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追憶
マリリン・
モンロー

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バ−ブラ・ストライサンド(歌手) Barbra Streisand
1942.4.24−−

醜いアヒルの子  an ugly duckling

「私はちょっぴり下品で、野卑で、不作法、 そして無知。王女のように洗練されて、エレ ガントなところもあるし、自制心もある。私 は誰にでも受けるわ」(一九六六年、『ライ フ』誌)
 一九四二年、バ−バラ・ジョアン・ストラ イサンドはニュ−ヨ−クのブルックリン区に 生まれた(メル・ブルックスやジプシ−・ロ −ズ・リ−もこの出身。ここには貧しいユダ ヤ人が多く住む一角もある。ノ−マン・メイ ラ−やトル−マン・カポ−ティはブルックリ ンに住んで仕事をした)。
 一九四三年、バ−ブラが生まれて、一年三 カ月後に、父が亡くなった。
 母はルイス・カインドと再婚した。義父は バ−バラを虐待した。そんな彼に立ち向かお うとしない母にも、怒りを覚えた。
「私は食事はいつも、スト−ヴにかけられた 鍋から直接とっていました。家族全員がそろ う安息日でさえ、座って食べることは許され ませんでした」
 バ−バラは九歳のとき、近所の子どもたち に苛められたことがある。だが、なぜか彼女 が泣き出すと、苛めた子どもたちが、みな逃 げていってしまった。いまでも、理由はわか らない。
 バ−バラがテレビにに夢中になったのは、 母のダイアナと義父のルイスの間に、ロマリ ンという赤ん坊が生まれ、彼らがそちらにか かりきりだったためだ。
「私はブルックリンを出なければ」
「母は私に頭がいいとか、綺麗だとか、何で も好きなことができるなんてけっして言った ことがありませんでした。でも、私はそんな 母を絶対に見返してやる、あっと言わせてや ると思っていました。見返してやりたかった のは、母だけではなくて、私を認めなかった すべての人にです」
 義父はわけもなく妻だけではなくて、バ− バラも殴りつけた。
「私ってほんとうにだめなんだ。そんなにも ひどい子だって思っていたの」
 あるとき、義父はバ−バラに「おまえには アイスクリ−ム・コ−ンはあげない。おまえ は醜いから」とあざ笑った。
 バ−バラの髪はたれ下がり、鼻はワシ鼻。 口は大きすぎる。眼の悪い彼女は、鏡の前に 立って自分の顔を眺めた。
 バ−バラは生きていくのに、あまりにも醜 くかった。ある日、バ−バラはがんのポスタ −を見て、自分は病んでいると思いこむ。六 カ月しか生きられないと絶望した。
「みんなに見せてやるわ。私の悲劇的な死に 方を。みんな可愛そうに思うでしょう」
 アパ−トの屋根の上に腰を下ろし、九歳の バ−バラは死ぬことばかり考えていた。
 一九五三年、十一歳のとき、バ−バラはM GMが募集した子役に応募したが、合格しな かった。
 一九五八年に、イラズマス・ホ−ル高校を 卒業して、『ドリフトウッド』のなかで、最 初の役をもらう。
 一九五九年、ニュ−ヨ−ク市のクラブのコ ンテストで優勝し、「明日のスタ−」として 注目された。このとき、名前をバ−バラから バ−ブラに変える。
 バ−ブラ・ストライサンドをハリウッドに 紹介し、彼女の将来の人生を際立ったものに したのは、エ−ジェントのレイ・スタ−クで ある。当時スタ−クは彼の亡き義母で偉大な コメディエンヌであったファニ−・プライス の生涯ミュ−ジカル化する準備をしていた。
 一年以上にわたるオ−ディションと熟考の すえ、彼は主役にまだほとんど新人だったバ −ブラ・ストライサンドを抜擢した。ミュ− ジカルのタイトルは『ファニ−・ガ−ル』で ある。
