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メイ・ウエスト Mae West
1892.8.17−−

性悪女 vamp

「愛のあるセックスは最高。でも。愛がなく ても、そんなにひどいものじゃないわ」
 メイ・ウエストは一六〇センチと小柄だが、 肉体的魅力をスクリ−ンでも私生活でも発揮 して男たちを悩殺した。
「食べ物なんてどうでもいいの。私の気を引 くごほうびの人参とすれば、男がくれるダイ ヤの値段ぐらいかしら」
 メイは、一八九二年にニュ−ヨ−クに生ま れた。母はフランス人で教師、父はヘビ−級 ボクサ−。母はボ−ドヴィルに夢中で、機会 があれば幼いメイを劇場に連れて行った。五 歳になるころには、ブロ−ドウェイ・スタ− の真似をするようになり、二年後には歌と踊 りのレッスンを受け始めた。十五歳のとき、 脇役として舞台に立った。
 一九一一年に『ラ・ブロ−ドウェイ』とい うレビュ−にコ−ラスガ−ルとして出演して 初めて注目された。『ニュ−ヨ−ク・タイム ズ』紙は、「メイ・ウエストという名のコ− ラスガ−ルがしゃれた歌と踊りを披露し、観 客の目を楽しませてくれた」と書いた。
 その後の十五年間はあまりぱっとしないミ ュ−ジカルやコメディへの出演が続き、人気 も下降ぎみになった。
 一九二六年、メイは『セックス』と題する 自作の劇で、ブロ−ドウエイをあっと言わせ、 落ち目の人気を回復しようとした。メイはジ ャン・マストというペンネ−ムを使い、モン トオリ−ルの売春宿で水夫を相手に春をひさ ぐ娼婦たちの物語を書いた。その芝居の台詞 には、下層階級の言葉や隠語がふんだんに使 われ、そのせいもあって大ヒットした。上演 回数は三百八十五回におよんだ。
 いつもきまって好意的な批評をする『ヴァ ラエティ』誌もこのときばかりは「メイ・ウ エストは劇のもつあらゆる制約を無視してい る」とこき下ろした。『ニュ−ヨ−ク・タイ ムズ』紙は「安っぽい演出と貧弱な演技によ る粗野で馬鹿げた劇」と決めつけた。
 ところが、芝居は、警官が踏みこんで閉鎖 する翌一九二七年二月の最終日まで大入り満 員だった。なにしろたいへんな評判になった ため、メイと主だった俳優たちは風紀を乱す という理由で拘留された。メイとプロデュ− サ−のジム・ティモシ−は、それぞれ五百ド ルの罰金と十日間の禁固刑となった。メイは 鼻先でせせら笑い、ふてぶてしい態度で、ウ エルフェア島刑務所に向かった。
 釈放後、彼女はすぐにホモセクシャルを扱 った短いドラマを書いて上演し、警察当局を 悩ませた。そしてこの芝居の上演で彼女を自 分たちの代弁者だと考えたホモセクシャルか らは支持されることになる。
 一九三二年、パラマウント映画と契約を結 んでスクリ−ンに登場するようになると、豊 かな胸をぴちぴちのドレスに包んだ肉感的な な姿は観客たちを虜にしたのだった(ハリウ ッドの有名なコスチュ−ム・デザイナ−のイ デス・ヘッドは「巨大なメロンのようだった」 と形容している)。
 一九三三年、メイは「女性は太っているほ うが自然という概念を一般化させた」として 中央産婦人科医協会から表彰されている。
 メイは高価な装飾品がぎっしりつまった手 荷物、犬、からだじゅうにダイヤモンドを散 りばめてハリウッドにやってきた。
「あたしはね、大都会で一旗挙げてやろうと はるばるやってきたおのぼりさんとはちがう のよ。大都会からちっぽけなこの町に遊びに きた大物なの」
 こうしてメイはカメラの前で大蛇のように からだをくねらせて銀幕に登場した。
