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アメリア・イヤハ−ト Amelia Earhart
1897.7.24−−?
失踪 disappear
「勇気とは、平和を肯定するために必ず払う
べき代価である。それを理解しない者は、瑣
末なことから開放されることはない。
恐怖がもたす陰気な孤独も、苦い喜びをか
みしめて、翼の音を聞く 山を見下ろす高み
をしることもない」
(『勇気』)
アメリア・イヤハ−は、一九三七年七月二
日、愛機とともに、海中に墜落したとされて
いる。航空士(ナビゲ−タ−)のフレッド・
ヌ−ナンとともに何の痕跡も残さずに、忽然
と姿を消したというのだ。
しかし、彼女の失踪事件についてアメリカ
政府がウソをついているという驚くべき、想
像もしなかった証拠をランド−ル・ブリンク
は調べた。彼は『アメリア・イヤハ−ト最後
の飛行』という著書のなかで、二十世紀最大
の謎とされている「失踪の謎」を解き明かし
ている。
事件の真相に迫るために、ランドルの調査
をたどってみよう。
当時三十九歳のイヤハ−トは双発のロッキ
−ド・エレクトラ機で、ニュ−ギニアのラエ
を飛び立った。飛行計画では、太平洋上を二
千五百六十六マイル飛んで、ハワイの約千八
百マイル西にあるホ−ランド島に着くはずで
あった。
ところが、実際にイヤハ−トがとったコ−
スは、北東九百四十五マイル、トラック島か
ら北東に二千六百六十マイル、ミリ環礁のタ
ラワ島であった。
いったいこの女飛行士は何をしようとして
いたのか?
その日、七月二日の午前九時半、アメリア
がエレクトラ号のエンジンを掛けたときは、
他の区間を飛ぶときと同じように特に不安を
感じることはなかった。おそらくは、燃料を
いつもより、多く積んでいるせいか、機体が
東の空に舞い上がったときには、滑走路がな
くなっていた。そして、約二十一時間後に、
(エレクトラは日付変更線を通過したので、
まだ七月二日である)アメリアとナビゲ−タ
−のヌ−ナンは海の中に消えたのである。
世界でもっとも文明から離れた地域を二万
二千マイル以上も飛んだ後に、彼らは燃料が
つきて、海に墜落、溺死したというのだ。
だが、人間と機械が何の痕跡も残さずに、
消えることなどあるのだろうか? しかも、
それらの機械の破片、油が流れた痕、人間の
死体など、海に落ちたとする証拠を証明する
ものは、いままでに何ひとつ発見されていな
い。
大掛かりな捜索が海と陸で行われたにも関
わらず、アメリカ政府はアメリアとヌ−ナン
の失踪について正式な発表をしていない。
なぜか? 二人は生きている。アメリア・
イヤハ−トは生きていたからだ。
アメリカ政府は、隠す必要があった。むろ
ん、アメリアは「事件」が起こることを知っ
ていた。
一八九七年七月、アメリア・イヤハ−トは
アメリカのヘソといわれる中部、カンザス州
アチソンの祖父母の家で、二人姉妹の長女と
して誕生した。アメリアは自立心が強く、祖
父母から気づかわれて育てられた。
アメリアは名門の女子大に入学したが、世
界大戦で愛国心に燃えた彼女は、学業を放棄
して特別志願看護婦になった。そこで、彼女
は人生を変える大きな体験をするのだ。
一九一七年、妹のミュリエルと航空ショ−
に行ったときのことだ。飛行機とパイロット
がアメリアに向かって落ちてくるように見え
た。その一瞬一瞬の光景の恐怖に、ただ恍惚
とした感情を味わっていたのだ。
一九二〇年になると、アメリアは初めて恋
を経験した。ロサンゼルスの家に下宿してい
た学生に恋をしたが、結局二人は別れてしま
った。アメリアは男のために自分の自由を捨
てることはできなかった。
その年の夏、アメリアは初めて空を飛ぶ体
験をした。空を飛ぶ魅力に魅せられた。
パイロットの免許を取得するのに、障害と
