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マリオン・デイヴィス(女優)Marion Davis
1897.1.1−−1961.9.22
愛人 mistress
マリオン・デイヴィスはギャグや手のこんだ悪戯をするのが好きだった。
あるとき、天才物理学者のアルバ−ト・アインシュタインにたずねた。
「アル、どうして髪を切らないの?」
カルヴィン・ク−リッジ大統領をからかったこともある。禁酒主義者の大統
領がマリオンを訪ねてきたときのことだ。フル−ツジュ−スだといって、白ワ
インをすすめた。大統領は一息に飲み干すと二、三杯立て続けにお代わりをし
て言った。
「マリオン、こんなおいしいジュースはひさしぶりだよ」
マリオンは微笑んで言った。
「新製品よ」
マリオン・デイヴィスは一八九七年、ニュ−ヨ−クのブルックリンに生まれ
た(本人は一九〇五年生まれという)。父親は裕福な家の出で、
判官として尊敬されていた。本名はマリオン・セシリア・ドゥラス。小さいこ
ろからマリオンは、女優になりたいという望みをもっていてバレエ団のオ−デ
ィションに受かったことから、三人の姉に続いて舞台に立ち、ダンサ−の道を
歩んだ。
一九一五年、『ストップ! ルック! リスン!』のコ−ラスガ−ルをして
いたときに運命の男、ウィリアム・ランドルフ・ハ−ストに出会った。センセ
ーショナリズムで売る新聞王ハーストである。
ハ−ストはマリオンを執拗に追いかけた。彼女はそのとき十七歳(誕生日が
二説あるので二十歳とも)ハ−ストは三十四歳(あるいは三十七歳)だった。
あるとき、バザ−で商品を売っていると、ハ−ストがやってきて、彼女の腕
時計を五千ドルで買いあげた。以後、マリオンは、四十万ドルもの宝石を所有
することになるが、これは、そのほんの始まりだった(これは一九九八年現在
の価値に換算すれば、四百万ドルを越えるだろう)。
ハ−ストはロ−マ・カソリック教徒だったので、離婚は認められなかった。
の大富豪はカリフォルニア州サンシメオンに百四十六の部屋数をもつ大邸宅
を建てたが、そこで客をもてなすのはマリオンの役目だった。もっとも、大統
領や王族らが訪問するときは、正夫人のミリセントが急遽ホステスをつとめた。
巨万の富を擁して、ジャ−ナリズムに絶大な権威を奮っていたハ−ストは、
彼女のためにコスモポリタンという製作会社を作った。彼女主演の映画を製作
して、パラマウントを振り出しにゴ−ルドウィン、MGM、ワ−ナ−といった
メジャ−な会社と提携した。提携先がひんぱんに変わったのは、ハ−ストの権
力をもってしても、彼女の演技力がおよばなかったということである。
マリオンは、ハ−ストが経営する映画会社の映画に、何本も出演した。『カ
−ドボ−ド・ラヴァ−』(一九二八年)『ショウ・ピ−プル』(一九二八年)
『お馬鹿な金髪娘』(一九三二年)などが代表作。
ハ−ストは自分が描くマリオンの清純なイメ−ジが汚されるような役は絶対
に許さなかった。マリオン主演の映画は七百万ドルの赤字を出したが、それ
はひとえに役柄のせいで、彼女に力がなかったわけではない。
マリオンと関係が続くあいだもハ−ストは女性を囲い、大勢の子の父親に
なった。妻のミリセントの間にできた双子の息子も、本当はマリオンの子だと
いう噂もあった。
マリオンはハ−ストとの関係を初めは楽しんでいたが、寝室は別で、彼女は
彼のことを「パパ」と呼んだ。マリオンの伝記作家のフレッド・ガイルズによ
れば、マリオンはたびたび相手役の俳優に夢中になったが、ハ−ストは自分で
は、彼女を充分に満足させていないことを承知しており、浮気は「公認」だっ
た。
こらえ性のない惚れっぽいマリオンは、常に浮気な金髪娘を自認していて、
