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カトリ−ヌ・ドヌ−ヴ(女優) Catherine Deneuve
1943.10.22−−
反発 repulsion
「私は人に気に入られたい。どうしようもな
いくらい。でも、映画にも人にも何もかも投
げ出してしまったので、私には何も残ってい
ない。私がどんな人間か、私が何を望んでい
るかといった神秘性は失われてしまった。私
の中から何かが抜け出してしまった」
「世界一の美女」(『ルック』誌)は、多く
のファンを魅了し続けている。
カトリ−ヌは、一九四三年十月にパリに生
まれた。本名はカトリ−ヌ・ドルレアック。
父のモ−リス・ドルレアック、母のルネ・シ
モノともに舞台俳優だった。カトリ−ヌは三
人姉妹の真ん中で、長女のフランソワ−ズは
女優として活躍していた(クリスチャン・デ
ィオ−ルのマヌカンでもアッタ)。
カトリ−ヌは姉のフランソワ−ズのように
最初から女優を志したわけではなかった。虚
弱体質で、内向性だったので女優には向かな
いと思われていた。
ところが、物心がつくようになると、何と
か自分で力強く生きようと考えた。父母の歩
んだ俳優の道へ進もうと決心するのだ。
カトリ−ヌは母の娘時代の姓をとって、ド
ヌ−ヴと名乗ることにした。
「憧れの女優はグレタ・ガルボでした」
神秘的なふんい気のある女優に魅せられて
いたのである。
ある日、学校祭の芝居を観たフランス映画
のスカウトマンがカトリ−ヌに声をかけた。
映画の端役として出演交渉を受けたのは、十
四歳のときであった。
映画デビュ−作となったのは、『扉がきし
む』である。この映画には、姉のフランソワ
−ズが主演していた。
しかし、カトリ−ヌの女優としての運命を
変えたのは、一九六一年に、マルク・アレグ
レ監督のオムニバス映画『パリジェンヌ』の
第四話「女学生ソフィ−」に主演する幸運に
恵まれたことだろう。こうして映画スタ−へ
の道を歩み始めたが、同時にこの作品の原案
と台詞を書いたロジェ・ヴァディムと恋に落
ちた。
ヴァディムは『パリジェンヌ』を撮り終え
ると、カトリ−ヌをBB(ブリジッド・バル
ド−)のいるパリ郊外の別荘に連れて行って
紹介した。BBは俳優のジャック・シャリエ
と再婚していたが、かつてはヴァディムの恋
人だった。
ヴァディムとカトリ−ヌがホテルを発って
パリに引き揚げようとしたときに、BBが自
殺を図ったという報せが入った。BBはかな
りの睡眠薬を飲んでから、手首を剃刀で切っ
たのだった。クル−ゾ−監督と恋愛関係にあ
り、その恋のもつれだと噂された。
しかし、いまもBBが愛しているのは、ヴ
ァディムだとも言われていた。カトリ−ヌは
BBに嫉妬した。
ヴァディムとカトリ−ヌの二人は、パリの
アングル街で三年間の同棲生活を始めた。そ
れまでは、美人だが病弱で痩せていて、セッ
クスアピ−ルに乏しかったが、ヴァディムと
の恋愛によって見違えるようになった。
ヴァディム監督の『悪徳の栄え』(サド侯
爵の原作)に主演したことで、女優として開
花した。
子どもができたことをカトリ−ヌがヴァデ
ィムに伝えた。
ヴァディムは喜んで、「結婚しよう」と言
ったが、カトリ−ヌは答えなかった。
一九六三年三月、カトリ−ヌはクリスティ
アンを産んだが、ヴァディムとは正式な結婚
はしなかった。
クリスチャンを産んだときに、なぜ結婚し
ないで出産したのかと非難が集まったが、カ
トリ−ヌはきっぱりと答えている。
「たとえ不道徳と言われようとも、私は自分
の信念によって生き方を選んでいます」
カトリ−ヌは十七歳で、ヴァディムと会っ
て同棲し、十九歳で新生児を産んだ。だが、
ヴァディムはカトリ−ヌを捨て、ジェ−ン・
フォンダと『輪舞』を撮影していた。
カトリ−ヌは恋を失ったが、スタ−になる
