公演に成功を収め
てから。その年に恋の相手と出会っている。
その公演中に、ジャン=バッティスタ・メ
ネギーニに会った。カラスより三十歳年上、
五十四歳のイタリア人実業家で、オペラの後
援者だった。カラスは当時、百キロの巨漢だ
った。
「私が会ったとき、彼女は太った不細工な女
でしかなかった」
(二十代のころから、生に近い大量の肉、ド
レッシングなしの野菜サタダ、パスタや菓子
類なしの食餌療法をしていたが効果はなかっ
た)
のちに夫となるジョヴァンニ・バスティス
タ・メネギ−ニは初めて会ったときの印象を
そう語っている。それでも、メネギ−ニはカ
ラスの将来に賭けた
「会った五分後には、まさしくこの人だって
ピンときたの」
誰も信じなかったが、カラスは真剣にそう
思っていた。
「もし彼が望んでいたら、私は何の未練もな
く歌手としての職業を投げ捨てていたわ。愛
は女の人生で、芸術的な成功よりも大切なも
の」
二人の結婚は、双方の家族の大反対にあっ
た。メネギーニの家族は彼がオペラのことに
かかりきりになって、家業の建設業をなおざ
りにするのを恐れた。
カラスの母親は三十歳もの年齢差と、メネ
ギーニがギリシア人ではないことで動転。カ
ラスはヴェローナで結婚式を挙げたが、どち
らの家族も一人も出席しなかった。
夫の協力と彼女の「有名になりたい」とい
う執念で、二カ月間で五十キロもの減量に成
功した。百七十五センチ、六十キロというス
リムで美貌のオペラ歌手に変身したのだ。
(偶然、トイレでサナダムシを見つけ、医師
の指示で薬を飲み、体内の虫を駆除した。そ
の後、一週間に三キロという驚異的なペ−ス
で体重が減っていった)。
一九五〇年、有名なミラノのオペラ劇場、
スカラ座での舞台を機にカラスはスターの座
についた。夫は妻のキャリアの妨げにならな
いようにと子どもを産ませなかった。
しかし、オナシスとの出会いによって夫婦
に決定的な亀裂が生じてしまった。
「無名のカラスを支えたのはこの私だ。なの
に彼女は私を傷つけることで私に報いた」
メネギーニは離婚のとき、捨て台詞を吐い
ている。
一方、カラスは金切り声をあげて「あんな
やつ、くたばってしまえ」と暴言を吐いたか
と思えば、沈んだ様子で「この結婚が壊れた
のは私の最大の失敗だと認めます」としおら
しさを見せている。
カラスの晩年は孤独だった。
映画『王女メディア』やオペラ『椿姫』の
ヴィオレッタ役などで一世を風靡したプリマ
ドンナは愛を歌いあげた。
「私には仕事がある。だから私なの。仕事が
なかったら、そうしたらいいの?」
仕事以外、カラスはほとんど何にも関心が
なかった。
マレ−ネ・ディ−トリッヒは主婦の仕事が
おもしろくて仕方がなかった時期に、カラス
のために何時間もかけて、八ポンドの牛肉で
ビ−フ・ス−プをこしらえたことがあった。
プリマドンナは一口啜ると、ディ−トリッヒ
にたずねた。
「とてもおいしいわ。ねえ、どこのブイヨン
を使ったの?」
カラスは私生活ではついに真実の愛を得る
ことなくこの世を去った。孤独な死には、自
殺、薬物中毒などの諸説がある。
マリア・カラスの生涯は、その私生活が華
々しく書きたてられた割には、夢中になった
男は、わずかに二人である。元夫メネギーニ
と恋人オナシスだ(テノ−ル歌手、ジュゼッ
ペ・ディ・ステファ−ノと噂されたことはあ
る)。
二人の男には共通点がいくつかある。彼女
とは父親程の年齢差があり、外見はとてもハ
ンサムとは言えず、背も低い。また、スケー
ルの差はあるものの、ともに実業家である点
も似ている。
傲慢不遜、誰の忠告も聞かないカラスだっ
たが、愛に対してはひたむきだった。『ノル
マ』第二幕フィナ−レの絶唱のように彼女が
つねに求め続けたのは、「永遠の愛」だった
にちがいない。
カラスは言う。
「愛は簡単なこと。愛、崇拝、尊敬、それら
が一緒になるの」
ギリシア正教で行われた葬儀には、モナコ
王妃、カトリ−ヌ・ドヌ−ヴら二百人が列席
した。ジスカ−ルデスタン大統領からは真っ
赤なバラの花束が贈られた。
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