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メリナ・メルクーリ(女優・政治家) Melina Mercouri
1925.10.18−−1994.3.6

反逆 revolt

『日曜はだめよ』の主演女優メリナ・メルク −リは、七十あまりの映画や舞台に出演した のち、社会主義政治家に転向し、ギリシアの 文化大臣を二期つとめた。
 メリナの家は代々の名家で、祖父は三十三 年間アテネ市長をつとめ、父も国会議員で元 内務大臣だった。彼女の少女時代は平穏では なかった。
 父は妊娠中の母を捨てて女優と駆け落ちし た。父が去ってしばらくすると、今度はメリ ナは祖父スピロとの食事の時間にもいっさい 口を利かないことにした。この祖父までが若 い愛人を作ったからである。家中が大騒ぎに なり、女たちは最も強力な武器、孫娘のメリ ナを用いて、一家の長に罰を与える作戦に出 た。ギリシアでは浮気は大目に見られるが、 このときばかりは男は女たちの猛反発にあっ た。
 メリナの初めての恋の相手は俳優だった。 十四歳のとき、祖父に連れられて行った芝居 に出ていたヨルゴスという役者に夢中になっ たのだ。あらゆる手段で切符を手に入れ、毎 晩その劇場の最前列に座った。手紙や花ある いはケ−キを贈り続けた。
 役者のヨルゴスも、相手はアテネで名の知 られた一門の娘、うっかりしたことはできな い。一方、メリナの家族は、このスキャンダ ルに神経質になっていた。しかし、結局、大 騒ぎをしたあとヨルゴスとメリナは恋人には ならず、友人のままだった。彼女は十歳のと きすでに「女優が自分の人生」と決めていた が、家族は賛成ではなかった。メリナは母に 黙って国立劇場の演劇学校の試験を受け、合 格してしまった。
 だが、学校が入学を許可しても、母は認め ない。十六歳のメリナは思いきった手段をと った。女優志願を諦めると見せかけて、援助 してくれる相手と駆け落ち。結婚してしまっ たのだ。
 相手はバン・ハラコボスという男で、ギリ シア有数の富裕な名家の出身、遊んで暮らし ているだけで、他に何もしていなかったが、 ル−マニア人の妻がいた。その男は演劇学校 に入るかどうか悩んでいたメリナに「ぼくと 結婚すればいい」と入れ知恵をした。
 こうしてメリナは家から独立できた。バン との結婚生活は実質的には数カ月だったが、 法的には二十年以上も続くことになる。  一九四一年の夏、ギリシアは、ナチス・ド イツの総攻撃に敗北し、以来三年半占領下に 置かれた。そんな世情もメリナにとっては天 国にいるように思えた。女優としてさまざま な役を演じられれば幸せだった。
 バンとの仲は形だけのものになり、メリナ には何人も恋人ができた。
 一九五四年、メリナは初めて映画『ステラ 』に出演した。これはもともとメリナのため に書かれた芝居だったが、なかなか上演され ないうちに、映画化の話が持ちこまれた。
 女性の生き方についてまだ保守的な考え方 が大勢をしめるギリシアで、結婚を人生の目 的とせず、独立して自分なりに生きていこう とする若い女性の物語だ。
 この映画は評判もよく、一九五五年のカン ヌ映画祭に出品され、メリナは主演映画女優 賞の期待を抱いてカンヌに出かけた(その年 は主演女優賞は誰にも与えられなかった)。
 メリナはここで生涯の伴侶となる映画監督 のジュ−ルス・ダッシンと出会うのだ。
 ダッシンは『真昼の暴動』『裸の町』『町 の野獣』など、ハリウッドでもっとも才能の ある監督の一人だったが、五〇年代アメリカ に吹き荒れた赤狩りでアメリカを追放され、 ヨ−ロッパに活動の場を移していた。
