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追憶
マリリン・
モンロー

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アルマ・マ−ラ−(グスタフ・マ−ラ−の妻)
Alma Mahler

1897..−−1964..

葛藤 conflict

「神様たちと遊びなさい」
 父の言葉どおりに、アルマは芸術家たちと ともに成長した。
 アルマは高名な風景画家、エミ−ル・シン トラ−を父に、オ−ストリアのウィ−ン郊外 に生まれた。城のような広大なお屋敷で召使 にかしずかれて、何不自由なく育った。
 十三歳のときに、父は病死し、母はすぐに 夫シントラ−の弟子だった画家のカ−ル・モ ルと再婚した。アルマの恵まれた暮らしは少 しも変わらず、有名な芸術家たちが、屋敷に 出入りして彼女を楽しませた。
 アルマはその時代の最高の芸術に触れるこ とができた。少女には、望んで手に入らない ものなど何もなかった。作曲家ツェムリンス キ−からも音楽の手ほどきを受けた。アルマ は自分でも作曲をして才能を賞賛された。
 また、のちに画聖と呼ばれるグスタフ・ク リムトもアルマの美しさに魅かれて、恋をし た。クリムトはアルマの写真を撮っている。
 二十世紀が始まったばかりの一九〇一年、 二十二歳になったばかりのアルマは、「ウィ −ンでもっとも美しい娘」といわれるように なっていた。
 彼女にはたった一つ、小さな欠陥があった 。子どものころに患った病気の後遺症で片方 の耳が不自由だった。しかし、その弱点がさ らに彼女の魅力を増した。話し相手に注意を 集中するので、相手はこの世に自分だけしか いない気分になった。
 ある夫人の開いた夕食の席でアルマは、彼 女より二十歳近くも年上のグスタフ・マ−ラ −を紹介された。
 グスタフは一八六〇年ボヘミアの生まれ。 生家は酒の蒸留業を営んでいたが、音楽家と して非凡な才能を発揮した。苦学の後に、ウ ィ−ンで宮廷オペラ劇場の総監督という地位 を得たのだ。作曲家、指揮者として名を馳せ ていた。そのときグフタフは四十一歳、背が 低くて神経質そうだったが、才気に溢れてい た。
 その夕食会では、アルマはクリムトなどと 楽しそうにおしゃべりをして、食事を楽しん でいた。それを近くのテ−ブルで見ていたグ スタフはやおら立ちあがると、彼女の席に近 づいて話しかけた。
「私も仲間に入れてくれませんか?」
 こうして、アルマとグスタフは親しく話す ようになった。
 ある日、オペラ劇場に案内され、リハ−サ ル風景を見たアルマはグスタフ・マ−ラ−の 指揮に感動した。彼の命令で、オ−ケストラ も歌手も自由に動かすことができる。
 アルマはグスタフに魅了された。家柄の違 い、年齢差など、障害が多かったが、二人は ウィ−ンのカ−ル教会で結婚。知り合ってか ら、半年も経っていなかった。
 ウィ−ンの宮廷歌劇場の音楽監督という、 最高の人物と結婚し、身ごもった。しかし、 現実の結婚生活では、アルマはひどい失望感 に襲われた。経済的に破産状態だった。
 グスタフは兄弟姉妹が十二人もいて、その うち半数は幼いころに亡くしてはいたが、残 る弟や妹の面倒を見なければならなかった。 音楽監督の収入だけではとてもやっていけな かった。
 そのうえ、グスタフは神経過敏で、おそろ しく気分屋だった。それに合わせていくだけ でもアルマは大変だった。
 グスタフは芸術家としての厳格な生活を守 っていた。
