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マ−ガレット・サンガ−(教育者)Margaret Sanger
1883.9.14−−1966.9.6
crusader 十字軍
「どの子も望まれて生まれた子」
マ−ガレット・サンガ−は、性解放と性の
快楽の追求、そして避妊に関する新しい道を
切り開いた。
産児制限の革命は、一九五〇年に、マ−ガ
レットがキャサリン・マコ−ミックという大
富豪の未亡人と旧交を温めたときから始まっ
ている。
サンガ−は生涯をかけて、性教育と産児制
限推進のために闘った。
それを阻止しようとするカトリック教会衝
突し、たびたび投獄の恐怖に冒された。彼女
が先頭に立って闘ってきた考え方は、ようや
く現在、社会に受け入れられてきつつある。
小柄で、赤毛の少女は、敬虔なカトリック
の母と暴君のアイルランド系の父との間に生
まれた。ニュ−ヨ−ク州コ−ニングで、十一
人きょうだいの一人だったサンガ−は、母が
きょうだいを産むたび、そして七回の流産の
たびに持病の結核が悪化するのを見てきた。
十七歳のときには、ついに母はこの世を去
り、サンガ−は「戦いの道」に進むことにな
った。
ニュ−ヨ−クで助産婦をしているとき、あ
るとき自分で堕胎したために、出血を起こし
た女性の治療にサンガ−は当たったことがあ
った。その女性はどうしたら避妊ができるか
を医師に聞いた。
すると、「ジェイク(彼女の夫の名前)を
屋根の上にでもあげとくんだな」と答えるこ
としかできなかった。その後、その女性はも
う一度自分で堕胎して死亡した。そのこと知
ったサンガ−は、この根本的な問題を解決し
ようと決心したのである。
一九一六年、ブルックリンに妹のエセル・
バ−ンとクリニックを開設した。アメリカ初
のバ−ス・コントロ−ル・クリニック(産児
制限相談所第一号)。貧困家庭には英語、イ
ディッシュ語、イタリア語で印刷したビラを
配付した。十日後に逮捕されるまでに、五百
人にもおよぶ女性が十セントの登録料を払っ
て指導を受けた。
サンガ−は産児制限の主唱者であるだけで
なくて、「自由恋愛」の熱烈な信奉者でもあ
った。最初の夫、建築家のウィリアム・サン
ガ−に「自分はしたくなったら自由に他の男
とセックスをしなくてはならないの」と宣言
していた。「主義のため」というのが彼女の
説明だ。
夫とはお互いの仕事が忙しくて会えないこ
とが多いのに、緊張したり、神経過敏になっ
ている夜に自分を寝つかせてくれるのは、セ
ックスだけだったからだ。
「セックスを充実した食生活などと同じに考
えるべきじゃない」
と夫は考えたので、彼らは別れ、彼女は次
から次と新しい恋人を作った。
一九二二年、サンガ−は再婚した。相手は
J・ノア・H・スレ−という南アフリカ出身
のオランダ人実業家で教養はないが、大富豪
だった。当時彼は六十四歳、彼女が三十九歳
。
サンガ−は結婚に際して、家のなかに彼女
のプライベ−トな一角を設けることと、家の
出入りは自由にさせて何も聞かないという契
約を要求した。スレ−はしぶしぶその条件を
呑んだ。
そして彼女はスレ−の亡くなる一九四一年
まで恋人を作り続けた。それでもスレ−は彼
女のことを「我が人生の冒険」と呼んだ。
サンガ−は「真の結婚生活」は送れなかっ
た。彼女は自分の主義と結婚していたからで
ある。
セックス、熱情、ロマンス、そして何より
もときに何人もの男に慕われるのが好きだっ
た。その相手にはスペイン人アナ−キストか
らロンドンの『タイムズ』紙編集者まで幅広
い。
生涯の大半にわたって、彼女は偉大なる性
学者ハブロック・エリスと親密な交際を続け
て、エリスのことを「キング」(王様)と呼
んだ。もっとも、二人が本当に愛人関係にあ
ったかどうかはわからない。
エリスとそういう関係にあっても、サンガ
−は彼の教え「自由恋愛」を実行した。彼女
と深い関係になった男たちにはさまざまな人
たちがいる。化学者のハ−ヴァ−ト・シモン
ズ、ケンタッキ−生まれの建築家アンガス・
スニ−ド・マクドナルド。そしてインドに伝
わる”カレッツア”という男性自身をコント
ロ−ルする秘術を体得していたヒュ−・ド・
セリンコ−ト。
サンガ−の愛人のなかで一番の有名人は、
イギリスの作家H・G・ウエルズである。彼
は結婚していたが、悪名高きプレイボ−イだ
った。二人が互いに情熱を傾けたのは一九二
一年のことで、ウエルズが五十三歳、マ−ガ
レットは四十二歳。
二人揃って、産児制限の会議に出たときな
どは、ウエルズが舞台の上でささやく卑猥な
言葉がマイクに乗って会場中に響いてしまう
のではないかとひやひやのしどおしだったの
である。
サンガ−は『自伝』の他にセックスや愛、
避妊に関する啓蒙的な書物を数多く著してい
る。彼女が強調しているのは、「男性の性衝
動は本能的で押さえがきかない激しいもの」
という点である。
『結婚の幸福』という著書では、新婚初夜、
男は優しさを保つように努め、クライマック
スに達するまでに時間をかけるようにと忠告
している。サンガ−は二人のオ−ガズムの一
致という無上の幸福感のなかで最終楽章を迎
えると説き、性行為そのものを交響曲になぞ
らえている。
「情熱の奴隷とならずに、主人となる、とい
うのを若い夫がまず学ばなければならない」
また、サンガ−は結婚生活のル−ルを次の
ようにまとめている。
・あせらない・乱暴にしない・妻の心から
恐れや不安を取り除くこと
「欲情を恥じるなかれ。性欲が強いというこ
とは、それだけ恵まれているということだか
ら」
老境に入ったとき、サンガ−は十六歳の孫
に言った。
「キス、ペッティング、それにセックスだっ
てそれが真面目なものであるなら、何の問題
もないのよ。私は真面目でないキスは生まれ
てから一度もしたことがない。セックスだっ
たら、一日に三回ならまあいいんじゃないか
しらね」
「聖マ−ガレット・サンガ−」は、彼女につ
けられた敬称だが、そのまま聖人(セイント
)を意味しない。複雑な性格な持ち主で、も
っとも人間らしく生きた女性であった。
『ライフ』誌(一九九七年五月五日号)は、
「我々のヒ−ロ−たちに祝福を」と題した特
集を組んでいるが、そのなかで、「彼女は避
妊に対する有益な助言を多くの女性に行った
」と讃えている。
サンガ−は『女性は反抗する』と題した本
を出版した。そのモット−は「神も牧師もい
ない」であった。
「祖母は、今世紀のどの女性よりも多くのこ
とを成し遂げました。祖母は男女の関係を変
え、女性の地位を向上させることに貢献しま
した。女性が自分自身の運命を抑制する権利
をもたせたのです」
とニュ−ヨ−ク親子計画の現在の所長であ
る孫のアレキサンダ−・サンガ−女史は語っ
ている。
サンガ−はBC(Birth Contr
ol)の十字軍として勇敢に闘った。
一九六六年、サンガ−が八十六歳で亡くな
ったとき、何百万人というアメリ女性はピル
を使っていた。
その前年、最高裁は既婚夫婦の避妊権を認
めた。
五十年におよぶ改革運動のさらなる勝利で
あった。
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