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パトリシア・ハ−スト(銀行強盗) Patricia Hearst
1955−−

豚 pig

 一九七四年二月四日の夜、サンフランシス コ・バ−クレ−にある高級アパートに三人組 の男女が押し入った。
 部屋には若いカップルがいた。押し入った SLA(シンバイオニーズ解放軍)と名乗る 過激派は、青いバスローブ一枚を着ただけの 女性を連れ去った。
 SLAは「これは腐敗した支配階級への戦 争宣言だ」と犯行声明を出し、拉致した女性 の両親に身の代金を要求した。
 誘拐された女性パトリシア・ハーストは新 聞、雑誌、ラジオ、テレビなど広範なメディ アを傘下に収めるアメリカを代表する有名な ハ−スト家の出身。パトリシアの祖父、ラン ドルフ・ハーストはハースト財閥の創始者で 新聞王として知られ、映画『市民ケーン』の のモデルにもなった立志伝中の人物なのだ。  両親は犯行一味からの要求額、二百万ドル (当時、約六億円)を承諾したが、交渉は決 裂。
 さらに二カ月後、アメリカ中を震撼させる 事件が起きた。SLAはサンフランシスコ郊 外の銀行を襲ったが、その防犯カメラにマシ ンガンを構えたパトリシアの姿が映っていた からだ。
 その前に放送局に、「私はタニア・ハース トであり、いまはSLAの兵士です」という ヴィデオテープを送りつけてきていた。
 誘拐事件の被害者から、パトリシアは一変 して銀行強盗犯になったのである。
 一味のメンバー、ウィリアム・ウォルフが 警官に殺されると、彼女は電波で愛の告白を した。
「私はあの人を愛していた。同志は貧しい人 びとの味方だった。私も彼のように死を恐れ ずに、最後まで闘うつもりよ」
 しかし、誘拐されてから約一年と七カ月後 に、パトリシアはSLAの残党とともに逮捕 された。
 一九七五年九月に、パトリシアが逮捕され たとき、母のキャサリンはロサンゼルスでカ リフォルニア大学の理事会に出席していた。 この大学は保守派の牙城で、いつも反対派の 攻撃の対象になっていた。父のランドルフは 娘が逮捕された日は、ハ−スト・コ−ポレ− ションの仕事で、ニュ−ヨ−クに滞在してい たが、急遽予定を変更して戻ってきた。
 ハ−スト夫妻は、サンフランシスコで落ち 合って、サンマテオ郡刑務所に収監された娘 と一年七カ月ぶりで対面した。
 逮捕までの捜査が長引いたが、FBIは理 由をこうあげている。
 第一に、行方不明の家族は、家族や知人に 連絡をとるものだが、ハ−スト家はしなかっ た。
 サンフランシスコの南、ヒルズボロ−にあ るハ−スト邸には、捜査陣がテントを張って 監視したほどだったが、犯行側が家族に接触 する気配がまったくなかった。
 さらに、SLAと名乗るテロリストグル− プが、ほとんど誰も知らない組織だったので ある。
 FBIはほとんどどの組織も把握している が、このSLAに対しては、なんら情報が掴 めないでいた。
 SLA(シンバイオニ−ズ解放軍)のシン バイオニ−ズとは、異なった種類の生物が存 在するというシンバイオシスという言葉から 由来している。この組織を率いたのは、シン キュ−(本名ドナルド・デフリ−ズ)という 黒人の革命家だ。
 パトリシアを誘拐したときの活動メンバ− は、黒人一人、白人七人(男三人、女五人) である。組織の統帥のシンキュ−は、刑務所 のなかで若いときから暮らしていたが、脱獄 して組織を作ったのだった。
 一人ひとりが英語には見当たらない名前を 口にした。パトリシアも、SLAに加入して、 タニアと名乗った。これはチェ・ゲバラとと もにボリビア内戦を戦って殺されたドイツと アルゼンチンの混血女性、タニア・ブルケの 名を取ったのだった。
 パトリシアを誘拐したSLAは、初め教育 長殺害事件で逮捕された同志との「捕虜交換 」を解放の条件に出していた。
 ところがすぐに、SLAは戦術を変更した のだった。パトリシアの父親に対して、カリ フォルニア中の貧民に四億ドルにのぼる食糧 を無料で提供するように要求したのだ。  パトリシアも作戦を変更した。逮捕されて から、一週間すると、職業を「都市ゲリラ」 から「無職」に訂正している。逮捕されたと きは、汚れたゴム草履に、濃い茶のコットン ・パンツ、縞の長袖ジャ−ジ−で、ブラジャ −もつけていなかった。
 銀行強盗事件の裁判が始まって、翌年の七 六年二月に、法廷に現れたときには、薄いグ レイのパンツ・ス−ツに、ピ−チ・カラ−の ブラウスになっていた。
 裁判では豹変して彼女は無実を訴えたので ある。弁護団はパトリシアは「洗脳」された のであって、すべての責任はSLAにあると 弁護団は主張したのだった。したがって、犯 罪行為の責任を負う必要はないと主張した。 「脅迫され、暴力で犯されたために犯行をし た。ウォルフなど愛してはいなかった」
 このパトリシアの主張は通らなかった。
 パトリシアが、その男のペンダントを肌身 離さずにもっていたことが決め手になった。 懲役七年の有罪判決が下された。
 裁判後、パトリシアは百五十万ドルという 巨額の保釈金と大統領恩赦で自由の身となっ た。
 これはハ−スト帝国の力を見せつけたもの だった。
 カ−タ−大統領はこうコメントした。 「大統領府に寄せられた国民からの九十%は パトリシアに同情的である。彼女は事実上、 罰せられた」
 強盗への関与は、SLAによる誘拐が原因 だったことをあげている。
 だが、この事件によって支払った家族の代 償はあまりにも大きかった。
 両親は離婚した。母は心労のためにアル中 になったが、直接には父が他に愛人を作った のが原因とされる。
 パトリシアは、婚約者とは別れ新しい相手 を見つけた。保釈後、アルバイトで彼女の身 辺を警護していたサンフランシスコ市警の警 察官である。二十五歳になると、パトリシア は七歳年上の腕っぷしが強くて頼りがいのあ るこの男と結婚したのだ。
 こうして、連日マスコミを賑わせた誘拐事 件は決着がついた。
 現在、パトリシアはSLAの報復を恐れて はいるが、恵まれた生活を送っている。
「商業主義のブタ野郎」
 とかつてパトリシアが罵ったハースト家の 膨大な資産を受け継いだ。
 いったい、パトリシアの行動はなんだった のか?
 パトリシアはあまりにも多くの人びとを巻 きこんで悲劇を引き起こした。
「私は評判を取り戻そうという気持ちになっ ている。誘拐事件のあと、一生を隠れたまま 送っていると思っているしいけどそうじゃな い」
 事実、彼女はいつくかの映画『クライ・ベ イビ−』(一九九〇年)『シリアル・ママ』 (九四年)に出演している。
 私生活では結婚して、二人の子の母でもあ る。
 一八八二年の自伝では、SLAのメンバ− に『市民ケ−ン』を観に行こうと誘われたが、 どんな要求にも応じる「それだけは嫌だ」と 答えたという。
「あなたたち(ジャ−ナリスト)のせいで、 あたしは刑務所に入ったのよ。左翼のヒロイ ンに祭りあげられて、そんな人間じゃなかっ たのに」
 独善的なところは、少しも変わっていない。
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