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アニタ・ル−ス(脚本家)Anita Loos
1893.5.26−−1981.8.18

皮肉 satire

「殿方はいつも金髪しか記憶に残らないらしい」(『紳士は金髪が好き』)
 紳士はブルネットの女と生きるという基本的な事実に感謝することを知らな い、と主張し続けた脚本家アニタ・ル−ス。
 映画界でアニタ・ル−スほどその独創性に見あう評価をされていない人物も いないだろう。サイレント時代、彼女は簡潔な字幕カ−ドで登場人物の人格を 浮き彫りにした。彼女の言葉にはスタ−を作り出すと同時に、体制に向かって いく力が秘められていた。
 リリアン・ギッシュやメアリ−・ピックフォ−ド、ダグラス・フェアバンク スの声なき声となり、またハリウッド映画で使われる台詞のリズムやテンポを 自らの手で作り上げたのだ。
 残されているアニタの写真で、一番幼いときのものは大きく見開かれた賢 そうな目、モップのような茶色いおかっぱ頭のいたずらっ子の彼女である。父 ビアズの自慢の子で、彼は外出するときにはいつもアニタを連れて出た。釣り にもよく連れて出かけた。
「船乗りたちと親しくなりました。釣りをして咽喉が乾くと、居酒屋に行き、 みんながビ−ルのジョッキで盛り上がっているあいだ、私はカウンタ−で固ゆ で卵とピクルスを食べていたのです」とアニタは回想している。
 ある日、父ビアズはアニタと妹のグラディスに女優になりなさいと言った。 劇団でマネ−ジャ−をしている友人が子役を二人探しているからだった。これ はライオンに食われるキリスト教徒の子どもの役で、台詞はなく、ただ哀れに ひたすら泣くだけ。母のミニ−は反対したが、アニタは喜んだ。
 アニタは一九〇七年にサンディエゴ高校を普通より遅れて卒業した。これ は成績が悪かったわけではなくて、学期のいくつかを芝居の巡業で逸したから だ。
 女優は娼婦よりも劣るものと教えられてきた女の子たちとはなじめなかっ た。女優ということで、興味をもった男の子たちも舞台を降りれば、自分た ちの妹のように小さいアニタに失望した。
「生意気なことを言うので、私はいつも仲間はずれでした」  学校もやめてしまったいまはどうしたらいいのか。 母のミニ−は娘にし っかりとした相手と結婚してもらいたかった。父のビアズは女優を続けるもの と思っていた。
 アニタは作家になりたかった。それはずっと前からのことで、サンフランシ スコにいた六歳ころ、子ども雑誌のコンテストに応募して賞をもらったことが ある。それ以来、短編や雑誌で見つけた現代フランス悲劇をもとにした脚本 を何度も書き直していた。
 十六歳で、アニタはメアリ−・ピックフォ−ドの主演作『ニュ−ヨ−ク・ハ ット』(一九一二)を執筆中のD・W・グリフィスのもとで仕事をするように なった。脚本家(当時はほとんどが女性)の一人となった彼女は、週十五ドル でスト−リ−の原案を書いていたが、その多くはコミカルなものだった。
 それから三年間に彼女が書いた脚本の数は百五本にものぼる。
 ごく初期の映画に使われていた注釈用の簡単な字幕カ−ドを見て、アニタは これはぜひ台詞に発展させてほしいとグリフィスに申し出た。グリフィスはア ニタのユ−モラスな語り口を買ってはいたが、そのアイデアにはあまり感心し なかった。
「観客は映画を読むために出かけるのではない」というのが、グリフィスの持 論だったが、アニタは一歩も引かなかった。彼女が試しに書いたものを見せる と、グリフィスはしぶしぶ認めた。
 そして、アニタはウィットに富んだものを書き上げ、映画『ヒズ・ピクチャ −ズ・イン・ザ・ペイパ−ズ』(一九一六)でダグラス・フェアバンクスがス タ−になるのに大いに貢献した。
 それはサイレントに対する皮肉の始まりでもあった。グリフィスは間違いを 認め、フェアバンクスは一躍スタ−となり、字幕カ−ドは欠くことのできない 小道具となった。