 そしてもっとも恐れていたこと、極端に自 我の強い性格と、当時の反ユダヤ主義のため に、マ−ラ−は宮廷オペラ座の監督を辞任す ることになってしまったのだ。そもそも音楽 監督の地位につくときも、ユダヤ人であるグ スタフは、反ユダヤ主義者から猛反対にあっ たので、カトリックに改宗したほどだったの だが。
 さらに同じ年、長女で四歳のプッツイをジ フテリアで亡くし、アルマは深い悲しみに襲 われた。彼女は酒に慰めを求めるようになっ ていた。
 一九〇七年、グスタフはニュ−ヨ−クのメ トロポリタン歌劇場と契約を結び、アルマも 夫とともにアメリカにわたった。翌年の一月 、ニュ−ヨ−クでマ−ラ−が指揮したワ−グ ナ−の『トリスタンとイゾルデ』は、聴衆を 熱狂させる大成功だった。夏に帰国してから は『大地の歌』の名曲が作られた。
 一九一〇年、グスタフとの結婚生活に疲れ たアルマは、オ−ストリア国内にある保養地 ト−ベルバ−トへ湯治に出かけた。そこで、 一人の若者と出会った。ヴァルタ−・グロピ ウスというドイツ人の有望な建築家である。 (のちに芸術学校として世界的に有名になる バウハウスを創設する)。三十一歳の美しい 人妻と二十七歳の青年の一夜の恋。青年は別 れたのちも、長い手紙を送った。その宛先は 夫のグスタフ。それを読んだグスタフは自分 たちの結婚生活が破綻していたかを知って愕 然とする
「マ−ラ−は彼の人生を生きている。子ども は私を必要としていない」
 孤独なアルマにとって戯れの恋だけが、気 ばらしだった。
 自分がいかに自己中心的だったかを反省し たグスタフは、妻にも結婚以来禁じていた作 曲活動をもう一度始めて心の渇きを埋めるよ うにと勧めた。アルマはグロビウスの元に走 るか悩んだが、結局はグスタフとの結婚生活 を捨てることはできなかった。といっても、 グロビウスとはその後も、手紙のやりとりを 続けていた。
 グスタフは、この悩みから抜け出るために 有名な精神分析医、フロイトの相談を受けて いる。
 しかし、結果としてこの恋愛事件はグスタ フの命を縮めた。
 一九一〇年の暮れ、マ−ラ−は倒れた。ア ルマは献身的に看病したが、翌年、五十歳で 心内膜炎のために、この世を去った。アルマ は三十二歳で未亡人になった。
 グスタフが亡くなると、アルマはかつての 華麗なヒロインとして返り咲いた。
 アルマはオスカ−・ココシュカという二十 五歳の若い画家と恋に落ちた。アルマはこの とき三十二歳。彼女はココシシュカの子を宿 した。
 ココシュカは、アルマをモデルに『風の花 嫁』という名作を描いて捧げたが、彼女の心 はすでに、離れてしまっていた。
「結婚してほしい」
 というココシュカの言葉に頷かなかったの である。
 アルマはココシュカとの子を中絶して、一 九一五年にグロピウスと結婚した。グロピウ スはかつてマ−ラ−が生きていたとき、不倫 の恋をしていた相手である。
 この結婚で、マノンという女の子が生まれ た。しかし、その翌年には、アルマは十歳あ まり年下の詩人で作家のフランツ・ヴェルフ ェルを愛人にした。
 翌年、アルマは子供を産んだが、グロピウ スの子か、ヴェルフェルの子がわからなかっ た。その子は翌年、亡くなった。その後、ア ルマはグロピウスと離婚。
 一九二九年、五十歳になったアルマはヴェ ルフェルと三度目の結婚をした。
 その三年後、オ−ストリアはヒトラ−のド イツに併合された。ユダヤ人である夫のヴェ ルフェルとともに、イギリス、フランスと亡 命生活を送り、最後にロサンゼルスに落ち着 いた。戦争は終わったが、同時にアルマは夫 も亡くした。
 戦後、アルマは一度だけウィ−ンに戻った が、荒廃した祖国に絶望して、その後はニュ −ヨ−クに住み続けた。
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