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キャリ−・ネイション(社会運動家) Carry Nation
1846..−−1911
禁酒 sober
禁酒運動家キャリ−・ネイションの父親ジ
ョ−ジ・ム−アは文盲、母親、弟、妹は三人
とも精神に異常をきたしていた。母のム−ア
は、自分がヴィクトリア女王だと信じこみ、
自分の馬車は護衛兵が先導し、そばにはいつ
も従僕がついていなければならないと言い張
っていた。結局、彼女は精神病院に収容され
たまま世を去った(弟や妹も精神病院で亡く
なっている)。
キャリ−は二十一歳のとき、南北戦争の退
役軍人チャ−ルズ・グロイドと知り合って結
婚した。グロイドは医者だったが、戦争中に
見た多くの殺戮行為を忘れるために浴びるよ
うに酒を飲み続けた。キャリ−は夫のアル中
を治せると考え、夫が酔っぱらうたびに飲酒
の罪悪について猛烈にまくしたて、非難の言
葉を浴びせかけた。そのため夫はフリ−メ−
スンの集会所へ逃げては、前にもまして安酒
をがぶ飲みするようになった。
やがて二人はチャ−リ−というひとり娘を
もうけたが、グロイドは娘が生後わずか六カ
月のときにアルコ−ル中毒で死んだ。キャリ
−は夫の年老いた母親と娘を養うために洗濯
女、お針子をしながら、なんとか生計を立て
た。
だが、すこしでも生活が楽になるようにと
牧師のデヴィッド・ネイションと出会って結
婚した。ところが、ネイション牧師は農場経
営者、弁護士と次々に職を変えるが、どれも
惨めな結果に終わった。
もっとも、ネイションが牧師として失敗し
たのは必ずしも彼のせいばかりとはいえなか
った。妻のキャリ−が教会の前列に陣取り、
彼の説教の文法的な過ちを大声で訂正、説教
が終わらないうちに席を立って「今日はそれ
でたくさんよ、デヴィッド」と言い捨てて、
教会を出ることが多かったからだ。
キャリ−は四十五歳のころ、カンザス州の
メディシン・ロッジで下宿屋を経営していた
が、忙しい仕事の合間に女子キリスト教禁酒
同盟本部によく姿を見せた。アルコ−ルと煙
草を撲滅しようというこの同盟の趣旨はキリ
スト教の考え方と完全に一致した。
一八九一年、地区委員長に選ばれたキャリ
−はアルコ−ルと煙草の撲滅運動だけでなく
女性の選挙権獲得運動を推進し、ことあるご
とに手厳しく男性攻撃をおこなった。
一八九〇年代のカンザスは禁酒法を実施し
ていたが、どこの町でも酒場はたいていは昼
夜兼行で営業していた。メディシン・ロッジ
ジも例外ではなかった。
キャリ−はまずバ−バ−郡の保安官を手始
めに法務長官、州知事に禁酒法違反を訴える
手紙を書き送った。手紙が無視されると、地
域のバプティストの牧師の妻と一緒に、携帯
用オルガンをもってメディシン・ロッジの通
りを歩き回り、「酒でわざわざ肝臓を痛めつ
けているあわれな罪人を救いたまえ」と酒場
の前で賛美歌を歌い、祈りを捧げた。
あるとき、町の薬剤師がこっそりウィスキ
−を仕入れていると聞くと、彼女は大槌を振
り回して店に押し入って、奥の部屋にあった
ウィスキ−の樽を力まかせにぶち壊した。
キャリ−は身長一八〇センチ、体重八七キ
ロの大女であった。問題の薬剤師は次の日、
早々に荷物をまとめて町を去って行った。
灰色のもじゃもじゃの髪、四六時中しかめ
っ面をしているためにしわが寄ってしまった
ほどだ。どこか顔はブルドックに似ていた。
一九〇〇年六月六日、彼女に神のお告げが
あった。夜明け前、雷のような天の声が寝室
いっぱいに響き渡った。
「カイオワへ行け!」
それを聞いたキャリ−はベッドから飛び出
して身支度を整えると、朝食をすませ、「粉
砕道具」(スマッシャ−)の岩塊、レンガ、
瓶、短い鉄棒などを新聞紙に包んで馬車に積
み込み、馬に鞭打ってカンザス州カイオワを
めざして出発した。カイオワは悪名高き、酒
類の密造、密売の天国だった。
まず、最初の攻撃目標であるドブソンの酒
場のスイングドアをさっと通り抜けたキャリ
−は店の経営者ドブソン目がけて突進した。
「この悪徳の巣窟をぶち壊すしかない」
キャリ−は「スマッシャ−」の鏡やガラス
あるいはウィスキ−のびんを次々と破壊しつ
した。
一九〇〇年一二月二七日午前九時四十五分
きっかりに、キャリ−はウイチタにある豪華
なケアリ−・ホテルの赤いじゅうたんを敷き
詰めた階段を下りていった。
それは州でもいちばん洗練されていると評
判の高い地下のバ−へと続いていた。バ−に
降り立ったキャリ−は、そのけばけばしさに
一瞬、唖然とした。
キャリ−はカウンタ−に向かって大股に近
づいていた。
「ご婦人には酒を出さないことになってしま
す」
と丁重に断るバ−テンに向かって彼女はこ
う叫んだ。
「すぐさまこの殺人工場を閉鎖せよ!」
と息まいた。
何がなんだかわからないバ−テンは「奥さ
ん一杯やったほうがよさそうですね」と言っ
て並々にウィスキ−を注いだ。
すると「神に栄光あれ」と叫んでキャリ−
は鏡や酒瓶をこなごなに割り、テ−ブルを引
っ繰り返し、椅子を壊した。彼女は器物損壊
罪で逮捕された。
この凄まじい女に関するニュ−スがウイチ
タ中に広がり、新聞記者が刑務所に押し掛け
て彼女にインタビュ−を求めた。その結果、
監房の中で聖書を手に苦難に耐えている彼女
の写真が新聞のトップを飾ることになった。
キャリ−は監房の中で大きな声で讃美歌を
歌った。やがて彼女の信奉者が刑務所にやっ
てきて、この「聖女」の釈放を願って、讃美
歌を歌い、祈りを捧げた。
刑務所の前は興奮した女たちでいっぱいに
なり、交通の妨害をした。看守はすっかりう
ろたえてしまい、キャリ−を釈放する権限を
もつその筋にあわてて電話をかけたのだ。
ケアリ−・ホテル事件の裁判には、たくさ
んの味方が傍聴し、告訴は却下された。キャ
リ−は釈放されたその足で二軒の酒場を襲撃
した。今度の武器は斧だった。
始めは彼女を支援していた女性たちも、キ
ャリ−の行動が、あまりにも激しさを増した
ので、じょじょに離れて行った。
その後も、キャリ−はル−ズヴェルト大統
領に煙草をやめさせようと、ホワイトハウス
に押し入ろうとしたりした。
一九一〇年を最後に、襲撃をやめて、カン
ザス州に落ち着いて、『スマッシャ−ズ・メ
イル』という週刊新聞を出して、酒の害を説
き続けたが、読者が少ないために廃刊せざる
をえなくなった。
キャリ−がこの世で、もっとも恐れたこと
は母や妹や、弟、そして娘たちのように精神
攪乱を起こすことだったが、一九一一年一月、
キャリ−自身の身に起きた。
キャリ−は突然、泣き出したのだ。
その年の六月、キャリ−はカンザスのの精神
病院で亡くなった。
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