 相手役が誰であろうと彼女はきまったヴァ ンプ(悪女)役で純真な若者を「ねえ、ちょ っと・・・」とそそのかす。あるいは、悪漢 に向かっては「あんたのポケットの中で膨ら んでいるのは拳銃なの? それともあたしに 会ってうれしいからなの?」と仄めかす。
 台詞が思わせぶりなほどメイの演技は冴え ていた。彼女はこうしてセックスを茶化した ので、たえず検閲官や教会関係者と対立した。 このショ−に対して、教会関係者や婦人団体 などから抗議がNBCの事務所に次々と舞い 込み、結局、スポンサ−が聴取者に謝罪する 騒ぎになった。
 それ以後、メイもハリウッドから締め出さ れ、「性悪女」、「ゲイの女神」などありと あらゆるレッテルを貼られ、下品なジョ−ク のネタにされた。
 しかし、現実の彼女の生活は、平凡なもの だ。少なくとも表向きはなんら風変わりなと ころはなかった。
 マネ−ジャ−のジム・ティモシ−と一緒に 大好きなボクシング観戦に出かけて、ハリウ ッドのパ−ティにはめったに出席しなかった。  後年、このセックスの女神は、自宅の寝室 の貝を形どった黄金のベッドのなかでインタ ビュ−に応じるようになり、回想録も書き始 めた。
 そのなかで彼女は何十人もの男性と、ある ときは一度に複数の男性とベッドをともにし たというセックス・マラソンについて触れ、 ある若い男とは十五時間ノン・ストップで愛 しあったと記している。
 真相を知りたがった新聞記者に、メイはこ う答えた。
「あたしがもっとも素晴らしい仕事をしたの はベッドのなかよ」
 ところが、メイ・ウエストは私生活では、 酒もタバコも飲まずに、じつに真面目であっ た。実際は男性関係もほとんどなかったとも いわれている。
 メイ・ウエストは、いつも冷静に醒めてい て、自分でシナリオを書き、演じることがで きた。
「二つの悪魔の間に挟まれてしまったら、試 してみたことのないほうを私はとる」
 一九三〇年前後は、まだセックスが自由に 語られることがなかったので、あえてそのタ ブ−に挑んだ。おまけに取り締まりの目をは ぐらかすためにコメディに仕立てて茶化した りしたのである。
 そんな彼女をハリウッドは、ほおっておか なかった。メイも自身でシナリオを書いた。 『わたしは別よ』と『妾は天使じゃない』で 大ヒットを飛ばした。
 メイとマレ−ネ・ディ−トリッヒは仲がよ かったといえるだろう。メイが誰とも親しく なかったことを考えるなら。一九三〇年代、 パラマウントで二人の化粧室は隣り同士だっ た。ディ−トリッヒはいつも髪を洗いたがっ ていたので、メイはお付き合いはやめましょ うと言った。メイによれば、別のヘアも洗っ ているのではないかと心配したからだ。
 実際のメイ・ウエストは意外にまっとうな 男性観をもっていた。
「家にいる男には、町で出会う男の二人分の 値打ちはあるわね」
「私はぜったいに離婚しないの。平凡な男の ほうがいいの。いい男はスタジオにいくらで もいるし、外見の平凡な男なら失う心配はな いですから」
『罪じゃないわよ』『わたしは貴婦人』『美 しき野獣』『浮気名女優』などに出演して、 メイ・ウエスト旋風を巻き起こしたが、『私 の可愛い坊や』を最後に引退してしまった。  メイ・ウエストは、最初の夫フランク・ウ ォ−レスと結婚してから三十二年間も続いて いたが、一九四三年になぜか五十歳になって から別れて、ずっと一人で生活した。
「結婚は一つの偉大な制度、でも私にはその 覚悟ができていない」
 メイは女性には人気がなかった。チャプリ ンにいわせると「女性から、男を奪ってしま うから」だった。
「女がはめをはずせば、男なんて簡単に堕落 するものよ」
 とメイは言っている。
「度を越したものこそ素晴らしいのよ」
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