究極のマリリン・モンロー A-Z(メルマガ)
週に1度、マリリン・モンローの情報をお届けします。
メールマガジンの申し込みは、こちらです(melma!)
「妻は生きている」
究極のマリリン・
モンローA-Z
愛に生きる伝説の
女たち
聖林百話
新ボストンに友情あり
マリリンの素顔
元祖・雑学の悦楽
(Significa) NEW

メルマガ登録 NEW
最新情報
PROFILE(プロフィール)
ご意見・ご感想
リンク集
smile@ainoue.com
TOPに戻る
web KADOKAWA

連載中

モバイル版はこちら
 タルラ・バンクヘッド Tallulah Bankhead
1902.1.31−−1968.12.12

率直 candid

「私には、二つの家がある」とタルラは語っ ていた。一つは本当の家と、もう一つはスキ ャンダラス誌。
 タルラのニックネ−ムは、モンスタ−(怪 物)とか、デビル(悪魔)で、およそ女優ら しからぬものだ。
「父は男と酒には注意しろと言ってくれたけ ど、女とコカインのことは何も言ってくれな かったわ」
 タルラは女優としてだけでなく、毒舌や酒 やドラッグで派手な話題を提供した。
 一九〇二年一月、タルラ・バンクヘッドは アラバマ州ハンツヴィルに生まれる。父は国 会議員で、裕福な家庭だった。いわゆる「サ ザンベル」(南部の令嬢)である。
 五歳のとき、タルラは『フォトプレイ』誌 主催のコンテストで一位になった。名前を記 入し忘れたため、”謎の少女”としてエント リ−された。懸賞はハリウッド旅行だった。
「日記をつけるなんて良い子のすることよ。 不良の子にそんな暇はないわ」
 彼女は癇癪を起こしてたびたび学校を変え た。気性が激しく、自分を生かす道は、演劇 しかないと考えた。
『スクワッシュ・ファ−ム』でデビュ−。『 39イ−スト』で成功し、映画界に進出する ことになった。
 舞台出演も続ける一方で、パラマウント映 画に招かれる。
「アメリカ版ディ−トリッヒ」として売り出 された。舞台での役そのままに、都会的セン スのあるグラマ−・ガ−ルを演じたが、不発 に終わった。
 パラマウントを離れて、MGMで『フェイ スレス』を撮ったが、映画出演に懐疑的とな って舞台に戻った。
 一九四四年に、アルフレッド・ヒッチコッ クに嘱望されて、『ライフボ−ト』に出演し た。この作品で、ニュ−ヨ−ク映画批評家賞 の女優賞を受ける。
 ビリ−・ホリデイのファンだった。二人は 姉妹のようだった(一九四六年に知りあった)  一九四〇年代後半は、ラジオのショ−番組 『ビッグ・ショ−』の司会者として人気を得 た。
 自伝『タルラ』を出版、暴露的な内容のた めに訴訟沙汰になった。秘書が脅迫罪で、起 訴された。
 ハマ−・フィルムの『ファナティック』に 殺人鬼の役で、登場した。
 出演の感想を聞かれたタルラはこう答えて いる。
「シャ−リ−・テンプルにはしゃをかけて撮 るくせに、私にはリノリュ−ムをかけて撮っ た」と毒づいたのである。
 ラジオでの活躍のわりに映画では恵まれな かったが、才気と個性で名を残している。
 タルラは酒とコカインに溺れ、常軌を逸し た行動が目立った。
「コカインは癖になるわね」
 あるとき、タルラはパ−ティに参加した。 元水泳選手のワイズ・ミュ−ラ−に「一緒に プ−ルに飛びこまない?」と誘った。ミュ− ラ−は躊躇っていたが、タルラはドレスのま まプ−ルに飛びこんだのだった。いつも、タ ルラは、突飛な行動で世間を驚かせた。
 それでいて、タルラはあまり人に嫌われる ことがなかった。それは、彼女がウソをつか ずに、率直に自分の意見を言ったからだ。
 タルラはタバコを吸っているか、あるいは 酒を飲んでいるか、人の噂をしているかのど ちらかだった。
 タルラはトル−マン大統領にも気に入られ た。あるとき、大統領から電話が入った。
 すると、タルラは「いまテレビを観ている から後にしてちょうだい」と言った。彼女は メロドラマが大好きだった。
