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追憶
マリリン・
モンロー

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エヴァ・ペロン(大統領夫人)Eva Peron
1919.4.26−−1952.7.26

権力 power

「エビータ(可愛いエヴァ)」
 とミュージカルにも歌われ、多くの国民か ら愛されたエヴァ・ペロンはアルゼンチンの 伝説的な女性である。独裁者フアン・ペロン の妻で、彼女自身もアルゼンチン女性として は先例のない権力をふるい、事実上の大臣を つとめたり、副大統領候補にもなった。
「私には一つの大きな野望があるの。祖国の 歴史に私の歴史を残したいの」
 一九一九年、エヴァ・ドゥワルテはパンパ ス草原の貧困にあえぐ村で私生児として生ま れた。十四歳で、女優を夢見た少女は、故郷 を捨てて大都会ブエノス・アイレスに出る。 地方訛りと粗野な物腰だったので、なかなか 芽が出なかったが、やがてラジオ番組で主演 女優に抜擢された。
 アルゼンチン女性にしては百六十五センチ と背が高く、魅力的な顔立ちで、とび色の髪 に大きな暗褐色の目。ふくよかなからだを太 らないようにいつも気をつけていた。字はほ とんど読めなかったが、こぼれる笑顔と、輝 く瞳の輝きで男たちを魅きつけた。何より積 極的だった。二十四歳のとき、男やもめのフ アン・ペロン大佐に会うと、すすんで攻撃を 仕かけた。
「ねえ、私と住まない?」
 エビ−タは押しかけて同棲し、二年後には 結婚にこぎつけていた。
 一九四五年十月二十一日、エビ−タが二十 六歳のときである。彼女は富や名声を手に入 れる道具としてセックスを徹底的に利用した のだ。アルゼンチンの下層階級の女性が貧困 から抜け出して裕福な生活を送る機会はほと んどなかったが、エビ−タは違った。女性の 武器を最大限に利用して、階段を上がったの である。
「おなかをすかせていたあのころのことを思 えばなんでもできる」
 結婚すると、エビ−タは過去を消すことに 必死になった。エビ−タはまだ無名だったこ ろ、ポルノ写真のモデルになっていたが、こ れは結婚後に回収されて破棄された。
 あるパ−ティで、水着姿でオレンジをしゃ ぶっている昔の写真がいやがらせにばらまか れた。一時間もしないうちに、警官が押し寄 せて、パ−ティは中止となり、犯人は逮捕さ れた。
 大統領夫人となってからも、過去の経歴か ら「淫売」と呼ばれることがあった。
 十四歳のとき、ブエノス・アイレスに行く 条件と引き替えに二流のタンゴ歌手を相手に したこともある。
 大都会ではタンゴ歌手など役に立たないと 、劇場主やカメラマンなどを相手にすること に切り換えた。
 劇場主には自分の出番を確約させ、石鹸会 社の社長からは高級化粧品を当然のごとく引 き出させている。
「この世はギブ・アンド・テイクよ」
 というのが、口癖だった。
 このときすでにエビ−タは成功の法則を身 につけていたのかもしれない。
 将来の夫となるフアン・ペロンとはまさに このギブ・アンド・テイクの関係がぴったり と合っていた。エビ−タは権力をもった男を 欲していた。エビ−タはフアンの好みを満た していた。
 エビ−タは二十四歳、ホアンは四十八歳。 二十四歳の年齢差は二人にとってほとんど障 害にならなかった。二人は会ったその日に、 愛しあった。
「彼なら軍人で終わらないで、一国を担う人 物になるわ」
 とエビ−タは確信する。
 ペロンはヒトラーとファシズムを崇拝して いた。この男を鼓舞して、その気にさせたの はエヴァである。
 ペロンはアルゼンチンの大統領に就任し、 独裁政権を行使するが、エビ−タは儀礼的な お飾りの大統領夫人では満足できるわけがな い。彼女は政敵だけでなく、個人的に気にく わない人物を失脚させた。
 だが、一方で、彼女は貧しい大衆の心を掴 んだ。人びとは堂々とした態度で問いかける エビ−タを崇拝した。女性に選挙権を与え、 労働者を組織したので、民衆の熱烈な支持を 得た。
 また、彼女は厚生財団の名目のもとに、何 百万ドルという国庫資金を福祉問題に注ぎこ んだ。
「私は貧しい人びとのためにお金を使ってい るのです。数えているひまなどありません」 と言っていたが、自分のスイス銀行口座にも 大金を隠していた。
 エビ−タは、結婚生活中、夫に忠実だった といわれているが、そうではなかった。
 第二次世界大戦時代に、ナチ占領下のギリ シアに食糧を送っていた関係で、彼女はあの 大富豪アリストテレス・オナシスと知り合う ことができた。
 一九四七年、エビ−タがヨーロッパを旅行 中にオナシスは彼女とデートをした。正式な 昼食会の後、エビ−タの随行員にもっと個人 的に会ってくれるように頼んだ。
 イタリアのリヴィエラ海岸にある彼女の別 荘に招待された。別荘に着くと、二人はすぐ にベッドに直行して求め合った。
 一九五二年、三十三歳の若さで彼女は子宮 がんで亡くなった。
 しかし、その後もエヴァの伝説は生き続け た。一九七〇年には、彼女の生涯を描いたミ ュージカル『エビータ』が上演された。
 エビータは歌う。
「アルゼンチンの人たちよ、泣かないで。私 はあなたたちの元を離れないのだから」
 さすがにエビ−タは女優出身だけあって自 己演出が巧みだ。実力以上を出し切って、大 統領夫人にまで登った成功の秘密はまさにこ の点にある。
 さらに彼女には明確な目的意識があった。 そのためには、ときの権力者とうまく結びつ くことが肝心だと熟知していた。
「もし女が一人で生きているとしたら、それ は女とはいえないわ。男がいてこその女です 」
 だからといってエビ−タは男に溺れること はなかった。
 そして権力の座につくと大衆の味方である ことをアピールした。高価な宝石を身につけ て大衆の前に出て熱っぽく語る。
「みなさんのおかげで私はこうしていられま す。私はあなたたちの夢を実現しました」
 たとえ莫大なお金が彼女のスイス銀行口座 に入っていたとしてもである。
 一九五〇年代になると、彼女の人気は凋落 した。不正な資金の使途が問われて、聖女か ら悪女への転落である。皮肉にもそれを救っ たのは彼女の死だった。子宮がんに冒され、 みるみるやせ衰えていった。
 そして苦しみから逃れたのは、三十三歳の ときだった。
 末期の苦しみの前に、「私が死んだら、赤 いマニュキアをはがして、代わりに地味んな の塗ってちょうだい」と言っていた。
 エビ−タの死から三年後、ペロンは革命で アルゼンチンを追われた。
「私はただ、歴史が私のことを語ってくれれ ばいいのです。ペロン将軍のかたわらに、ひ とりの女性がいた。人民ん願望と必要を彼に 伝えていたその女の名はエビ−タである、と 」(『エビ−タ』ジョン・バ−ンズ)
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