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ドロシ−・パ−カ−(作家) 
Dorothy Parker

1893.8.22−−1967.6.7

毒舌 witty remarks

 カミソリは痛いし、川は息苦しい。
 酸はシミを残すし、薬は痙攣する。
 銃は違法だし、縄は解けやすく、
 ガスは臭い。生きるほうがマシ。

 これはドロシ−・パ−カ−の一番有名な詩 「結論」である。
 ドロシ−・パ−カ−は機知に富んだ言葉を 多く残した。
「この言葉を知っていれば失敗はない。怠惰、 悲しみ、友人、そして敵」
「この四つさえなければどんなに楽だったこ とか。愛、好奇心、そばかす、そして猜疑心」 「恋人をひっかいてみなさい。そうすれば敵 に会える」
「男という生物はめったにメガネをかけた女 をくどこうとはしない」
 大女優キャサリ−ン・ヘプバ−ンの一九三 四年の芝居について、ドロシ−は言った。 「感情の機微を知りつくしている。ただし、 AからBまで」
 ドロシ−・パ−カ−は一八九三年にニュ− ジャ−ジ−で生まれた。ニュ−ヨ−クのロ− マカトリック修道院学校で学んだ。その後、 『ヴォ−グ』や『ヴァニティ・フェア』、『 ニュ−ヨ−カ−』誌上で批評を書き、軽妙な ユ−モアあふれる詩集や『ビッグ・ブロンド』 に代表される短編集を四本発表した。ブロ− ドウェイの舞台と映画の製作にもかかわった。 政治運動にも積極的で、サッコとヴァンゼッ ティを擁護し、フランコ政権には当初から反 対だった。
 しかしドロシ−・パ−カ−の名を不滅のも のにしているのは、あの切れ味の鋭いウィッ トにほかならない。
 一九二六年十月のある日、パリの詩人エイ ダとア−チバルド・マクリ−シュ夫妻のアパ −トでパ−ティがあり、作家のオグデン・ス チュワ−ト夫妻やフィッツジェラルド夫妻は 出席していたが、ドロシ−・パ−カ−はいな かった。ヘミングウェイはグラスをあげて乾 杯した。
「ドロシ−・パ−カ−に乾杯!」
 一瞬、場がしらけ、気づまりな沈黙があっ た。ヘミングウェイは以前、自作の詩を詠ん だ。それは彼のポ−タブル・タイプライタ− を返してくれないドロシ−・パ−カ−のこと を書いたものだった。ヘミングウェイは冗談 のつもりだったが、誰もが悪趣味で下品と感 じた。
もちろん、ヘミングウェイの乾杯と詩の一 件は、ドロシ−を怒らせた。ヘミングウェイ を尊敬した彼女は傷ついた。毒舌家の彼女も 言葉を失ってしまったほどだ。
 あるとき、ドロシ−は夜遅くまで、ジャッ ク&チャ−リ−ズやトニ−ズの店で過ごし、 灰皿を吸殻で一杯にし、酒瓶の栓を抜きなが ら言った。
「本当は都会から抜け出したいの。田舎に住 んで、グリ−ンのシャッタ−のついた白い家 で花や子犬や赤ん坊に囲まれて暮らしたい」  田舎の話は、おもしろくてたまらない。ド ロシ−が田舎で暮らすなんて考えるだけでお かしかったからだ。みんな笑った。彼女はい ったい誰と話すつもりなのか? 牛を相手に ? そんなことをしたら、退屈で頭がおかし くなってしまうだろう。いくら家や花や犬、 それに子どもたちを処理できる能力に欠ける としても、ドロシ−・パ−カ−の右に出るも のはまずいない。
「ドティ(ドロシ−の愛称)はお湯を沸かす こともできない」
 という者もいたくらい日常生活のことにつ いて疎かった。
 あるとき友人として招かれた家で、早く目 を覚ましてしまい、あんまりおなかがすいた ので台所に行った。料理をしたのではなくて、 生のベ−コンを食べてしまった。
 犬を可愛がって飼っていたが、躾けようと もしなかった。
 だから、ドロシ−が田舎の主婦として素朴 な生活に憧れているのだと言ったときは、友 人たちは揶揄した。飲み過ぎで感傷的になっ んじゃないか。
 ドロシ−が妊娠したとき、彼女の生活には 子どもが入りこむ余地などなかった。中絶の ために必要な金と三人の医師の署名入りの申 請書があればよかった。
「中絶は、全財産を一人のろくでなしに託し たいという私の希望に適っている」  ある晩、ブルジョア生活を満喫するアルゴ ンクィンの友人と芝居を観に行くことになっ ていたが、彼女は姿を現さなかった。そのわ けを友人が知ったのは、夜も遅くなってから だった。
