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ヴァ−ジニア・ウルフ(作家) Varginia Wolf
1882.1.25−−1941.3.28

抽象 abstract

「人間の性格に変化が起きたのは、たしか一 九一〇年の十二月あたりだったと思う。それ は、外に出たら庭にバラが咲いていたとか、 ニワトリがタマゴを産んでいたというのとは ちがう。変化はそれほど急激なものでも、明 確なものでもない」(『ベネット氏とブラウ ン夫人』)
 二十世紀の重要な作家の一人であるヴァ− ジニア・ウルフは、プル−ストやジェ−ムス ・ジョイスなどとともに、現代小説の開拓者 として知られている。また、一九〇五年から 二〇年にかけてブル−ムズベリ−・グル−プ として知られたイギリスの前衛的知識人たち の集まりの中心人物でもあった。
 母のジュリア・ダックワ−スは評判の美人 で、父のサ−・レズリ−・スティ−ヴンは当 時のイギリス文学の指導的な存在だった。ヴ ァ−ジニアは母の美貌と父の知性の両面を受 け継いだ(母ジュリアは父レズリ−の二度目 の妻で、ヴァ−ジニアが十三歳のときに、亡 くなった)。
 長身でほっそりとした面立ち、上品で弱々 しげで、くっきりとした目鼻立ちの古典的な 美人だった。ヴァ−ジニアは子どものころか ら、物を書くのが好きだった。そして彼女は きまって発作を起こした。何カ月もの間、人 の声が聞こえ、幻影が見えるのだった。
 生涯に四度ほど大きな精神的破綻を味わっ ているが、毎回発作の直前に、長編小説を書 き上げている。
 二十五歳のとき、兄弟のケンブリッジの友 人たちと集まりをもち始めた。このサ−クル はのちにブル−ムズベリ−・グル−プとして 知られるようになる。この集まりでヴァ−ジ ニアは、ウイットと想像力の豊かさで注目を 集めた。求婚する男たちも多かったが、彼女 は三十歳まで結婚しなかった。
 翌年、処女長編を完成したが、直後、生涯 で最悪の精神障害を起こし、二年間もの間、 苦しんだ。
 四十歳代になるとヴァ−ジニアは、ベスト セラ−作家の仲間入りをした。
 作家、ヴァ−ジニア・ウルフが形成される には、二人の兄弟の存在が大きい。
 ヴァ−ニアは母が異なる二人の兄弟、ジェ ラルドとジョ−ジ・ダックワ−スによって、 不幸な性の世界に引きずりこまれた。彼女が 六歳のとき、当時二十代だったジェラルドは 彼女を棚の上に立たせて、性器を手で弄んだ。 これは彼女にとって生涯忘れられない傷を残 した。
 今度はジョ−ジが夜になるとやってきては ベッドにもぐりこみ、キスをしたり、愛撫を したりするのだった。ヴィクトリア風の古風 な女性だった彼女は、二十二歳になるまで、 黙ってその屈辱に耐えた。
 ヴァ−ジニアの恋の相手はマッジ・ヴォ− ンという黒髪のヴァ−ジニアと同じ文学的趣 味をもつロマンティックな美少女だった。二 人は親密な関係になったが、マッジはすぐに 結婚してしまった。
 二十歳になると、ヴァ−ジニアは古くから 一家の友人だった三十七歳のヴァイオレット ・ディキンソンと熱烈な手紙を交わすように なる。彼女のヴァイオレットへの手紙は、ま るで肉体関係のある愛人に宛てた手紙のよう に「私のヴァイオレット」とか「私の女」と か呼び、「恋人より」と結んである。
 それらの手紙は、恋慕、欲求、渇望あるい は「夜中に目が覚めたとき、きっとあなたの 腕を抱きしめる私の腕を感じるでしょう」と いった言葉でいっぱいだった。しかし、現実 には二人に肉体関係はなかった。ヴァ−ジニ アの場合、たいていはそうだった。十年間に わたるヴァイオレットとの親密な関係は純粋 に精神的なものにとどまっている。
 一九〇九年、二十七歳のとき、「ブル−ム ズベリ−の大男色家」と呼ばれていたリット ン・ストレイチ−が彼女にプロポ−ズした。 彼女はリットンがホモであることを知ってい たが、申し出を受け入れた。おそらく彼のウ ィットと恐るべき知性の持ち主という評判を 聞いていたからと思われる。
 ところが、その翌日になると、彼のほうが プロポ−ズを撤回した。
「彼女がぼくにキスをすると思うと、恐ろし かった」と彼は言っている。二人の友情はそ の後、回復し、リットンは政治活動家で作家 のウルフにヴァ−ジニアにプロポ−ズするよ うに勧めた。
 三十歳のとき、ヴァ−ジニアはブル−ムズ ベリ−の一員でもあっただったウルフと結婚。 そのとき初めて彼女は、自分が不感症である ことを知った。
「絶頂感というものが、とても誇張されたも のであることが私にはわかった」と彼女は語 っている。
 新婚旅行からいくらもたたないうちに二人 はセックスをしなくなった。ただし、それか らの二十八年間、幸せな結婚生活が続いた。 「私は男でも、女でもない」とヴァ−ジニア は言ったことがある。
 結婚後、彼女は文筆生活に専念するように なった。最初のうちは母親になることや、良 き妻になることに憧れていたが、そのうち諦 めてしまった。
「この(小説を書くという)愛も心も情熱も セックスもない、ぼんやりとした夢のような 世界こそ、私が本当に気になり、興味を覚え る世界なのだ」
 しかし、ヴァ−ジニアは四十歳のとき、十 歳年下で、レスビアンのヴィ−タ・サックヴ ィル=ウエストに恋をした。ヴィ−タは貴族 の血を引く、名門の子女で作家でもあった。 二人の関係は五年間続いた。ヴァ−ジニアが 同性愛的な関係を結んだのは後にも先にもこ れだけだと思われる。
 ヴァ−ジニアは自分のもっている性的な感 性のすべてを創作のほうに注ぎこんだ。
 ヴィ−タと関係していた時期、その後、親 しい友人として付き合っていた間に、彼女の 最良の作品が生まれている。
『ダロヴェイ夫人』『燈台へ』『オ−ランド』 (小説風に書かれたヴィ−タの伝記)そして 『波』。
 二人の関係が疎遠になってから、作曲家の エセル・スミスがヴァ−ジニアに激しい恋を したが、彼の心は通じなかった。
 第二次世界大戦の最中に、彼女は新たな長 編を書き終えた直後に、再び自分が精神的危 機に陥るのに耐えられなかった彼女は、ポケ ットに石を詰めこんでウ−ズ川に身を投げた 。五十九歳だった。時代の暗さにも絶望した。  そして夫レナ−ドに残した書き置きのなか で彼女は「私たち以上に幸せな二人がいたとは 思えません」と書いたのだった。
「純粋に、たんなる男であったり、たんなる 女であったりすることは破滅的なことです。 人は女らしい男か、男らしい女でなければな らないんです」
「私みたいに去勢された男でいるのは、すば らしいことよ」
 ヴァ−ジニア・ウルフのこのような思想が 理解されるには、かなりの時間が必要であっ た。
 二十世紀末になって、人びとは、この思想 を深く理解できるようになった。
「死こそ敵なり・・・私はこの身を投げだし て、打ち負かされず、一歩も譲ることなく、 あなたに歯向かおう。おお、死よ」(『波』)
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