究極のマリリン・モンロー A-Z(メルマガ)
週に1度、マリリン・モンローの情報をお届けします。
メールマガジンの申し込みは、こちらです(melma!)
「妻は生きている」
究極のマリリン・
モンローA-Z
愛に生きる伝説の
女たち
聖林百話
新ボストンに友情あり
マリリンの素顔
元祖・雑学の悦楽
(Significa) NEW

メルマガ登録 NEW
最新情報
PROFILE(プロフィール)
ご意見・ご感想
リンク集
smile@ainoue.com
TOPに戻る
web KADOKAWA

連載中

モバイル版はこちら
マドンナ(歌手・女優)MADONNA
1958.8.16−−

演出 produce

「私はタフで、野心的で、それに目的もはっ きりしている。それが理由でビッチと呼ばれ たってぜんぜん平気よ」
「力強さは媚薬になるけど、わたしってずば 抜けて力強い人間なのよ」
 移り気で厚顔無恥な女王。マドンナ・ノニ −・チッコ−ネは、一九五八年、ミシガン州 の港町、ベイシティで生まれた。父のトニ− はイタリア系移民の子、母のマドンナ・ルイ −ズはフランス系カナダ人。マドンナは七人 きょうだいの真ん中である。両親は信仰心が 篤く、きょうだいの仲は良かった。
 マドンナはのびのびと育ったが、五歳半で 母を病気で失った。父が三年後に再婚したこ とは、マドンナにとって大きな心の痛手だっ た。父の愛を独占しようと考えていた彼女に は、どうしても認めることのできないことだ った。
 マドンナは、少女のころから自己顕示欲が 強く、セクシ−な服装や仕種で、男の子たち の注目を一身に集めていた。
 高校時代はチアリ−ダ−として活躍し、演 劇部ではヒロインを演じた。成績は優秀だっ た(IQ一四〇プラス)。男の子と(ときに は女の子とも)性的なふざけあいをして、不 良少女のレッテルを貼られてしまった。
 そのころ、すでにマドンナの才能を見抜い ていた人物がいる。バレエ教師のクリストフ ァ−・フリンである。マドンナは十四歳から バレエ教室に通い始めたが、フリンはその学 校の主宰者だった。当時四十二歳。マドンナ とは短い間、性的な関係があったという。
 フリンはマドンナの才能を認めた。きみに は特別な何かがある、彼はそう言い続けたの だった。それが何なのかマドンナ自身にもわ からなかったが、勇気づけたことは確かだっ た。私はス−パ−スタ−になる。必ずそうな れると信じた。
「自分自身が作品にならなければということ に気づいた」
 フリンはマドンナを美術館やコンサ−トな どに連れて行って、見聞を広めさせた。フリ ンとは、彼が六十歳でエイズで亡くなるまで 、教師として、友人として親しい関係を保っ た。
 マドンナが高校を卒業すると、ダンス奨学 生としてミシガン大学に進学した。だが、大 学で学ぶことになった古典バレエにもなじめ なかったので、フリンの勧めもあって、ニュ −ヨ−クに行くことになる。著名な振り付け 師バ−ル・ラングの主宰するダンス・カンパ ニ−に入って、モダンダンスの勉強を始めた 。ミュ−ジカルや映画のオ−ディションも受 け続けた。
 そんなときフランスの音楽プロデュ−サ− 二人が彼女の才能を見抜いて、パリへ連れて 帰った。彼らはマドンナを歌手デビュ−させ ようと考えて、大掛かりなキャンペ−ンをし ようとしたのだが、マドンナはパリを出てニ ュ−ヨ−クに舞い戻ってしまった。
 パンクとニュ−ウェ−ブに惹かれていたマ ドンナは彼らの用意したポップス調のダンス 曲が気に入らなかったのである。
 ニュ−ヨ−クに戻ったマドンナは、ドラム の練習などを始めた。
 ヌ−ドモデルなど、さまざまなアルバイト をしながら、マドンナはギタ−を習い、作曲 も始めた。映画『マドンナin生贄』では主 演した。これはレイプシ−ンもあるエロティ ック・サスペンスで、彼女が有名になってか らあらためて公開された。マドンナは公開さ れるのを嫌がったが、レイプやヌ−ドのシ− ンのせいではなくて、ヘタな演技を見られる のが悔しかったからだという。
 マドンナは音楽仲間を集めてバンドを作り 売り出し作戦に出た。
 一九七八年ころ、「ブレックファ−スト・ クラブ」「エミ−」などのバンドを結成した 。
 ドラマ−としてメンバ−のお尻を見続ける のは、彼女の性に合わず、ヴォ−カルのアン ジ−・スミットを脱退させ、自分がマイクの 前に立った。
