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ウォリス・シンプソン(ウィンザ−公夫人 )
Wallis Simpson

1896.6.16−−1986.4.24

女王様 queen

 イギリス国王エドワード八世が、王位を捨 て二度も離婚歴のあるアメリカ女性ウォリス ・シンプソンと結婚した。それは「王冠を賭 けた恋」と一大スキャンダルとなった。 「あんなアメリカ女を王室の一員に加えるも のですか」
 離婚歴のある女性との前代見聞のスキャン ダルに王室関係者は眉をひそめた。
 写真家のセシル・ビ−トンはウォリス・シ ンプソンのことを「愛嬌のあるブス」と形容 した。
 傲慢な性格で二度の離婚歴のある女性にど んな魅力があったのか?
 一八九六年六月、ウォリスは、ベッシ−・ ウォリス・ウォ−フィ−ルドとしてボスティ モアの名家に生また。生後五カ月で、父を結 核で失ってから、活発な母アリスに育てられ た。裕福ではなかったが、母は下宿を経営し てなんとか生計を立てていた。
 小柄で、黒髪の少女は美人ではなかったが、 男友だちにも恵まれた。上流社会へはいあが るガッツがあり、二人の夫をつかまえるだけ の魅力があった。
 一人は海軍パイロットで、ウォリスを虐待 したウィン・スペンサ−(一九二七年に離婚 )、もう一人はニュ−ヨ−クで出会ったイギ リス系アメリカ人の船舶仲買人、ア−ネスト ・シンプソンだ。
「金持ちで、いい男を見つけて結婚するのが 夢なの」
 三十二歳で、ウォリスは花も実もあるまさ に社交界の花形スターになっていた。
「いまがとっても幸せ」
 そのウォリスの人生を大きく狂わせる出来 事が起きた。
 一九三〇年、レスタ−シアで開かれたある 貴族主催のパ−ティに出席した。
 三十四歳のウォリスは夫ア−ネストととも に現れ、三十六歳のウェ−ルズ皇太子は既婚 の愛人、セルマ・ファ−ネスを同伴していた。  ウォリスはそのときの皇太子のことをこう 回想している。
「風で少しだけ乱れた髪と上向きの鼻、平静 を装いながらも憂いをたたえていました」 「お目にかかれて嬉しうございます、デイヴ ィッド」
 ウォリスはものおじせず、アメリカ式にや ったものだから皇太子は度胆を抜かれてしま った。
 皇太子には多くの趣味があった。刺繍、キ ツネ狩り、乗馬、バグパイプの演奏、ゴルフ、 庭の手入れ。
 女性関係も派手だったが、マザコン気味で、 母性愛を強く求めた。そして自分のものにな らない既婚女性との交際。
 ウォリスは二歳年下の三十四歳だが、落ち 着いた態度や話し方は彼女のほうが数段上だ。 母の愛に飢えていた皇太子は彼女に「母性」 を強く感じたのである。
 それからの二年間、皇太子はシンプソン夫 妻を何度もロンドン郊外のある田舎の別荘、 フォ−トヴェルヴェルディアでももてなした。 まもなくア−ネストそっちのけでウォリスだ けちやほやするようになった。
「ヨットが何艘も現れ、最高級のスイ−トの ドアが開く、自家用飛行機のお迎えがくる。 私は不思議の国のウォリスでした」
 皇太子には、性的な欠陥があり、それをウ ォリスが克服させた。
「王族の愛人になることで、私は充分に満足 なのです。結婚するつもりなどありませんで した」
 一九三六年一月、父ジョージ五世が逝去す ると、皇太子は即位してエドワード八世とな る。
 その年の十月二十七日、ウォリスの離婚が 認められた。理由はなんと夫の不貞だった。 (バタ−カップ・ケネディなる女性)。
 裁判が終わると、彼女は国王さしまわしの 車に乗ってさっと姿を消した。国王が圧力を 加えたらしいと憶測する者が多かった。
「シンプソン夫人をすみやかに外遊させてい ただくよう切に希望いたします」
 勇気ある侍従長は、国王に進言したが、エ ドワ−ドは拒否した。
