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ジョセフィン・ベイカ−(ダンサ−) Josephine Baker
1906.6.3−−1975.4.12
黒い星 Dark Star
一九二〇年代から三〇年代にかけて、ダン
サ−で歌手のジョセフィン・ベイカ−は、パ
リのミュ−ジックホ−ル「フォリ−・ベルジ
ェ−ル」の看板スタ−になった最初の黒人女
性エンタテイナ−である(フランス語読みで
は、ジョゼフィン・バケ−ル)。
青と赤の羽根飾りを腰にまとっただけの姿
で踊って、パリの男たちを虜にした。ジョセ
フィンの名にちなんだ服や香水が流行し、ピ
カソやアレクザンダ−・コ−ル−ダ−などの
芸術家が、彼女をモデルにした。
母のキャリ−・スミスが娘のジョセフィン
に語ったところによると、父親はスペイン人
で、彼の家族が黒人女性との結婚を許さなか
った。幼いころ、ジョセフィンは祖母に預け
られて育った。祖母は音楽好きで土曜日ごと
に近所のジャム・セッションに参加していた
。
ジョセフィンが家に戻ったとき、母はベイ
カ−という名の男と結婚し、すでに三人の子
どもをもうけていた。住まいはミズ−リ州セ
ントルイス、最下層の貧民窟の一部屋しかな
いあばら屋だった。
長女のジョセフィンは、白人家庭に奉公に
出された。そのころ受けた虐待の数々を彼女
は生涯忘れることができなかった。生まれて
初めて劇場に連れて行ってくれたことも覚え
ている。
メイスン家では、ジョセフィンは地下室を
与えられた。ある夜、一家の主人のメイスン
がジョセフィンの部屋に忍び込んできて、ベ
ッドに入ってきた。その恐怖の出来事をメイ
スン夫人に打ち明けたために、ジョセフィン
は親元に帰されるはめになった。
十三歳のジョセフィンは働き口を探して、
ブッ−カ−・T・ワシントン劇場に行き、仕
事がほしいと頼みこんだ。
幸いにも、ジョセフィンは人気歌手ベッシ
−・スミスの下働きをすることになった。
ジョセフィンはスミスの口添えで、セント
ルイスを出て、ニュ−ヨ−クのコットンクラ
ブのコ−ラスガ−ルになることができた。
一九二五年、ジョセフィンは黒人舞踊団の
一員としてパリに渡る。超一流のレヴュ−劇
場”フォリ−・ベルジェ−ル”に出演が決ま
ると、初日の開演を前にして、ベイカ−は、
ボウルに入れたかき氷を胸に押し当て、乳首
を固く尖らせた。ステ−ジに登場すると、彼
女はサテンのような艶やかな髪と奇抜な衣装
で観客の注目をさらった。その衣装は、バナ
ナを繋いだベルトだけでできていた。
野性味あふれる強烈なイメ−ジが、鏡を背
景にして踊りまわると、何千倍にも増幅され
る。即興で彼女はは歌い、バナナの木の葉を
かきわけながら観客に目配せし、手を振って
そのなかに飛びこむと幕。割れるような拍手
が起きた。
フランス人にとって、これぞ「ホットなジ
ャズの神髄」と映ったのだ。一夜にして、ジ
ョセフィン・ベイカ−は人気の的となり、フ
ォリ−に君臨する女王の座についた。
ジョセフィンの本物の恋は、パリにわたっ
たときから始まる。
マルセルという金髪の美しいフランス男が
好きになった。彼は豪華なアパ−トに彼女を
住まわせた。そのアパ−トを彼女は「私の大
理石の宮殿」と呼んでいた。夜ごとにマルセ
ルは白ネズミ、オウム、ポケット・モンキ−
などいろんな動物のプレゼントをもって現れ
た。
ジョセフィンは、いつ結婚してくれるのか
と聞いたが、彼は黒人で踊り子とは結婚でき
ないと答えた。翌日、彼女は「宮殿」と小動
物園から立ち去った。
ジョセフィンには多くの信奉者がいたが、
彼女が「アラビアの王様」と呼ぶモロッコ人
もその一人だった。彼はダイヤモンドやネッ
クレスを着けた豹を彼女に贈り、ジョセフィ
ンと豹をお供にして晩餐会に出かけたことも
ある。
だが、ジョセフィンにとって王様とセック
