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バ−バラ・ハットン Barbara Hatton(億万長者
)
1912.11.14−−1979.5.11
欲望 desire
フランク・ウィルフィ−ルド・ウ−ルワ−
スは全米に知られた五&十セント・ストア」
の創設者で、孫娘バ−バラ・ハットンの遺産
は、およそ四千万から五千万ドルの間といわ
れた。
一九三〇年には、四百万人が失業し、農地
の四十%が抵当に入れられるほどの大不況だ
った。その年の十二月、バ−バラ・ハットン
の社交界デビュ−で全米のタブロイド紙はい
ろめき立っていた。ひと月前には、十八回目
の盛大なパ−ティが開かれたばかりだった。
彼女は巨額の財産を相続した。
『ニュ−ヨ−ク・サン』紙は、「豪華客船タ
イタニック号のデッキさえ、バ−バラ・ハッ
トンのデビュ−を祝うリッツ・ホテルのフラ
ンス窓に比べたら、輝きを失ってしまったこ
とだろう」と書いた。
バ−バラはフランクリン・ロ−ズ・ハット
ンの一人娘で、母はフランク・ウィンフィ−
ルド・ウ−ルワ−スの三人娘の一人、エドナ
・ウ−ルワ−スである。ニュ−ヨ−クのロン
グアイランドにある祖父の家で育てられたが、
部屋の数が六十、ガレ−ジだけでも十八もあ
り、豪邸内で迷うこともあった。
「あのパ−ティひとつで、飢えた南部の農民
を救える」といわれたほどだ。
ロ−ルスロイスに乗って、五番街の邸宅に
戻る間、バ−バラの頭からは、路上で見た貧
しい人びとの顔が離れなかった。
「悲しそうな人たち」
バ−バラはため息をつくと、悲しげに冬の
通りを見つめた。
「考えないことだ」
父のフランクは冷たく言い放った。
「なぜなの?」
「住む世界が違うの」
義母のイレ−ヌの言葉が彼女には辛かった。
バ−バラは五歳のときに実母を亡くしている。
母のエドナはイェ−ル大学のエリ−トで株
式仲買人のフランク・ハットンと結婚した。
大金持ちの娘で、社交界嫌いな内気なエドナ
は、夫のフランクリンの浮気に傷つき自殺し
てしまう。五歳になるバ−バラが最初の発見
者だった。まだ、三十三歳の若さの母親は、
自分のからだをアイリスの花で飾って死んで
いた。
エドナの死から二年後に、フランク・ウ−
ルワ−スが六十七歳で亡くなった。そして巨
額な遺産の一部が、孫娘のバ−バラ・ハット
ンに入ることになった。
七歳のバ−バラは世界で、もっともお金持
ちの少女になった。しかも、父親は株式仲買
人だったので、お金儲けがうまかった。
母のいなくなった「プア・リトル・リッチ
・ガ−ル」は、親類の家や私立の寄宿学校を
転々とした。そのたびに、バ−バラは苛めら
れた。
「普通は、お金があると幸せになるのに、私
の場合は不幸になる」とバ−バラは自嘲して
言った。
バ−バラは、路上にいる人と同じように少
しも幸せではなかった。
「なぜ私はこんなにひとりぼっちなのしら?」
絹とレ−スの枕に顔を埋めて彼女は思った。
「他の女の子たちには、愛情と家庭があると
いうのに、私にはどうしてないの?」
彼女は声をあげて泣いた。
バ−バラ・ハットンは、生涯に七回の結婚
と離婚を繰り返した。
「私の夫になった人たちが、私のお金のこと
しか頭になかったとは言わないけれど、たし
かにお金は魅力だったでしょうね」
七人の相手のうち、彼女のお金を相手にし
なかったのは、俳優のケイリ−・グラントだ
けだった。あとは、「フォ−チュン・ハンタ
−」で、最初から彼女と離婚するときの慰謝
料を計算に入れて結婚したジゴロのような男
もいたのである。
一九四二年七月八日、バ−バラとケイリ−
は当時駆け落ちの場所として人気のあったア
ラウヘッド湖で結婚した。バ−バラは美しさ
の絶頂にあった。花婿はハリウッドでもっと
も魅力的なケイリ−・グラント。
「私はケイリ−を一番愛していました。とて
