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ナタリ−・バ−ネイ(作家) Natalie Barney
1876.10.31−−1972.2.12
the Amazon アマゾン
レスビアンの先駆者、ナタリ−・バ−ネイ
は警句や伝記、詩も遺した作家だが、多くの
美しい才気ある有名な女性たちとの関係と、
六十年以上もの長いあいだ国際文人エリ−ト
の集いの場所であったサロンを主宰したこと
で広く知られている。
ナタリ−はフランスの詩人レミ・ド・グ−
ルモンが『アマゾンへの手紙』の中で彼女を
讃えたことによって、”アマゾン”(男まさ
りの女)の呼び名で呼ばれるようになった。
一八七六年、オハイオ州シンシナティで生
まれたナタリ−は、フランス的なものに憧れ
をもち、子どものころから完璧なフランス語
を話した。生家がバ−ネイ財閥(双方の祖父
が産業界の大立者だった)でもあり、ナタリ
−は早くから外国に留学をした。十一歳で、
フランスの寄宿学校に留学して、そこで彼女
は自分がレスビアンであることを自覚する。
「私の唯一の教科書、それは女たちの容姿で
す」
帰国後の彼女は成人して社交界にデビュ−
を果たし、パリに居を構えるまでの間、ワシ
ントンDCの上流社会によく出入りした。
三十二歳のとき、ナタリ−はヤコブ通り二
十番地の家を買った(二世紀前に、有名な高
級娼婦ニノン・ド・ランクロが、この通りに
住んでいた)。やがて、この家は当時のパリ
でもっとも、有名な文芸サロンになる。
キュウリのサンドイッチとチョコレ−ト・
ケ−キを出すことで知られるサロンの常連に
は、作家のアナト−ル・フランス、ポ−ル・
ヴァレリ−、アンドレ・ジ−ド、ガ−トル−
ド・スタイン、エズラ・パウンドといったそ
うそうたる顔ぶれがいた。あるときはスパイ
だという噂のマタ・ハリが、宝石で飾った白
馬にまたがり、一糸まとわぬ姿で現れたこと
もあった。
ナタリ−はたいへんな読書家でもあった。
一九一九年十一月に開店したシルヴィア・
ビ−チのシャイクスピア・アンド・カンパニ
−書店の貸本予約のナンバ−・ワンはナタリ
−だった。
冷静で、意志堅固、独立心に富んだナタリ
−にとって、人生とはすなわち情事の連続。
入浴時にオナニ−を覚え、早くから官能に目
覚めていた。
いわゆる美人タイプではなかったが、豊か
な長いブロンドの髪と、小さい乳房、刺し通
すような青い眼をもった彼女は、きわめて魅
力的だった。たいていは白色のゆるやかに垂
れる長いガウンを着ていた。
そんな彼女のもとに、熱心にかよって求愛
をした男の数は二、三にとどまらない。しか
し、終生ナタリ−は「男にとっての友人、女
性にとって愛人」だった。
ナタリ−は「女っぽい女」を好み、あると
き、こう語ったことがある。
「どうしてわざわざ敵の味方なんかすること
があるの?」
彼女はいつでもどこでもメイク・ラブした。
野原や小山のなかで、劇場のボックス席で、
あるいは同時に二人の女性を相手にすること
もあったし、つねに癒しがたい征服欲に燃え
ていた。
ナタリ−の性の相手は、夥しい数のゆきず
りの情事を別にしても、四十人を超える。初
めて肉体関係をもったのは、十六歳で、以後
有名な女性との恋愛遍歴が始まるまでに、数
人の愛人がいた。ときに二十二歳、彼女は美
人の誉れ高いリア−ヌ・ド・プ−ジ−を口説
き落とした。
リア−ヌは、当時のもっとも名の売れた娼
婦だった。皇族、貴族を始め、各地の賓客か
らお声がかかり、リア−ヌが旅に出る合間に
二人の女性は熱烈な愛を交わした。