スするのは無理だった。彼女は長身で、彼は
小柄だった。
「若いころ、私は立ったままするのが、好き
だったの。だから、彼は私の膝あたりにしか
届かないの」
とジョセフィンは告白している。
一九二九年、スウェ−デンのアドルフ皇太
子(のちのグスタフ六世)がジョセフィンに
熱をあげ、楽屋を訪れて、彼女を自分の国に
招いた。プリンスがすでに結婚していること
を知っていたが、ジョセフィンはその夜、彼
に電報を打った。文面はわずか一語。「イツ
?」
翌朝、返事が届いた。答えは「コンヤ」
その日の夕刻、ジョセフィンは特別仕立て
のプリンスのお召列車に乗った。金張りの内
装、華麗な手織りのオ−ビュッソン絨毯。彼
女にあてがわれた寝室の、白鳥を型どったベ
ッドは、サテンのシ−ツに覆われ、彼女の褐
色の肌とみごとな肢体の輪郭をいっそうきわ
だたせるものだった。
ジョセフィンがベッドに入ったとき、プリ
ンスが姿を見せた。
「寒いわ」
とジョセフィンが言うと、プリンスは彼女
の腕に、ダイヤモンドが三つはまったブレス
レットをはめてくれた。
「こちらも」
とジョフィンが言うと、プリンスは声をあ
げて笑い、さらにもう一つブレスレットを贈
った。
着衣を脱いで、プリンスはシ−ツをめくる
と、心のこもった接吻をし、彼女の傍らに横
たわる。列車の快い振動に揺られながら、二
人は熱いからだを重ねた。
第二次世界大戦の勃発とともに、ジョセフ
ィンはフランス・レジスタンスのメンバ−と
なり「ドイツとイタリアの暗号表の原文」を
連合側にもたらしたといわれる。
ユダヤ人の実業家、ジャン・レオンと結婚
したことによって、ジョセフィンはゲシュタ
ポに狙われることになった。ゲシュタポは彼
女の暗殺を企てた。計画どおり、ヘルマン・
ゲ−リングは彼女を晩餐に招待した。彼女の
魚料理には、青酸カリが入っていた。あらか
じめ内通を受けていたジョセフィンは、魚料
理が出されるとすかさず、化粧室に行くと断
って席を外すつもりだった。化粧室の洗濯用
のシュ−トに身を投じ、階下で待機している
レジスタンスの仲間が彼女を救出する手はず
だ。
だが、彼女が立ちあがるよりも早く、ゲ−
リングは銃を抜いて、その料理を食べるよう
に命じた。ジョセフィンは魚を食べた。彼女
は眩暈を訴え、よろめきながら化粧室まで辿
り着くと、シュ−トに倒れこんだ。
レジスタンスのメンバ−たちは彼女を受け
止め、ただちに地下組織の診療室に運んで胃
洗浄が行われた。
一カ月、生死の境をさまよった後、回復し
たが、ジョセフィン・ベイカ−はモロッコで
死亡したとの噂が流れた。
この事件の後遺症で、ジョセフィンの頭髪
は抜けてしまった(以来、彼女はかつらをつ
けていた)。その勇気ある行動に対して、戦
功十字軍、レジスタンスのバラ勲章、レジョ
ン・ドヌ−ル勲章を授与された。
戦後、ジョセフィンの活動の中心はステ−
ジから人種差別撤廃運動へと移った。フラン
スの古城を買い取り、アルジェリア、イスラ
エルなど、さまざまな地域から、人種や宗教
を異にする十二人の子どもたちを養子にして
育てた。
一九五四年に、日本のエリザベス・サンダ
−ス・ホ−ムを訪れたジョセフィンは、アメ
リカ駐留軍の私生児である韓国人の子どもを
養子にした。
晩年になって、ジョセフィンは養子にした
子どもたちの世話と、特にアメリカでの人種
差別との戦いに、いっそう多くの時間を費や
すようになる。そのことに反発を勝って、ア
メリカでの出演がキャンセルされたこともあ
る。
ようやく、アメリカ各地の巡演が大成功を
収めた直後、ジョセフィンは心臓発作でパリ
で亡くなった。ときに六十八歳だった。
その柩には、フランス国旗がかけられ、二
万人が参列した壮大な国葬が行われた。
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