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アガサ・クリスティ Agatha Christie
1890.9.15−−1976.1.12
失踪 disappear
「小説の構想を練るのに最適なのは、お皿を
洗っているときです」
アガサ・クリスティは、一九二〇年に最初
の本を出版して以来、八十六歳で亡くなるま
でに六十六冊の長編と百七十本以上の短編(
遺作『マントウの黄金』)を書いた。その多
くの作品は世界百カ国以上で翻訳され、出版
された著作の総部数は十億冊を超え、これは
聖書に次いで多いといわれる。「ミステリの
女王」といわれるゆえんである。
アガサは一八九〇年、イギリスのト−キイ
に生まれた。三人きょうだいの末っ子だった
が、姉と兄とは十歳以上も年が離れているこ
ともあり、一人で遊ぶことが多かった。
当時、学校制度が確立していないこともあ
り、アガサは学校には行かずに、母から家庭
で教育を受けた。五歳になるまでに、自然に
文字を覚えた。
十六歳で小説を書き始めたが、風邪を引い
て何もする気がおきなかったときに、母に勧
められたという。姉が小説を書いていたこと
も刺激になったようだ。
アガサは、あるダンス・パ−ティでア−チ
ボルド・クリスティと知りあった。二人は一
九一四年十二月に結婚した。
アガサは姉から「ミステリは論理的だから
あなたには書けないわよ」といわれたことに
反発して、最初のミステリ『スタイルズ荘の
怪事件』を書いた。このミステリのトリック
に毒薬が使われているが、これはト−キイの
陸軍病院でボランティアで看護婦や薬剤師を
していた経験が生かされている。
この作品に、偉大な口髭と卵型の頭をもつ
名探偵エルキュ−ル・ポアロが登場する。ポ
アロはベルギ−人で、身長が五フィ−ト四イ
ンチ(約一六四センチ)と小柄だ。彼は「灰
色の脳細胞」の持ち主で、難事件を解決する
のである(「灰色の脳細胞」というのは誤訳
。脳の組織「灰白質細胞」の持ち主で、極め
て頭脳がいい意味)。この探偵像をクリステ
ィは、ト−キイにいたベルギ−人の避難民を
見たときに思いついたという。
その後も順調に作品を発表したが、世間が
好奇の眼を向けたのは、一九二六年の十二月
のアガサ・クリスティ失踪事件である。
その年、ト−キ−に住む母のクララが亡く
なった。内気で寂しがり屋のアガサにしてみ
れば、夫が側にいて慰めてほしいと願うのは
、当然のことだろう。
しかし、夫のアーチボルドとの仲がしっく
りいかなくなっていた。一九一四年に結婚し
て十二年間、アガサは夫を愛してきたはずで
ある。ところが、アーチーボルドは彼女の側
にいなかった。夫はゴルフ仲間のナンシー・
ニールという女性と親しくなっていた。
失踪事件の当日、アガサは秘書のカ−ラに
「クリスマスシーズンが近づいたので、一日
休暇を取るように」と言った。
カーロは休暇と取ったが、アガサのことが
心配だった。
十二月三日金曜日の夜、カーロはアガサに
電話を入れた。電話口に出たアガサはいつも
と変わった様子はなかった。
カ−ロがスタイルズ荘に戻ってくると、ガ
レージのドアが開け放たれ、メイドたちがお
ろおろしている。
「先生は?」
カーロはとっさに聞いた。
「昨夜、十一時ごろ、階下に降りてきて、車
に乗って出て行かれたのですが、それっきり
帰えられないんです」
翌土曜日の朝六時ころ、警官がスタイルズ
荘に来た。
アガサの車、モーリスがサリー州ギルフォ
−ドの少し先のニューランズ・コ−ナ−に乗
り捨ててあるのが発見されたのである。
その後、十日間にわたって起きたことは、
いまも謎とされている。「アガサ・クリステ
ィ謎の失踪事件」である。
なぜ、自宅から一時間も離れたところに車
が乗り捨てられていたのか? しかも、田舎
道の本道を外れて、斜面を滑り落ち、藪の中
に突っこんでいた。夜中に、なんの目的で、
そんなところまでドライブしたのだろうか?
恋人の家に外泊していた夫のア−チ−ボル
ドがあわててスタイルズ荘に戻ってきたころ
には、新聞記者が大勢押し掛けていて、大騒
ぎになっていた。ア−チボルドは記者のイン
タビュ−に苛立ちを覚えた。自分が妻殺しに
仕立てあげられていたからだ。もっともアガ
サにしても失踪事件は売名行為だの、愛人の
もとに走ったなど、さまざまな噂が流れた。
アガサはいぜんとして見つかっていなかっ
ただ。
だが、目撃者が現れた。
土曜日の朝、ニューランズ・コーナー・ヒ
ルのてっぺんで、困った様子で、車の側に立
ち往生している女性に出くわした。
「その女性は薄着で、華奢な靴を履き、たし
か帽子も被っていなかった」
寒さのため震えており、頼むから車のエン
ジンを掛けてくれないかと頼んだ。エンジン
はすぐに掛かり、動き出した。
どうもこの女性がアガサらしいと判断され
た。泥にまみれた女性用の靴の片方と、茶色
の婦人用の片方の手袋はアガサのものだった
。
アガサの写真や人相、特徴などの詳しい記
事がいっせいに各紙の紙面を飾った。騒ぎは
ますます広がり、多くの目撃証人が現れた。
土曜日の昼ごろ、「トーク帽(浅い円筒形
の縁のないぴったりした婦人帽)を被り、コ
ートとスカート」の身なりの女性を見た。
「何か声を掛けようとしていたが、そのまま
さっと反対方向に歩いて行ってしまった」と
言う。
ア−チ−ボルドは、「自発的に家を飛び出
したか、一時的に記憶を喪失したか、最悪の
場合は自殺の可能性もある」と述べた。
捜査は暗礁に乗り上げたかに思われたとこ
ろで、ついに失踪事件はあっけなく解決して
しまった。
十二月十三日、ロンドンから北西に二百キ
ロ離れたハロゲ−トのホテルに宿泊している
ところを発見されたのだ。
アガサは自分が「アガサ・クリスティであ
ること」を認めた。
医師によると、このミステリ−作家は「記
憶喪失に陥っていた」と言う。
自分の運転していた車が木にぶつかって気
がついたら、ホテルにいた。その間、アガサ
は他の客と同じように楽しく、ダンスをした
り、歌を歌ったりしていたらしい。
それ以外には、アガサはいっさい語ること
はなかった。
しかし、その事件後のアガサは立ち直った
のである。夫のア−チ−とは離婚。「自分で
も思いもよらなかった」十四歳も年下の考古
学者のマックス・ロ−ワンと再婚した。二人
は生涯、幸せな結婚生活を送った。
「考古学者は、女にとって最高の結婚相手。
妻が古くなればなるほど興味をもってくれる
」
一九七四年の暮れ、日本人として初めてア
ガサ・クリスティに会うことができたミステ
リ評論家の数藤康雄氏はアガサの印象を語っ
ている。
「とても、幸せそうで、充実した人生を送っ
ているのがわかりました。邸宅に泊めてもら
い、丁重にもてなしてもらいした。アガサは
物静かで、ややト−ンの高い声ですが、落ち
ついた話し方でした。そのときも、創作意欲
は少しも衰えていませんでした。夫婦仲の良
さが、創作意欲をさらにかき立てる秘密に思
えました」
アガサは八十三歳で亡くなるまで、書き続
けた(遺作は、『運命の裏木戸』)。
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