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マタ・ハリ(スパイ) Mata Hari
1876.8.7−−1917.10.1
幻想 illusion
「当方、陸軍将校。良家の子女との結婚を求
む」
一八九四年、こんなアムステルダムの新聞
広告に修道院を出たばかりの、当時十八歳の
少女マルガレータ・ゼレは目を輝かせて応募
した。
「これでやっと私も貧しい生活とも訣別でき
るわ」
この広告はタネを明かせばその将校の友人
が仕組んだ悪戯だったのだが、ウソが本当に
なった。
少女マルガレ−タ(オランダ人)は、三十
九歳の陸軍大尉ルドルフ・マクラウドと結婚
して、最初の息子、ノ−マン・ジョンを産ん
だ。やがて、オランダ領東インド諸島に配属
されて家族とともに移る。マルガレ−タはす
でに二児の母だったが、若い将校や農園主を
相手に遊びまわっていた。
また、ジャワの宗教的なダンスに魅せられ
て、それがのちの彼女の人生を大きく変える
ことになる。
夫のマクラウドは酒と女に溺れ、妻に暴力
を振るうようになった。弾の入った拳銃で、
妻を脅したこともあった。息子の子守女をマ
クラウドが強姦したために、怒り狂った恋人
の男に、息子が毒殺された。
のちになってマクラウドは、この毒殺者を
素手で絞め殺したと言っている。
マクラウド一家はオランダに帰り、二人は
離婚した。二十八歳のときマルガレ−タは一
人、パリに出た。
「男から逃げ出した女はみんなパリにいるも
のだと思ったから」
というのがパリ行きの理由だ。
ダンサーとしてデビューした彼女は、東洋
美術館主のエミ−ル・エティエンヌ・ギメに
出会い、オリエンタル・ダンスを美術館で上
演して、観客に強い衝撃を与えた。宝石を散
りばめたブラジャ−と薄く透けて見える衣装
を身にまとって舞った。
ムーラン・ルージュでも踊った。そのころ
から彼女はマタ・ハリ(マレー語で、「太陽
」という意味)と名を変えた。黒い髪、背が
高く(一七五センチ)、小麦色の肌、キリリ
とした顔立ちに濡れた瞳はエキゾチックな魅
力に溢れていた。
マタ・ハリの母は、インドの寺院のダンサ
ーで、子どもを産むとすぐに死んだ。そのた
めマタ・ハリは寺院の僧侶たちに育てられた
が、彼らはヒンズー教の神、シバに捧げる神
聖な踊りを彼女に教えた。そして十三歳のと
き、彼女はヒンズー寺院の祭壇の前で初めて
ヌード・ダンスを披露したという。
人気は沸騰し、ヨ−ロッパ中の主要都市で
センセ−ションを巻き起こす。あまりにも、
物議をかもし出すので、赤いフランネルのお
むつのようなものを履いて踊ることを演出家
が強要したほどだ。
第一次世界大戦勃発とともに、マタ・ハリ
は連合軍の軍事機密を収拾するスパイだとい
う噂が立ち始めた。
なぜ、彼女がスパイを働くようになったか
? いまだに謎に包まれている。
暗号ナンバー、H21の彼女はあぶりだし
のインクなど秘密兵器を駆使して諜報活動を
おこなった。ドイツ軍将校を誘惑し、愛人で
あるロシア将校の歓心を買うためのお金がほ
しくてフランス側のスパイになったともいわ
れる。
嫉妬心と貪欲さと色好みを刺激して貴族た
ちを巧みに操った。
この二重スパイの容疑で、マタ・ハリは一
九一七年、フランス官憲に逮捕された。その
とき、彼女はホテルの部屋で裸のまま長椅子
に座って微笑んでいた。
マタ・ハリはセックスの代償として金を受
け取ったが、「軍服」に憧れていたので、軍
人には無料で奉仕することもあった。
食べていくために男の欲望を利用していた
が、本当はほとんどの男を憎んでいたのかも
しれない。
愛人となった男性には、各国の軍人多数、
ドイツの皇太子、航空会社の社長、オランダ
評議委員会の委員長もいた。マタ・ハリは四
十歳近くになると、十七、八歳の少年を愛人
にした。
彼女はときには言い寄ってくる男をはねの
けたこともある、その軍需品ブロ−カ−の男
は食事のマナ−が悪かったからである。
「踊りはうまくはないの。でも、人前で裸に
なったのは私が初めてだから人気になったの
よ」
マタ・ハリに関する資料は、十八センチの
厚さにものぼるが、証拠として残っているの
はいい加減なものばかり。彼女がもっていた
「チュ−ブに入った秘密のインク」も、実際
はセックス後避妊用に注入する水銀のオキシ
アン化物ということがわかった。
パリ第三軍法会議に掛けられた。愛人のメ
−トル・クリュネ老も裁判では彼女を弁護し
た。もう一人の愛人、外務大臣のジュ−ル・
カンボンも自ら進んで証言台に立った。
三人目の愛人、物腰の柔らかい老メシミ−
将軍からは「主人は被告とは一面識もないの
で、証人になることを遠慮させてほしい」と
いう夫人の手紙をもってきた。これを知った
マタ・ハリは大声で笑った。
「ああ、この私に会ったことがないんですっ
て、あきれた。なんて図々しい男なんだろう
!」
陪審員たちも一緒になって笑ったが、だか
らといってこれで刑が軽くなったわけではな
かった。
判決文が読みあげられた。
「第三軍法会議の裁定により、ゼレなる女性
をスパイ容疑で死刑にする」
十月十五日明け方、死刑執行の日に、監獄
付の医者の前で靴下を履くときに、あまりに
も足を露出しすぎるといって、連れにきた尼
僧が叱った。マタ・ハリは上から下まで、ま
ったく肌を見せないように服を着せられた。
サンラザ−ル刑務所のなかで、彼女は妊娠
しているかどうか訊ねられた(フランスの法
律では、妊婦は刑の執行を免れることになっ
ている)。愛人のクリュネが、彼女を救う最
後の手段として、生まれてくる子の父親は自
分であると証言したからだった。
「いや、いや、そんな口実にたよるなんて・
・・いやです!」
とマタ・ハリは答えた。
マタ・ハリは手首を縛られることを拒ん
だ。十一発の銃弾、こめかみに一発の銃弾が
当たった。
ヴァンサンヌの刑場の露と消えた。四十一
歳だった。
彼女がコ−トを脱いで、裸身をさらしたた
めに、驚いた兵士たちは、誰一人銃の引き金
を引くことができなかった、あるいは飛行士
の愛人がいて、その男が刑場に機銃掃射をく
らわせたとかいう話は、彼女の死を悼む気持
ちから出たウソだった。
さらに、歌劇『トスカ』にヒントを得た別
の愛人が、銃殺隊を買収して空砲を使わせ、
彼女のからだを通風のいい棺に収めて、後か
ら堀り返しやすいように浅く埋めたなどとい
う話がまことしやかに伝えられている。
ほんとうはどうだったのか? マタハリの
遺体は引き取る者が誰もいなかったので、解
剖の実験材料として医科大学に寄付されたの
だった。
彼女は本当に罪を犯したのか? いまだ謎
に包まれている。
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