(トル−マン大統領は、一九五二年に出版さ れたタルラ・バンクヘッドの自伝は、ホワイ トハウス入りしてから読んだ本のなかで、一 番面白いと言っている)
 タルラは相手によって区別するようなこと はなかった。大統領府に招かれることになっ たときのこと。彼女の黒人の使用人に招待状 が届かなかった。
「一緒でなければ招待状は受けません」
 と言って、タルラは自分の主張を通させた のである。
 また、タルラは動物好きで、とりわけライ オンが好きだった。自分の尊敬するイギリス の宰相ウィンストン・チャ−チルの名前にあ やかって「ウィンストン」と呼んでいた。
 ある劇場公演で、なんどもカ−テンコ−ル を受けた。あまりにも、コ−ルを受けるので、 面倒臭くなった彼女は、ウィンストンを連れ て、ステ−ジに出た。すると、それがまた受 けてしまったのである。
 ウィンストン・チャ−チルは、『堕ちた天 使』の彼女の舞台を五度も観ている。
 アラビアのロレンスとして知られるT・E ロレンスもタルラのファンであった。
 タルラの当たり役は、リリアン・ヘルマン の『小狐たち』の悪女、レジ−ナである。
 夫を殺してまでも、自分の野望を遂げよう とする南部育ちの女優の役である。
 この激しい生き方が、タルラの生き方と重 なって好評を博した。
 個性的な女優なら、一度は演じてみたいと 思うヒロインで、のちにウイリアム・ワイラ −監督の『偽りの花園』で、ベティ・デ−ヴ ィスが「どうしても演じてみたい」と言った。  また、エリザベス・テ−ラ−がブロ−ドウ ェイで演じている。
 タルラは、この役を、ブロ−ドウェイで実 に一九三九年一月の初舞台以来、四十八回演 じている。
 タルラは私生活では、一度だけ結婚してい る。イギリスの俳優、ジョン・エメリ−であ る。タルラが三十二歳で、エメリ−は三つ年 下であった。
 しかし、結婚しても、タルラは自分の生き 方を貫いた。
 三年後に、二人は離婚した。
 以後、タルラは独身で、ニュ−ヨ−クの豪 華なマンションで生涯暮らした。
 一九六八年十二月十二日に、ニュ−ヨ−ク で肺炎のために死去した。
「もっと、バ−ボンをもってきてちょうだい 」とメイドに言ったのが最期の言葉だった。 『ニュ−ヨ−ク・タイムズ』はこう書いた。 「みなぎるエネルギ−、官能的な声、激情に ほとばしり出る言葉。威勢の良さは、特異な 現象で、ときにはジャ−ナリストよりも物理 学者の研究対象にふさわしいものだった」
 小説家のア−ノルド・ベネットはこう書い ている。
「タルラはどんなにくだらない子ども騙しの の芝居にも、彼女独特の電流を通わせること で、一貫したリアリズムを作りあげた」
「タルラが一日いないと、一月のように感じ られる」(詩人ハワ−ド・ディ−ツ)
「タルラは優雅な娼婦だ」(『欲望という名 の電車』の劇作家テネシ−・ウィリアムズ)  タルラは、大勢のプロデユ−サ−ともめご とを起こしたが、有名なのは、『クラシュ・ バイ・ナイト』(マリリン・モンロ−も出演 している『夜の疼き』)リハ−サル中のビリ −・ロ−ズとのこんなやりとりだ。タルラは ビリ−のことを「いばりちらしてイヤな奴」 と言った。
 これを受けて、「どうしたらナイアガラ瀑 布を鎮められるんだい?」と切り返したとい う。
「いろいろなセックスを試してみた。ありき たりのやり方は密室に閉じこめられているみ たいでイヤ。それ以外のものも肩が凝ったり、 顎が開かなくなるからイヤ」
 タルラは、エロティックな経験を経てもな お「私は雪のように純潔なのよ」と言ってい た。
このサイトはIE4.0以降のブラウザでご覧ください
Copyright (C)Atsuo Inoue 1998-2004 無断転載禁ず
このページはリンク設定自由ですが、
リンクを設定した旨を電子メールにてお伝えください。
書籍を購入される方は、
書籍名で検索してください→


This site powered by H.ozaki