「いくらいい作品を作っても売れなくてはダ メ」
 というのが、マドンナの持論だ。
 彼女は自分自身をプロデュ−スしていった 。多くの男と(女とも)寝たがそれも彼女に とってはスタ−になるための栄養剤だった。
 マドンナのパワフルな歌やステ−ジは、大 宣伝のおかげもあって、たちまち業界の注目 を浴びた。彼女はさらに有力な人物に身を委 ねた。巨額の投資をしてくれたプロダクショ ンをいとも簡単に捨てた。それがマドンナの やり方だった。
 自己演出にかけてはマドンナは、天才的な 冴えを見せた。
 自由にセックスを楽しむ女、男を支配する 強い女、それでいて可愛らしさもある女、そ れが自分自身でプロデュ−スしたマドンナ像 である。『ライク・ア・ヴァ−ジン』を舞台 の上で歌いながら、セックスシ−ンを演じ、 素肌で男女がからみあう写真を公開した。映 画『マドンナ』では、私生活まで見せた。 「なめるのは嫌いだけど、なめられるのは好 きよ・・・一日半でも」
 無防備なようでいて、スタ−性を高めてい く。これも彼女一流の計算の上に立ってのこ とだった。
 歌手として頂点に立った彼女が次に標的に したのは、スタ−女優の座である。
 テレビのスクリ−ンだけでなく、銀幕のヒ ロインにもなりたいと思うようになった」  アイドルはキャロル・ロンバ−ドやジュデ ィ・ホリデイ。
 二人の共通点は、人の期待を裏切らないと 同時に、期待に応えることで恰好の攻撃対象 にもなっている。
 まず『ス−ザンを捜して』では、ロザンナ ・ア−クエットと組んだ。撮影が始まった頃 は、主演のロザンナがスタ−だったが、終わ るころにはマドンナが主役の座を奪っていた 。のちにロザンナはプライドが傷ついたと語 っている。
 だが、夫のショ−ン・ペンと組んだ『上海 プライズ』は失敗だった(一九八五年八月に ジョ−ン・ペンと結婚。四年で破局)。
 ウォ−レン・ビ−ティ製作・主演の『ディ ック・トレ−シ−』は、マドンナのほうから 売りこんだ。ディック・トレ−シ−を誘惑す るブレスレスという悪女を演じたが、地をい く演技で好評だった。
 女性ばかりの野球チ−ムを描いた『プリテ ィ・ベイビ−』では、主役ではなく、脇役に 徹した。これも計算の上のこと。
 男の選び方も、きちんとマドンナは計算し ていた。
 ジョン・ケネディ・ジュニア(ピ−ナツ・ バタ−のプレイで有名に。ジャッキ−・オナ シスが二人の交際に猛反対した)に始まって 、結婚したショ−ン・ペン、ウォ−レン・ビ −ティなど。マドンナが再婚相手に選んだの はカルロス・レオン。
 ショ−ン・ペンの場合は、自分よりはるか に有名な妻をもった男の悲劇を代表していた 。
 ペンは猜疑心や嫉妬などで、苦しんだ。そ の挙げ句、マドンナに暴力を振るったのだっ た。彼は逮捕され、実刑判決まで受けている 。
 マドンナはペンやビ−ティの子どももほし がったが、かなわなかった。
 マドンナは必ず、自分のほしいものを手に 入れる。カルロス・レオンとの間にルルドと いう女の子をもうけた。
 彼女の妊娠がわかったのは、『エヴィ−タ 』の撮影中のことだった。この『エヴィ−タ 』に掛けた執念はすさまじかった。
 生後二カ月のとき、「この子は私に似てい る」とマドンナは言った。
「赤ちゃんはおなかがすくと泣くけれど、私 の子は何がほしいか、はっきり訴えるのよ」  娘を見れば、母親がわかるということだ。
 自己演出の上手いマドンナのこと、これか らどんな手を見せてくれるのか。
 マドンナは、マリリン・モンロ−をまねた といわれる。たしかに、セクシ−さを演出す る方法はマリリンを彷彿させる。しかし、マ ドンナは生き方まではまねなかった、あくま でもマドンナ流を貫いたのである。
「移り気で厚顔無恥な女王」マドンナは、同 時代を生きる女性に力強いメッセ−ジを送り 続けている。


一覧に戻る

このサイトはIE4.0以降のブラウザでご覧ください
Copyright (C)Atsuo Inoue 1998-2004 無断転載禁ず
このページはリンク設定自由ですが、
リンクを設定した旨を電子メールにてお伝えください。
書籍を購入される方は、
書籍名で検索してください→


This site powered by H.ozaki