 その夜、ドロシ−は部屋に食事をもってき てほしいと電話をかけ、受話器を置いた。ウ ェイタ−が彼女をバスル−ムで発見した。前 夫のエドウィン・パ−カ−のカミソリで手首 を切ったのだった。
 いろんな噂がもちあがった。議論にまでな った。ウェイタ−に助けられることを承知の 上だったという人もいた。
 ある人は、彼女は「瞬間の生き物だ」と形 容した。ある瞬間、彼女はおなかがすいてい た。だから、食べ物を注文した。次の瞬間、 彼女は暗い、重苦しい気分になった。そこで 手首を切ったのだ。ドロシ−の場合、第一の 行動と第二の行動には関連がなく、第二の行 動に没頭しているときには、第一の行動は完 全に忘れられているのだ。
 どちらの意見もいろいろなことが言われた が、共通していたのは自殺を考える人間は助 けを必要としているということだ。彼女はま た、病院に行くことになった。
 退院した彼女は、表向きは「愛すべきドテ ィ」だったが、チェ−ンスモ−カ−の上に飲 酒が増えていった。彼女は人前ではほとんど お酒を飲まなかった。というのも、パ−ティ に顔を出すときには、もうかなりの量が入っ っているからだ。
 パ−カ−は、石鹸と香水をロンドンのサイ クラックスから取り寄せていた。彼女の好き な香りは、チュベロ−ズ(葬儀屋が死臭を消 すのに使う)だった。
 ドロシ−の人生は、大部分が無鉄砲と言え るだろう。マルクス兄弟の映画のように、自 由奔放で、狂気じみた行動が多かった。
 あるとき、ドロシ−は貧民街に出かけて行 き、入れ墨をした。左の二の腕の内側に小さ な星を彫ってもらった。あとで後悔して、隠 すようにずっと長袖を着ていた。
「私が男に望むことは、たったの三つ。いい 男であること。冷酷であること、そして馬鹿 であること」
 ドロシ−は、男たちを惹きつける自分の魅 力よりも、自分の才能を一番大切なものと思 っていた。彼女は自分の才能には絶対的な自 信をもっていた。
「しかし、私はそれを裏切っている。私は飲 んでいて、書いていないの」
 ドロシ−・パ−カ−は、一九一七年、二十 四歳のときに、エドウィン・ポンド・パ−カ −という若いウォ−ル街の株式仲買人と結婚 した。なぜ、結婚したのと聞かれた彼女は「 名前を変えたかったから」と答えている。
彼女の旧姓は、ロスチャイルドである。
 七十三年の生涯でドロシ−が残した作品は 短編集が四冊、詩集が三冊、それにエッセイ 集だけである。
 むしろ、作品よりも、彼女の生き方に関心 が集まった。
 一九二六年に出版された詩集『勝手気まま 』がベストセラ−になり、作家としてという よりも、一挙手一動がニュ−スになった。  ドロシ−の周辺には、アレキサンダ−・オ ルコット、ロバ−ト・ベンチュリ−、ジョ− ジ・アウフマンらの著名な作家たち、『ニュ −ヨ−カ−』の名編集長、ハロルド・ロスた ちが、アルゴンクィン・ホテルの円卓会議に 集まっては文学談義を楽しんだ。
 マンハッタン四十四丁目のこのホテルは、 作家たちが集まるホテルとして有名になった。 「リトル・ネルとマクベス夫人の混血」  とドロシ−・パ−カ−はウィルコットに呼 ばれた。
 この愛くるしい娘は、精神的に不安定なと ころがあり、朝からウィスキ−・サワ−を飲 むほど酒が好きだった。タバコもチェ−ン・ スモ−カ−だった。彼女は酒浸りになってい った。治療をさせようとした友人もいるが、 彼女は聞く耳ををもたなかった。
 原稿は遅くて、いつも締切に遅れた。行方 不明になったこともある。
 金銭感覚に乏しく、何不自由なく育ったは ずなのにほとんどお金を残さなかった。
 晩年、マ−ジョリ−・P・ウエイト賞が彼 女に与えられたが、そのときのスピ−チでは 「長生きしすぎたわ」とだけ短く語った。
 円卓会議の誰よりも長生きして、七十四歳 でこの世を去った。
「死んじゃってごめんなさい」
 パ−カ−の墓碑銘には、そう刻まれている。
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