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タルラ・バンクヘッド Tallulah Bankhead
1902.1.31−−1968.12.12
率直 candid
「私には、二つの家がある」とタルラは語っ
ていた。一つは本当の家と、もう一つはスキ
ャンダラス誌。
タルラのニックネ−ムは、モンスタ−(怪
物)とか、デビル(悪魔)で、およそ女優ら
しからぬものだ。
「父は男と酒には注意しろと言ってくれたけ
ど、女とコカインのことは何も言ってくれな
かったわ」
タルラは女優としてだけでなく、毒舌や酒
やドラッグで派手な話題を提供した。
一九〇二年一月、タルラ・バンクヘッドは
アラバマ州ハンツヴィルに生まれる。父は国
会議員で、裕福な家庭だった。いわゆる「サ
ザンベル」(南部の令嬢)である。
五歳のとき、タルラは『フォトプレイ』誌
主催のコンテストで一位になった。名前を記
入し忘れたため、”謎の少女”としてエント
リ−された。懸賞はハリウッド旅行だった。
「日記をつけるなんて良い子のすることよ。
不良の子にそんな暇はないわ」
彼女は癇癪を起こしてたびたび学校を変え
た。気性が激しく、自分を生かす道は、演劇
しかないと考えた。
『スクワッシュ・ファ−ム』でデビュ−。『
39イ−スト』で成功し、映画界に進出する
ことになった。
舞台出演も続ける一方で、パラマウント映
画に招かれる。
「アメリカ版ディ−トリッヒ」として売り出
された。舞台での役そのままに、都会的セン
スのあるグラマ−・ガ−ルを演じたが、不発
に終わった。
パラマウントを離れて、MGMで『フェイ
スレス』を撮ったが、映画出演に懐疑的とな
って舞台に戻った。
一九四四年に、アルフレッド・ヒッチコッ
クに嘱望されて、『ライフボ−ト』に出演し
た。この作品で、ニュ−ヨ−ク映画批評家賞
の女優賞を受ける。
ビリ−・ホリデイのファンだった。二人は
姉妹のようだった(一九四六年に知りあった)
一九四〇年代後半は、ラジオのショ−番組
『ビッグ・ショ−』の司会者として人気を得
た。
自伝『タルラ』を出版、暴露的な内容のた
めに訴訟沙汰になった。秘書が脅迫罪で、起
訴された。
ハマ−・フィルムの『ファナティック』に
殺人鬼の役で、登場した。
出演の感想を聞かれたタルラはこう答えて
いる。
「シャ−リ−・テンプルにはしゃをかけて撮
るくせに、私にはリノリュ−ムをかけて撮っ
た」と毒づいたのである。
ラジオでの活躍のわりに映画では恵まれな
かったが、才気と個性で名を残している。
タルラは酒とコカインに溺れ、常軌を逸し
た行動が目立った。
「コカインは癖になるわね」
あるとき、タルラはパ−ティに参加した。
元水泳選手のワイズ・ミュ−ラ−に「一緒に
プ−ルに飛びこまない?」と誘った。ミュ−
ラ−は躊躇っていたが、タルラはドレスのま
まプ−ルに飛びこんだのだった。いつも、タ
ルラは、突飛な行動で世間を驚かせた。
それでいて、タルラはあまり人に嫌われる
ことがなかった。それは、彼女がウソをつか
ずに、率直に自分の意見を言ったからだ。
タルラはタバコを吸っているか、あるいは
酒を飲んでいるか、人の噂をしているかのど
ちらかだった。
タルラはトル−マン大統領にも気に入られ
た。あるとき、大統領から電話が入った。
すると、タルラは「いまテレビを観ている
から後にしてちょうだい」と言った。彼女は
メロドラマが大好きだった。
(トル−マン大統領は、一九五二年に出版さ
れたタルラ・バンクヘッドの自伝は、ホワイ
トハウス入りしてから読んだ本のなかで、一
番面白いと言っている)
タルラは相手によって区別するようなこと
はなかった。大統領府に招かれることになっ
たときのこと。彼女の黒人の使用人に招待状
が届かなかった。
「一緒でなければ招待状は受けません」
と言って、タルラは自分の主張を通させた
のである。
また、タルラは動物好きで、とりわけライ
オンが好きだった。自分の尊敬するイギリス
の宰相ウィンストン・チャ−チルの名前にあ
やかって「ウィンストン」と呼んでいた。
ある劇場公演で、なんどもカ−テンコ−ル
を受けた。あまりにも、コ−ルを受けるので、
面倒臭くなった彼女は、ウィンストンを連れ
て、ステ−ジに出た。すると、それがまた受
けてしまったのである。
ウィンストン・チャ−チルは、『堕ちた天
使』の彼女の舞台を五度も観ている。
アラビアのロレンスとして知られるT・E
ロレンスもタルラのファンであった。
タルラの当たり役は、リリアン・ヘルマン
の『小狐たち』の悪女、レジ−ナである。
夫を殺してまでも、自分の野望を遂げよう
とする南部育ちの女優の役である。
この激しい生き方が、タルラの生き方と重
なって好評を博した。
個性的な女優なら、一度は演じてみたいと
思うヒロインで、のちにウイリアム・ワイラ
−監督の『偽りの花園』で、ベティ・デ−ヴ
ィスが「どうしても演じてみたい」と言った。
また、エリザベス・テ−ラ−がブロ−ドウ
ェイで演じている。
タルラは、この役を、ブロ−ドウェイで実
に一九三九年一月の初舞台以来、四十八回演
じている。
タルラは私生活では、一度だけ結婚してい
る。イギリスの俳優、ジョン・エメリ−であ
る。タルラが三十二歳で、エメリ−は三つ年
下であった。
しかし、結婚しても、タルラは自分の生き
方を貫いた。
三年後に、二人は離婚した。
以後、タルラは独身で、ニュ−ヨ−クの豪
華なマンションで生涯暮らした。
一九六八年十二月十二日に、ニュ−ヨ−ク
で肺炎のために死去した。
「もっと、バ−ボンをもってきてちょうだい
」とメイドに言ったのが最期の言葉だった。
『ニュ−ヨ−ク・タイムズ』はこう書いた。
「みなぎるエネルギ−、官能的な声、激情に
ほとばしり出る言葉。威勢の良さは、特異な
現象で、ときにはジャ−ナリストよりも物理
学者の研究対象にふさわしいものだった」
小説家のア−ノルド・ベネットはこう書い
ている。
「タルラはどんなにくだらない子ども騙しの
の芝居にも、彼女独特の電流を通わせること
で、一貫したリアリズムを作りあげた」
「タルラが一日いないと、一月のように感じ
られる」(詩人ハワ−ド・ディ−ツ)
「タルラは優雅な娼婦だ」(『欲望という名
の電車』の劇作家テネシ−・ウィリアムズ)
タルラは、大勢のプロデユ−サ−ともめご
とを起こしたが、有名なのは、『クラシュ・
バイ・ナイト』(マリリン・モンロ−も出演
している『夜の疼き』)リハ−サル中のビリ
−・ロ−ズとのこんなやりとりだ。タルラは
ビリ−のことを「いばりちらしてイヤな奴」
と言った。
これを受けて、「どうしたらナイアガラ瀑
布を鎮められるんだい?」と切り返したとい
う。
「いろいろなセックスを試してみた。ありき
たりのやり方は密室に閉じこめられているみ
たいでイヤ。それ以外のものも肩が凝ったり、
顎が開かなくなるからイヤ」
タルラは、エロティックな経験を経てもな
お「私は雪のように純潔なのよ」と言ってい
た。
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