 アニタの声にならない皮肉はほとんどサイレント映画に見られるヴィクト リア朝的価値観を子馬鹿にし、映画に行くという経験自体からユ−モアを引き だしているかのようだった。とても発音できそうにない名前の悪漢が登場する フェアバンクスの冒険談では、アニタは次のように書かれた字幕カ−ド一枚で 観客の心をくすぐった。
「字幕を声に出して読まれる方は、彼の名前を発音しようなどと思わないでく ださい。考えるだけで結構です」
 アニタはセックスがらみのジョークを高級な喜劇映画に欠かせないものに した初めてのライタ−だった。また、名前を一般に知られるようになった最初 のライタ−でもあり、信奉者への茶目っ気たっぷりの挨拶代わりに、アニタは 古典文学の作者と対等に名を連ねた。『マクベス』の字幕カ−ドには「脚本ウ ィリアム・シェイクスピア、アニタ・ル−ス」と書かれていた。
 現代のアクションスタ−が、クライマックスのすぐあとに軽薄なジョ−クを とばすところなどは、まさにアニタ流である。
『タ−ミネ−タ−二』(一九九四)で、「あばよ、ベイビ−」と口走るア−ノ ルド・シュワルツネッガ−や、『ダ−ティ・ハリ−−−サドゥン・インパクト 』(一九八三)で「やってみろよ、望むところだぜ」と不敵に言い放つクリン ト・イ−ストウッドのなかに、アニタの精神は息づいている。
 アニタは皮肉というものを、舞台のウィットとはまったく異なる映画独自の 言語にした。
 アニタは字幕ライタ−としての二百本以上の映画を担当することでさらに評 価を高めた。そこにはグリフィスの『イントレランス』、シェイクスピア作品 の脚色数本、そしてクレア・ブ−ス・ル−スの戯曲『女たち』の有名な映画化 (一九三九)も含まれていた。
 アニタはハリウッドで最大の収益をもたらし、最も多い収入を得る作家だっ た。
 彼女が成功したことで、字幕ライタ−自体が監督と同等の創造性が必要なア −ティストとして注目を集めるようになった。そして観客もまた、映画はたん なる即興劇ではなく、きちんと書かれたものだということを知った。
 さらにアニタの攻撃的なウィットは、ドロシ−・パ−カ−のような女性作家 がハリウッドで頭角を現す下地を作ったのだった。
 アニタは映画の脚本を出発点に、さまざまな形の執筆活動も行った。
「紳士はいつも金髪しか記憶に残らないらしい」
 この名台詞で知られる一九二五年に出版された小説『紳士は金髪がお好き』 はベストセラ−となった。続く一九二八年、この小説は彼女自身の手で、映画 向けに脚色された(マリリン・モンロ−が主演して話題になった)。
 一九二九年、アニタはア−ヴィング・タルバ−グの希望でMGMに加わった。 そのころ女性の脚本家は数のうえで男性作家にまさり、その比率は十対五だっ た。アニタはプレストン・スタ−ジェスのような時代を代表する若く才能ある 映画監督・シナリオ作家の導き手となる一方で、サウンドフィルム用の脚本を 書き続けた。
 女優ジ−ン・ハ−ロウは『赤毛の女』(一九三二)クラ−ク・ゲ−ブルと共 演した『リフラフ』(一九三五)や『サラトガ』(一九三七)で本領を発揮し た。アニタの小気味のいい台詞の数々が、ハ−ロウのセクシ−な唇からすらす らこぼれ出ると、その台詞まわしはハ−ロウのトレ−ドマ−クになった。
 あらゆる異国を舞台に登場人物の活躍を描きながら、アニタはめったに国外 へ出ることがなく、生活の場をニュ−ヨ−クとハリウッドを往復する生涯をお くった。身長約一五〇センチの小柄な女性だったアニタは八十八歳でこの世を 去った。
 ハリウッド映画の脚本家が好んで使う鋭い皮肉は、アニタの書いた膨大な台 詞をそのまま受け継いだものである。
「誰が私を怒らせるかといえば、やはり女性解放論者たちだ。彼女たちは間に 合わせの演台の上に立ち、女は男よりも利口だと訴えかける。たしかにそうか もしれないが、それを声高に訴えては、せっかくの苦労も水の泡というものだ ろう」

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