 二人が出会ってから二年後に、『宿命』と いう映画を作り、一九五七年のカンヌ映画祭 に出品した。多くの賞を獲得した。それがさ らに二人を近づけ、名作『日曜はダメよ』を 生んだ。
 物語は世間知らずのアメリカ男がギリシア にやって来るところから始まる。舞台はアテ ネに隣接する港町ピレウスだ。そこで陽気で 楽天的な娼婦に会い、本当の生き方を教えら れる。
 この娼婦イリヤの役をメリナはみごとに演 じた。陽気で、あけぴろげで底抜けに呑気だ が、命がけで戦う。彼女自身の生き方と重な るところが多かった。そしてカンヌ映画祭で ついにメリナは主演女優賞に輝いた。
 その後、メリナとバンの離婚が成立し、や っとダッシンと正式に結婚した。
 一九六七年、『日曜はダメよ』をブロ−ウ エイでミュ−ジカルにするために、メリナと ダッシンはニュ−ヨ−クにわたった。『イリ ヤ・ダ−リン』と題されたこのブロ−ドウェ イミュ−ジカルは大ヒットした。
 しかしその年の四月二十一日、ギリシアで ク−デタ−が起こり、軍人たちが暴力で、政 権を強奪したのである。
 最初、メリナはブロ−ドウェイの芝居のイ ンタビュ−を受けるつもりだったが、マスコ ミがギリシアの軍事政権について聞いた。
「ギリシアの島々に牢獄があって、無実の人 びとが拷問に苦しめられています」
 そうメリナが答えると、政府は彼女はギリ シア人民の敵であり、国籍を剥奪し、国内に ある財産を没収すると発表した。
 それを聞いてメリナはこう言った。
「私は生まれつきギリシア人で、死ぬまでギ リシア人です」
 彼女軍事政権と戦うことを宣言したのであ る。欧米各国の文化人の多くはメリナを支持 すると表明した。
『イリヤ・ダ−リン』は、一年間のロングラ ンになったが、メリナを暗殺するという陰謀 があるというので、舞台の袖にボディ・ガ− ドが立った。
 事実、一九六八年からのヨ−ロッパ公演で イタリアの港町ジェノアに立ち寄ったとき、 彼女が港湾労働者を相手に講演会を開いた後 に時限爆弾が発見されたこともある。幸いこ となきを得たが、メリナは危険には晒され続 けた。軍事政権が倒れないのは、アメリカを はじめ各国の政府が支持しているからで、そ の流れを変えるには、世論を動かさないとい けないと彼女は考えた。
 メリナはギリシア国王が訪米したとき、国 連の昼食会に出る国王に質問状を手わたそう とした(遂行はできなかった)。
「(ギリシア)国内では、勇敢な人びとが拷 問に耐えて、生命を賭けて戦っているので。 外から精一杯の支援をしたい」
 一九七四年になってトルコとの間で発生し たキプロスの紛争を収められなかった軍事政 権は自滅した。その年の秋には、メリナは国 会議員に選挙区ピレウスから立候補したが、 落選した。
 一九七五年には、映画『いくたびも美しく 燃え』に出演し、七六年にはダッシンと一緒 に『女の叫び』を作った。
 一九七七年の総選挙ではメリナも当選して 国会議員となった(政党は左翼の全ギリシア 社会主義運動、パソック)。そして八一年の 選挙で、メリナはまた立候補して、新内閣の 文化科学大臣に選出された。選挙の日はちょ うど彼女の五十六回目の誕生日だった。
 メリナはアンドレアス・パパンドレウ首相 を説得して、文化関係の予算を三倍に増やし た。
 ギリシアは社会全体が男性中心で、女性に とってまだ後進国。女は相当な持参金がない と結婚できない。上は海運王の娘のようにタ ンカ−数隻から、下は田舎の村でオリ−ブの 木が三百本まで、額はさまざまでもお嫁に行 けない。
 メリナは女性たちの先頭に立って戦い続け てきた。
 一九九四年三月、ニュ−ヨ−クで肺ガンの ため死亡。六十八歳だった。
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