 スタ−クはスタ−というものを知りつくし ていた。一九五〇年代には、エ−ジェントと してラナ・タ−ナ−、エヴァ・ガ−ドナ−あ るいはマリリン・モンロ−などを手がけてき た。そして、彼は新しい分野に進出しようと していたのだ。
 ショ−の中でのバ−ブラは十代から中年の 役までを要求される。
 バ−ブラはファニ−だった。いや、ファニ −はバ−ブラというべきか。この二人の女性 は日を追うごとに一体化していった。
 スタ−クは、一九六三年七月二十五日、記 者会見で、二十一歳のバ−ブラ・ストライサ ンドをキャストに抜擢したと発表したのであ る。スタ−の誕生であった。
 そのとき、バ−ブラは時計のない街、ラス ヴェガスで働いていたのだった。
「ビッグになる。みんなを見返してやる」
 そのチャンスが訪れた。
「無駄にできる時間は、一秒もない」
 バ−ブラは忙しいステ−ジの合間を縫って ミュ−ジカルの練習をした。ステ−ジの前、 後、間、さらには着替えの時間などありとあ らゆる時間を利用した。
 その年、バ−ブラにとって嬉しい出来事が 起きた。子どものころから、醜いアヒルの子 と思っていた彼女にとって、ハンサムで背の 高い男性が結婚してくれた。
 九月十三日、二十一歳のバ−ブラと二十五 歳のエリオットは、タホでの公演を終えたあ と、カ−ソン・シティで結婚の誓いを立てた のだった。
 一九六四年、『ファニ−・ガ−ル』はトニ −賞の候補になり、『ピ−プル』が初のソロ ・ヒット曲となる。
 このころ、バ−ブラの人気を決定づける出 来事が起きた。『ザ・ジュディ・ガ−ランド ・ショ−』に出演したのだ。
 番組で、バ−ブラが『ダウン・ウイズ・ラ ヴ』を歌うと、「あなたの歌は本当に感動的 」とガ−ランドは言ったあとで、「本当にう まくって大嫌い」と付け加えた。
 これはガ−ランドの本音だった。
 一九六八年、『ファニ−・ガ−ル』は映画 化され、オスカ−の最優秀賞をキャサリン・ ヘプバ−ンと分け合った。
 さらにバ−ブラを、スタ−に押しあげたの は、『スタ−誕生』である。一九七六年十二 月十八日に、カリフォルニア州ウエストウッ ドで封切られた。この映画をバ−ブラは完璧 主義で貫いた(かつてジュディ・ガ−ランド が同じ役を演じた。相手役は、ジェ−ムズ・ メイスン)。
 この映画を通して、バ−ブラは女性差別や ウ−マン・リヴについて一石を投じたいと主 張した。映画のなかでバ−ブラは意識して女 の自分から服を脱いだ。そして多くの女性の 共感を得たのである。
 彼女のファンには、ゲイの男性たちも少な くない。社会からはみ出したイメ−ジのある バ−ブラの生き方が、ゲイの人たちに幅広く 支持されている。
「私の顔よ。偽物のユダヤ人の真似をしてい るだけじゃない」
 エリザベス・テイラ−のクレオパトラばり のメ−キャップをしていたとき、バ−ブラは そう言った。
「私の鼻は好きじゃないけど、彼女の鼻もご めんね」
 バ−ブラのような鼻をしていることについ てどう思うかという質問について、歌手・女 優のシェ−ルはそう言った。
 俳優のオマ−・シャリフは、バ−ブラにつ いて当を得たことを語っている。
「彼女は怪物だ。だが、魅力ある怪物。彼女 にとって、大きな問題は、女になりたがって いることと美しくなりたいということのふた つ」
 バ−ブラは言う。
「誰も私のことなどわかりはしない。私には 自信過剰と不安が入り混じっている。はっき りしているのは、自分自身のことを話すのが 嫌だってこと」
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