も優しくて、穏やかで、うまくはいかなかっ
たけれども、愛していました」
結婚当初はうまくいっていた。彼女は自己
破壊的な習慣をやめようとつとめ、イメ−ジ
を変えようとした。
救急車を二十四台寄付したり、自ら出向い
て、看護婦助手をするなどボランティア活動
にも参加した。
前夫、カ−ト伯爵との一人息子ランスが気
立てがいいのが嬉しくて、子どもたちのパ−
ティの世話もよくしたものだった(ランス・
レヴェントロウは一九七二年、三十七歳のと
き、飛行機事故で死亡。彼は女優のジル・セ
ント・ジョンと結婚・離婚した)。
夫のケイリ−にソックスを編んだりもした。
ヨ−ロッパのプレ−ガ−ル時代のパ−ティ仲
間からは遠ざかるようになった。ケイリ−は
彼らの浮ついた雰囲気が好きになれなかった
からだ。この結婚でバ−バラは、変わろうと
努力した。
しかし、ハリウッドはバ−バラにとってあ
まりにも手強い場所だった。
「私の居場所はありませんでした。仲間外れ
のようなもの。ケイリ−と一緒になって、計
り知れない慰めと心の支えをいっときは得ら
れたけれど。彼への想いが長く続くことを祈
ったわ」
一九四三年の中ごろには、バ−バラは昔の
習慣に戻ってしまう。彼女は酒にやすらぎを
求めるようになった。午後の五時になると胸
のなかに広がってくる失意をかき消すように
ジンのカクテルを何杯かあおった。
一九四四年の初めには、バ−バラはすべて
に興味を失い、ほとんどの時間をベッドで過
ごすようになった。激しい胃けいれんに見舞
われ、痛みで夜中に目を覚まし、酒を飲まず
にはいられなかった。
「私、とっても彼の子がほしかったの」
三度とも流産だった。
友人がバ−バラの刺激になるように、フラ
ンク・シナトラを勧めたが、シナトラはまっ
たく彼女のタイプではなかった。
グラント夫妻は、関係を修復することがで
きなかった。友人、ライフスタイルがあまり
にも、掛け離れていたのだ。バ−バラはお金
で手に入れた男とは幸せではあったが、一年
で五十万ドルを稼ぐ、魅力ある男を自分のも
のにすることはできなかった。
一九四五年八月三十日、バ−バラとケイリ
−は離婚した。ケイリ−だけが、慰謝料を一
銭も受け取らなかったただ一人の夫だった。
バ−バラは二十歳で結婚したころは、ふっ
くらとした少女だった。体重は百四十八ポン
ド(六十六キロ)あった。
ハネム−ンのときに、新夫のなにげない一
言が彼女を傷つけた。
「バ−バラ、きみは太りすぎだよ」
それいらい、バ−バラは過激なダイエット
を始めたのである。すこしでも痩せようと、
バ−バラは一日、ブラック・コ−ヒ−を三杯
しかとらなかったという。そのせいで、二週
間で四十ポンドもやせることができた。体重
は、八十ポンド(約三十六キロ)を切ってし
まい、自分の力で、動くこともできなくなっ
た。いつもボディガ−ドに抱えられて移動し
なければならなかった。
しかし、バ−バラは言う。
「痩せれば痩せるほど、性欲は増した」
「アメリカ人の男は私を理解してくれない。
ヨ−ロッパの男の人のほうが、経験豊かで私
のことをわかってくれる」
四十代半ばに、バ−バラは若き日のジェ−
ムス・ディ−ンとベッドをともにしている。
五十歳になってからは、三十歳も年下のイギ
リスの若者を愛人にした。
六十歳になってからも、二十代のスペイン
の闘牛士と恋を経験した。痩せすぎて、まる
でガイコツのようになってしまったバ−バラ
は、それでも男漁りを止めなかった。カリフ
ォルニアの海岸で、ビ−チボ−イを買っては
ホテルに連れこんだこともある。
ありあまるお金をどう使っていいかわから
ず、酒に溺れて、命を縮めた。
「私は立派ですてきな男の人を見ることしか
できないのに、その人は反対の方向に走って
いってしまう」
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