多くの俳優たちとつかの間の恋愛を楽しんだ。なかでも一番夢中になったのが、
喜劇王チャーリー・チャプリンだった。
ト−キ−の時代が来るまでに、マリオンは経済的な基盤を固めていた。彼女
はハ−ストの愛人としての生活を続けていた。権力と財力で彼女はアメリカで
もっとも裕福で高名な人びとの社会に入っていた。
オ−ソン・ウエルズ監督・主演の名作『市民ケ−ン』でウエルズ扮するケー
ンは、新聞王ハ−ストがモデルとされている。ケ−ンの二番目の妻ス−ザンに
当たるのが、ハ−ストが実生活で、巨万の富を投じて作り上げた映画女優(映
画の中ではオペラ女優)マリオン・デイヴィスだといわれ、その役を当の本人
が演じたのだ。
映画『市民ケ−ン』の描写があまりにも、真に迫っていたので、映画の中の
実力もなく愚かなス−ザン・A・ケ−ンはマリオン・デイヴィスなのだと、
一般には信じられているが、そうではない。
デイヴィスは小柄で愛くるしくで、チャ−ミングな彼女はある時期のメアリ
−・ピックフォ−ドを思わせるものがあったが、ショ−ガ−ルとしても映画女
優としても、まったく未知数だった。
フレッド・ロ−レンス・ガイルズの書いた評伝『マリオン・デイヴィス』に
よると、マリオンは生まれながらにして、スタ−の才能があり、ハ−ストの経
済的あるいは私的な援助なしでも成功していたかもしれない。いや、むしろハ
−ストはマリオンの優れた才能をつぶしてしまった。無声映画のコメディ『シ
ョ−ピ−プル』では、すばらしいコメディアンヌとしての才能を発揮していた
からである。
彼女は写真映りがよく、カメラの前でもものおじせず、どのコメディアンヌ
よりも、ひょうきんで、チャーミングだった。現在ではほとんど見られないが、
マリオンの無声映画は三十本、ドラマ、コメディ、あるいは両方が入り交じっ
た感動的な作品ばかりだ。それを台無しにしたのはハ−ストだったのである。
彼はマリオンにシ−リアスな役を押しつけた。無声映画から、ト−キ−まで四
十六本におよぶ映画に出演したが、ほんとうに彼女の望んだものだったのだろ
うか?
マリオンは吃音だったので、ト−キ−映画の出現で、映画にはもう出られな
いないだろうと心配していたが、実際にはさほど障害にはならなかった。
「私の吃音を直すには、口に小石を入れるといいって誰かが言ってたわね。え
え、やってみたわ。でも、撮影の間に、それを飲みこんじゃったの。それでお
しまい」
十八年間にわたる映画の仕事をやめたとき、彼女をトップスタ−にするため
に費やされたお金は七百万ドルにものぼる。ハ−ストが生きていている間は、
マリオンには映画を観にきてくれる観客がいた。晩年の二人は彼女の家で、目
に涙をためながら何時間も昔の映画を観ていた。
一九五一年八月にハ−ストが死ぬとまったく忘れ去られた存在となった(愛
人関係は三十二年間続いた)。
ハ−スト死後、四カ月後に、マリオンはホ−レス・ブラウンと結婚した。
ハ−ストの死から十年後の一九六一年九月二十二日、マリオンはガンのため
にロサンゼルスのレバノン病院で亡くなった。
マリオンはハリウッドが贅沢三昧をきわめた時代の最後の生き残りだった。
金メッキをほどこされたイスパノ・スィザ、ヨ−ロッパの大理石の宮殿がカリ
フォルニアの砂地に建てられ、週末のヨット旅行を主催したホストが、突然の
思いつきで贅沢な半年間の世界旅行までしてしまうという時代だった。
最盛期には、この青い瞳のブロンド美人は撮影現場の十二もあるバンガロ−
で拝謁式を行っていたのだ。
だが、マリオンはスタ−になることはできなかった。
「私が家で芝居をしているときは、誰もひっこめとは言わなかったのに」
のとき、マリオンは初めてハーストの愛の深さに気づいて泣いた。
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