なったのは授業料である。授業の費用は、千
ドル。当時のお金としては破格で、父は娘の
懇願に応じきれず、何度も止めるように説得
した。
アメリアは諦めなかった。費用を稼ぎだす
ために彼女は電話会社に就職し、授業料も分
割にしてもらった。そうして本格的なスタ−
トを切った。
アメリアの名前が世界に轟いたのは一九二
二年、小さなキンナ−・スポ−ツ複葉機で一
万四千フィ−トまで上昇して、女性の高度記
録を作ったときからである。以来、アメリア
は次々に記録を塗りかえていく。一九二八年
から三十五年の間には、三つの大陸横断記録
を作った。アメリカ大陸単独往復飛行を成し
遂げた最初の女性となり、二つの無着陸スピ
−ド記録を樹立した。
一九三一年の二月七日、アメリアは富裕な
出版業者であるジョ−ジ・パルマ−・パット
ナム二世とに、コネチカット州ノアンクで結
婚した。この結婚も不自然で、夫は彼女のマ
ネ−ジャ−役をつとめることになる。
一九三二年には、大西洋を単独で横断。三
五年には、ホノルルとカリフォルニア間の太
平洋を越えた。またロサンゼルスからメキシ
コシティへ単独飛行。さらにはメキシコから
ニュ−ジャ−ジ−州のニュ−ア−クへ単独飛
行した。
女性としての数々の単独飛行を成功させた
アメリアは、名飛行士チャ−ルズ・リンドバ
−グにちなんで「レイディ・リンディ」とい
うニックネ−ムまで付けられたほどの人気者
となった。
アメリアはこの愛称が嫌いだったが、大衆
の要求に応えるように、リンドバ−グ風の恰
好をしていた。着なれた革ジャンパ−の下に
は、男物のシャツ、それに少年のように短い
髪の毛をしていた(習慣的な趣味で、このほ
うが自分らしく感じられた)。もっとも、撮
影などのときは、女性用の最新流行のモデル
にもなった。
アメリアは、「アメリカの空のファ−スト
・レディ」といわれ、一九三〇年代の勇気と
流の象徴だった。
さて、謎の失踪事件について話をもう一度
戻そう。アメリアとヌ−ナンの乗ったエクト
ラは時速二百二十マイルで巡行することが可
能だった。アメリアは公表したコ−スから離
れて飛び、またコ−スに戻ってくるというこ
とが可能だった。日本海軍主力艦隊の演習の
まっただ中に飛びこんだのである。したがっ
てスパイ活動が目的だったともいわれる。
日本側はその海域を支配していて、彼女の
通信が最後に確認された七月五日に、日本側
はアメリアとヌ−ナンを発見したのだ。
日本軍はどういう目的で、アメリアを捕ら
えたのだろうか? 捕らえられたアメリアは
どういう運命をたどったのか?
太平洋戦争で日本側はアメリカ向けの宣伝
放送を続けたが、このアナウンサ−はアメリ
カの軍人たちの間では、「東京ロ−ズ」(日
系二世のアイバ戸栗ダキ−ノさん)として知
られていた。その魅力的な声は、アメリア・
イヤハ−トだという噂も流れた。
アメリアとイヤハ−トは、ガラパン刑務所
の外で、スパイとして処刑されたというサイ
パン島民はたくさんいる。だが、処刑にして
も推測の域を出ていない。日本の要塞地帯の
上をスパイ飛行していたアメリカの女性飛行
士がサイパンに捕らえられて、すぐに東京に
移されたという説もある。
戦後は、アメリカに帰り、新しい別の人間
としての身分証明を得たのだろうともいわれ
ている。
イヤハ−トの死は、失踪から一年半後の一
九三九年一月五日に、法的に認められた。
「私が感じている危険、お察しください。私
は飛びたいから飛ぶのです。男の人がやって
きたことを女性もやらなければなりません。
もし、失敗したとしても、誰かがそれに挑戦
して引き継いでくれるにちがいありません」
これがアメリアが公式に発言した「最後の
言葉」である。
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