「私がどこに行っても、エドワードは、どこ までも追いかけてくるに決まっているから、 そうしたらスキャンダルが大きくなるので、 私は逃げないでロンドンにいるわ」
 国王がどうしても結婚したいと主張してい たのに、ウォリスはむしろ淡々とした調子だ った。
「エドワードと結婚できなければしょうがな いわ」
 政府を代表してボールドウィン首相は国王 の説得にあたったが、失敗に終わった。
 一九三六年十二月十一日、彼はラジオを通 じて、国民に別れのメッセ−ジを送った。
「愛する女性の助けと支えなしには、国王と しての重い責任を遂行し、任務を果たすのは 不可能である」
 退位しても結婚する。ウォリスは最高の女 性だから彼女なしには生きてはいけない、と 国王が語ったのである。
「後ろで、はね橋があがっていく。あなたを 何もないところへ連れてきてしまった」
 とウォリスは言った。
 イギリスの大衆紙は日を追ってウォリスに 対する攻撃を強めた。
「アメリカの売春婦をやっつけろ!」と書い たタブロイド紙まであった。さすがのウォリ スも神経質になり、騒ぎを逃れてカンヌの別 荘に避難した。
 その二日後の十二月五日、エドワードは退 位宣言をして、ウィンザー公と名乗ることに なる。このとき、シンプソン夫人を王族とし て待遇するようなはからいはとられていなか った。王室は、すぐに二人は別れるからその 必要はないと考えていたのである。
 その後、イギリスを去って二人はフランス のトウラ−ズに移った。
 婚約指輪は、かつてムガ−ル皇帝が所有し ていた世界最大のエメラルドを半分にした片 方だった。
「いまや我ら(WE)は我らのもの。二七X 三六」と刻まれていた。 二七X三六は婚約 の日付、一九三六年一〇月二七日。WEは二 二人のファ−スト・ネ−ムの頭文字。
 一九三七年六月三日、二人はロワ−ル谷の 貸別荘で結婚式をあげた。出席者は十六人だ った。
 彼女の出で立ちは青いシンプル・ドレスに 同色の帽子。それはのちにウォリス・ブルー と呼ばれて流行した。
 新婚旅行に夫妻はドイツ各地をまわり、ヒ トラーやゲーリングなどに歓迎されている。  ウォリスは作家のゴア・ヴィダルにこう語 ている。
「朝、目が覚めると、夫がベッドのそばに立 っていて、言いました。『さあ、これからど うしようか?』」
 蜜月旅行を終ると、一九三九年からはボア 近くに宏大な邸宅を構えた。ウォリスは邸宅 の改造や室内装飾をするのが好きで、大いに 才能を発揮した。これが彼女の最大の特技だ ともいう。暇をもてあました夫はせっせと妻 の助手をつとめる幸福な日々を送っていた。  エドワ−ドはウォリスのすべての命令に従 っていた。
「デイヴィッド、靴下をひっぱって」
「いいとも」
 とエドワ−ドは女王様に従順だった。
 一九五二年、ジョージ六世が死去すると、 長女のエリザベスが二十五歳で即位した。現 在のエリザベス女王である。
 晩年にさしかかったころ、二人の仲はすっ かり冷めていた。
「これといったロマンスのない人生がどんな ものかあなたにはわからないでしょう」とウ ォリスは友人に語ったことがある。
 長い歳月が流れ、一九七二年五月二十八日 にエドワードは亡くなった。柩は空輸されて ウォリスは初めて大公妃としてヴァッキンガ ンム宮殿に滞在した。追悼式を宮殿二階の寝 室のカーテンを半分あけて窓から眺めた。
 その六月三日は夫妻の結婚記念日で、ウォ リスは「三十五年よ、三十五年よ」とつぶや いた。
 葬儀が終わると、ウォリスは見送る人たち を一度も振り返ることなく、イギリスを去っ た。
 それから十四年後の一九八六年四月二十 四日、フランス郊外、ブローニュの森の自宅 で老衰のため死去。九十歳だった。
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