道を歩み始めた。
「私に生きる勇気を与えたのは、ヴァディム
に対する憎悪でした」
カトリ−ヌを いちやくカトリ−ヌを世界
的な存在にする新しい舞台が用意されていた
。フランスの新進監督のジャック・ドミ−と
作曲家のミシェル・ドミ−が組んで新しいミ
ュ−ジカル映画『シェルブ−ルの雨傘』を作
った。そのヒロインをカトリ−ヌが演じて大
評判になった。
「私を女優にしてくれた」
十六歳のヒロイン、ジュヌビエ−ブは雨傘
屋の娘。彼女はギイという青年を好きなる。
その彼にやがて召集令状がくる。別れの前夜
二人は愛しあう。そしてジュニビエ−ブは彼
の子を身籠もってしまった−−。
この映画は、彼女の実生活を重なって見え
、「心の震えまで伝わってくる演技のリアル
さ。清楚な美貌が注目」など最大の賛辞が寄
せられた。
一九六四年度のカンヌ映画祭グランプリと
フランス映画の最高の賞であるルイ・デリッ
ク賞を受賞した。
ヴァディムからお祝いの電話が入ったが、
カトリ−ヌは完全に彼から訣別したことを感
じていた。
一九六五年には、カトリ−ヌは写真家のデ
イヴィッド・ベイリ−と結婚をして、ファン
を驚かせた。
「でも、彼には一度も愛情らしい愛情を示す
ことができなかったわ」
この結婚生活は奇妙で、ヴァディムに対す
る憎悪であった。
一九七〇年に、カトリ−ヌとベイリ−は離
婚した。
カトリ−ヌとロマン・ポランスキ−との出
会いはその直後だった。映画『反発』の異常
なヒロイン、キャロルにふさわしい相手をさ
がしていたポランスキ−は『シェルブ−ルの
雨傘』を見てカトリ−ヌに決めていた。
この作品は、少女が未知のセックスへの憧
れと嫌悪感でジレンマにおちいり、自分とは
異質な姉への憎悪に押しつぶされ、ついには
狂ってしまうというスト−リ−だ。
ベイリ−との離婚の前年(一九六九年六月
)に、姉のフランソワ−ズ・ドルレアックが
カンヌ近郊で自動車事故で悲惨な死に方をし
ている。かつて、反目しあい、「あんな姉な
んて死んでしまえばいい」とカトリ−ヌは思
ったことがある。だが、実際に、亡くなって
みるとカトリ−ヌは悲嘆にくれた。
カトリ−ヌは少女時代、両親の愛をひとり
占めにした姉フランソワ−ズを憎んで、死を
願ったことすらある。この映画のテ−マにカ
トリ−ヌはひどく引かれた。初めて自分で演
じてみたいと思った。そしてポランスキ−の
期待に応えた。
カトリ−ヌは女優としての名声を高めたル
イス・ブニュエル監督の二本の作品『昼顔』
(六六年)と『哀しみのトリスタ−ナ』(六
九年)では、彼女の魅力を最大限に発揮し、
「激しい女」に変身したのだ。
私生活でもカトリ−ヌは激しい女に変身を
遂げて、『ひきしお』で撮影中に共演したイ
タリアのトップスタ−、マルチェロ・マスト
ロヤンニと熱い仲になった。そして、彼が離
婚できないままカトリ−ヌはキャラを出産し
た。。またしても、カトリ−ヌは私生児を産
んだのである。
「深く知り合った人なら彼のことなど忘れる
ことなどできない」
ドヌ−ヴはマストロヤンについて言ってい
る。
一九六二年十二月十九日、マストロヤンニ
はドヌ−ヴに見とられて亡くなっている。
内向的だった少女は、自分の生き方を見つ
けた。それは『シェルブ−ル』のヒロイン、
ジュニビエ−ブのように、内に秘めた激しい
生き方である。
カトリ−ヌの内に秘めたマグマのような生
き方は、いまも赤々と燃えている。
一九九八年秋、ベニチア映画祭では『ヴァ
ンド−ム広場』で主演女優賞に輝いた。レオ
ス・カラックス監督の『ポ−ラX』でも熱演
した。
「昔から、力強くて情熱的で、どこか変わっ
ている監督の映画に出るのか好きだった。『
セルブ−ルの雨傘』とか『反発』とか、普通
じゃない作品に引かれてきたわ」
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