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クレア・ホジソン(ベ−ブ・ル−ス夫人)Clair Ruth
1893.5.26−−1981.8.18

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 クレア・メリット・ホジソンは十四歳のときに、ジョ−ジア州の綿花ブロ− カ−、フランク・ホジソンと結婚し、ジュリアという女の子をもうけた。結婚 生活はうまくいかなかった。離婚後、ニュ−ヨ−クに出て、モデルをしたり舞 台に立ったこともある。
 ある日、デュ−・ドロップ・インの看板スタ−だったジム・バ−トンが、ク レアを野球に招待した。そのときジムが友人であるル−スにクレアを紹介した のである。  クレアの母や娘にもル−スは気に入られた。温かい家庭。それは男がいまま で一度も味わったことのないものだった。
 ル−スの母は長く病気がちで感情の起伏が大きかった。父は忙しくしてお り、息子をセント・メリ−校に預けることで、問題を避けようとした。愛に飢 えて育ったル−スは、ひたすら女性を求めた。
 クレアは口やかましく、あれこれ世話を焼いたが、かえってル−スには好ま しいものに思えた。母親のような愛し方。命令し、口うるさく叱 り、彼の悪いところを直そうとした。それはまさにル−スの求めて いたものだった。
 二人が知り合ってから六年後、ル−スは三十五歳、クレアはまもなく二十九 歳になろうとしていた。
 一九二九年四月十七日、シ−ズン開幕日、朝の六時半という早い時間に、ニ ュ−ヨ−クのスカ−スデ−ルにあるセント・グレゴリ−・カソリック教会で結 婚式を挙げた。式がすむと、彼らはアパ−トに戻った。アパ− トでは友人やごく親しい記者たちが待ち受けていた。
「新婚旅行はどちらに?」
 記者の一人が訊ねると、新妻のクレアはこう答えた。
「私たちは新婚旅行には行きません。さっそく働きに出てもらって、もう一度 ナントを獲得してもらいます」
 パ−ティは一日中続いたが、幸い雨のほうもやまなかったので、開幕戦は翌 日に延期された。
 その日、クレアはベ−ブ・ル−ス夫人として初めて球場に出かけた。彼女は ヤンキ−スのダックアウト近くのボックス席で声援を送った。ル−スはホ−ム ランを打つと三塁をまわったところで帽子のひさしに手をかけて彼女に挨拶を 送り、ダグアウトに消える前に投げキッスした。
 クレアも笑みを返したがアパ−トに戻ってくるとこう言った。
「チ−ムメ−トにからかわれるわよ。投げキッスはやめたほうがいいわ」
 二人は娘のドロシ−を連れてきて、一緒に住むことにした。法律上の 手続きを経て、クレアはドロシ−を、ル−スはジュリアをそれぞれ養子にした。  クレアはすでにル−スの妻としてだけでなく夫の「監督」としての役割を果 たすことになった。クレアに会う前は、いつも高価だが趣味の悪い派手でけば けばしい服装をしていた。
だが、クレアの努力で、趣味のいいものになった。愛用の帽子は別にして、ル −スはおそらく当時球界一のベストドレッサ−だったはずである。
 クレアはル−スの食事と酒量もコントロ−ルした。少なくとも家ではそうだ った。彼女は自分では料理をしなかったが、献立表を作った。デザ−トを与え ず、肉と野菜を中心にし、オレンジジュ−スを勧めた。最初のうちは、「ゲ− だよ、クレア」とル−スは飲んだあとに言った。「こんなもの飲めない。消化 不良を起こしてしまう」と顔をしかめていたル−スも、そのうち毎朝二人分を 飲むようになった。
「ママがなんでもよく知っていることが彼にもやっとわかったんです」  クレアは昔の飲み友だちを寄せつけないようにして、酒量を減らした。ヤン キ−スの遠征にも球団の許可を得て同行した。球団スタッフもクレアがそばに いればル−スも言うことを聞かざるをえないので都合がよかった。
 クララはル−スの浪費を抑えた。派手な生活で質素ではなかったが、小切手 帳などはクララが管理した。
 ル−スはお金が欲しいときは「クララ、五十ドルの小切手を切ってくれ」と そのつど頼んで浪費を減らした。
 この小切手を管理することで、三十五セントのハムサンドにチップを百ドル も払うようなばかげた習慣をやめさせた。ル−スがいつも何百ドルもポケット にしのびこませていて、いきおいで一枚ぬいてその場にいる人にあげてしまう ことだけはなくなった。
 二人が結婚したとき、ル−スの収入は年俸七万ドル、のちには八万五千ドル にも達して、これは七万ドルのフ−バ−大統領の年収よりも多かった。  球団側はクレアの同行を認めてはいたが、費用はいっさい払ってくれなかっ た。クレアは遠征先では町はずれのホテルに続きの部屋を借りた。 「年を取るのはいやなものだね」とル−スが言ったように、ホ−ムラン王の力 は衰えていった。
 現役を引退したら、ル−スはヤンキ−スの監督になるのが、夢だった。
 ニュ−ヨ−ク・ヤンキ−スのラパ−ト・オ−ナ−に呼ばれ、ル−スは クレアと部屋に入った。
「私はル−スが好きです。あいていれば監督のポストにつけましょう。しかし、 私はマッケチナ−との約束ずみなのです」
 しだいにクレアの顔が引きつってきた。
「マッケチナ−は非常に優秀な監督であり、彼が野球をやっているかぎり私も 一緒にやっていくつもりです」
オーナーの言葉をクレアは黙っていた。
「何かありますか?」
 とオーナートが聞いたので、クレアは彼の頬をぶった。
「これがお返しよ」
 と言ってクレアはさっさと部屋を出てしまった。
 その後、ル−スはボストン・ブレ−ブスに金銭でトレ−ドされた。助監督兼 プレ−ヤ−だったが、長くは続かなかった。
 ル−スはブレ−ブスからも解雇されることになったが、そのときもクレアが 付き添った。
 ル−スはクレアとクレアの母を車に乗せてニュ−ヨ−クに向けて出発した。  彼は球団の女性秘書に別れの挨拶をして、百ドルを渡した。
 ホテルでは数人の人が彼を見送っただけだった。結婚式の一行がル−スを見 つけ、米と紙吹雪を投げた。
「クビにされた人間が紙吹雪を浴びたのは、これが初めてだろうね」
 二人は顔を見合わせて笑った。
 一九四八年六月にル−スは入院した。それから八月十六日の夜、クレアがお 休みのキスをするとル−スは言った。
「明日はこなくていいぞ。おれはもういないから」
 クレアは次の朝も夫を見舞ったが、その日の朝八時一分、最愛のル−スはこ の世を去った。

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