数年後には、リア−ヌはある国の王子と結
婚、そのときからはナタリ−には腰から上の
愛撫だけを許した。
のちに、ナタリ−はリア−ヌとの情事を「
最高にセクシ−な快楽だった」と回想してい
るが、すっかり改心したリア−ヌのほうはナ
タリ−を自分にとっての「最大の罪」と呼ん
だ。
あるとき、リア−ヌの留守中に、ナタリ−
は詩人のルネ・ヴィアンに一目惚れした。ル
ネは病的なまでに死の観念に取り憑かれた女
性だった。
やがて、ナタリ−の不実に耐えられなくな
って、ルネは会わなくなった。するとナタリ
−は白衣に身を包んで、白いサテンの柩に横
たわってルネの家に運ばせるという悪ふざけ
をした。
ルネはそんな大芝居にも動かされず、それ
から二年後に死んだ。死因は衰弱(体重は三
十キロに満たなかった)。こんな出来事のせ
いで、ナタリ−には「妖婦」との評判が立っ
た。
ルネの後にも、ナタリ−はたくさんの女た
ちを愛人にしている。同時に何人もの女がヤ
コブ通り二十番地の彼女の家に滞在するとい
う事態も生じた。問題は「ハ−レムの平和」
をいかに維持するかだった。
ナタリ−とワイルド家(作家のオスカ−・
ワイルド)とは縁が深い。子ども時代にはオ
スカ−・ワイルドの膝に抱かれたこともある。
オスカ−の同性愛の相手アルフレド・ダグラ
ス卿との結婚話がもちあがったこともあるが、
ナタリ−が選んだのは、オスカ−の姪のドリ
−である。
しかし、顔つきも才知もオスカ−・ワイル
ド譲りのドリ−・ワイルドは恋人ナタリ−の
裏切りを知ると、自分の部屋に閉じこもり、
麻薬と酒に浸った。手首を切って、自殺未遂
したこともある。
気分さえよければ、持ち前の機知に富んだ
会話でナタリ−のサロンを活気づけたドリ−
だったが、パリに住むアメリカ人の画家、ロ
メ−ン・ブルックスが嫉妬のあまり、ドリ−
と手を切るようにナタリ−に迫ったため、ド
リ−は追い出された。ナタリ−はロメ−ンの
言うなりになっていたのだ。
ロメ−ンとの関係は、もっとも長く続き、
真剣なものだった。二人はともに四十代に入
ろうとするころに知り合い、あるときは別々
に暮らし、また隣あった家に住むなどしなが
ら、五十年以上も愛人としての関係を続けた。
だが、八十歳を過ぎてもナタリ−の浮気は止
まらなかった。
八十二歳のとき、ナタリ−はジャニ−ヌ・
ラオヴェリ−という五十八歳になる、元ル−
マニア大使夫人を誘惑し、関係をもった。十
一年間、ロメ−ンは我慢したが、ついに感情
を踏みにじられた彼女は、以後二度とナタリ
−に会うことを拒否した。ナタリ−はひどく
傷ついた。
二年後に、ロメ−ンは逝き、さらに二年後
の一九七二年二月十二日には、ナタリ−も後
を追った。
葬儀は、彼女のサロンが開かれていた金曜
日に行われた。
ナタリ−によれば、恋人と一つベッドで寝
ることは、とかく別れの始まりになりがちで
危険だという。
「いかに熱愛しあい、心優しい恋人たちでも
相手の首の下にまわした腕が痺れて痛くなる
のを我慢している者たちは多いはず。いびき
をかきはしなかったかと目覚めて心配する人
もいるだろう」
ナタリ−はこんな質問をされた。
あなたのもっとも愛したものは?
「愛です」
では、他にもいくつか選ばなければならな
いとしたら?
「何度でも愛を選びます」
ナタリ−は愛に生き、最後まで愛に殉じた。
一九七一年十月三十一日、九十五歳の誕生
日。ナタリ−は人生を完成した。
遺書を書き、墓碑銘も用意した。
「われこそ永遠に生きるかの伝説の人物なり」
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