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ヘティ・グリ−ン(金融業者) Hetty Green
1835..−−1916

魔女 witch

「ウォ−ル街の魔女」こと、ヘティ・グリ− ンは世界屈指の大富豪だったが、常軌を逸し た吝嗇家でもあった。
 マサチュ−セッツ州のニュ−ベッドフォ− ドで捕鯨業と不動産業を営む富裕なクェ−カ −教徒の家に生まれ、幼いころから倹約の大 切さを厳しく教えこまれた。「金を使わない こと」に執念を燃やした。
 ヘティが三〇歳のとき、父親が亡くなって およそ五百万ドルにおよぶ遺産を相続した。 このときから「ヴェニスの商人」のシャイロ ックのような人間となった。
 三十二歳で父親の遺言執行者のエドワ−ド ・H・グリ−ンと結婚することになった。彼 も億万長者だったが、抜け目のないヘティは お互いの財産を別々に管理するという契約に 相手が署名をしてから、式を挙げた。
 夫がお金の使い方にい方が無頓着だわかる と別居し、グリ−ン家のいっさいの事業から 夫を締め出してしまった。
「夫はなんの役にも立たないのよ。あの人が いなければいいと思うわ」
 とヘティは夫の死の床で不平を言った。
 夫のグリ−ンは文無しで死ぬとヘティは断 言した。
 その言葉どおり、ケチな妻からから部屋代 を払ってもらっていたにもかかわらず、一九 〇二年に死んだとき、彼は金時計一個とわず か七ドルをもっていただけだった。
 ヘティは株や債券、不動産に投資し、晩年 までに個人資産は膨大なものになった。その なかには、シカゴの一等地一万マイル平方も 含まれていた。
 しかし、なんといっても彼女の大口の儲け 口は、市や州に高利で資金を貸すことだった。 に多額の資金を融通することだった。  冷徹な打算ができた。
 あるときなどは、総額百万ドルを越える預 金を即座に引き出すと言い張った。
「早くお寄こしってば、いますぐにね。現金 でなきゃだめよ」
 あまりにわめきたてるものだから、やむな く彼女の言い分を受け入れた銀行は、翌日倒 産した。
 ヘティは金銭に関する第六感とでもいうべ きものをもっていて、ピンチを事前に嗅ぎつ ける能力があったようだ。
 ある女友だちから、自分はしかじかの銀行 に預金をしているのだが、あそこは大丈夫か と尋ねられた。
「あの銀行の職員はハンサムすぎるわ。きっ とろくなことにはならないわ」
 とあまり訳のわからない理由をあげて、翌 朝にも預金を引き出すようにと忠告した。
すると、日ならずしてその銀行は倒産した。
「安く買って、高く売る」
 彼女はウォ−ル街を歩き回って掘り出しも のを買いあさった。
 服装にはまったく無頓着で、夫の死後、実 に二十年間同じ黒いドレスを着続けた。その 下には、株券や債券、百万ドルもの現金を入 れる特製のポケットがついたペチコ−トを履 いていた。
 彼女はそのドレスを数日ごとに自分で洗濯 していたが、のちになってペチコ−トとドレ スの裾だけを洗うようにと雑役婦に言いつけ て洗濯をさせた。ウォ−ル街の埃の中を裾を 引きずって歩き回るので、そこがいちばん汚 れたからだ。
 冬にはドレスの下に男の下着を付け、保温 のために新聞紙を詰め込んだ。黒い手袋は破 れて指が飛び出し、二十年間使い古したマフ ラ−は文字どおりボロボロだった。
 おきにいりの漁師の履くゴムの長靴を履い てどこにでも出かけた。
 ヘティは食事もケチに徹していた。できる だけ安いレストランで、できるだけ安いもの を注文した。彼女のお気に入りのボストンの 薄汚いレストランでは、豆が一皿三セント、 パイが一切れ二セントだった。ある物好きの 計算によると、当時の彼女の収入は一秒間に 八セントで、それに追いつくには毎秒四切れ のパイを食べなければならない計算になる。  どうした風の吹きまわしか、ヘティは一度 だけ上流階級の友人を招いて、パ−ティを開 いたことがある。みんながみすぼらしい安下 宿に集まった。一人前二十五セントで、七品 のディナ−を供された。そのパ−ティの費用 は総額二ドル二十五セントだった。
 二人の子ども、エドワ−ドとシルビアは極 端な貧乏暮らしを強いられた。なにしろ子ど ものために新しい服を買うような無駄遣いは しなかった。エドワ−ドには古着を、シルビ アには自分の昔の服をからだに合わせて切り 落としたものを着せた。
 シルビアは成長して修道院に入れられたが 修道女の服が出費を切り詰めようとするヘテ ィの気性にぴったりあっていたためだった。 ヘティの晩年には、母親そっくりの吝嗇家と なったこの娘が財政顧問をつとめた。
 新奇なものはなんにしろ彼女の気に入らな かった。自動車などはもってのほかの贅沢で 『ニュ−ヨ−ク・ヘラルド』紙の取材記者に 向かって「イエス様は車になんて乗らなかっ たわ。ロバでじゅうぶんだったわ」
 弁護士と医者も彼女は毛嫌いした。
「弁護士なんかを相手にするなら、自分の娘 が火あぶりになったほうがまし」
 医者は金を儲けるために病気をでっちあげ、 金をふんだくる山師以外の何物でもなかった。  息子のエドワ−ドが怪我をしたときもなか なか医者に見せようとはしなかった。わずか ばかりの治療代をけちって、息子を病院から 連れ出した。膿をもった脚に砂をかけておい たが、壊疽は食い止められず、結局息子の片 足は切断されることになった。
 このエドワ−ドを彼女の金融機関で働かせ せる前にちょっとしたテストを行った。二十 五万ドルの債券が入っている包みをシカゴの 代理店に届ける役目だった。エドワ−ドは片 時も包みから目を離さず、緊張の末に包みを やっと先方に引き渡した包みの中には、満期 を過ぎて不要になった火災保険証券がぎっし りと詰まっていた。
 一九一二年、七十八歳の誕生日にヘティは 大きな玉葱をかじりながらインタビュ−に答 えた。彼女は一九一六年に死ぬまでさらに四 年間玉葱をかじり続けた。
 八十一歳のヘティの世話をする看護婦は普 段着を着るようにエドワ−ドから厳命された のだった。もし、高給を取る正式の看護婦が ついているとわかったっら、それこそ苦悶の あげくにあっと言う間に死んでしまうからだ。  彼女の残した約一億ドルの遺産のうち、エ ドワ−ドとシルビアはそれそれ約千万ドルず つ受取、残りは一四七八人の親類の間で分配 された。ヘティがこの世で最後に乗った列車 は、存命中には一度も乗らなかったブルマン カ−だった。それは息子が彼女の遺体を故郷 に運ぶためにチャ−タ−したものだ。
 故郷に向かう長い旅の間、ヘティの魂はさ ぞかし、この贅沢に怒りわめいていたとだろう。
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